DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

YouTubeの歌の動画をランダムに聴いていると、「そういえばあの曲って、どういう曲だったかな」と思い起こして、探しに行って聴いてみると、「改めて聴いたら、いい曲だな。歌ってみようかな」と思って、DAM★ともで歌ってみたら、以前歌ったときとはまた違ったいい感じで歌えるようになったと気づくことがあります。最近のそういう曲の1曲が、岩崎宏美さんの「橋」という曲です。

この作品は1984年8月21日に岩崎さんの35枚目のシングルとして発売されました。作詞は山川啓介さん、作曲と編曲は木森敏之さんです。日本テレビ系で放送されていた「火曜サスペンス劇場」の主題歌として、1982年の「聖母たちのララバイ」、1983年の「家路」に続く3作目となりました。

木森敏之さんはこの当時、岩崎さんの作品の他にも、中村雅俊さんの「心の色」、杉村尚美さんの「サンセット・メモリー」、渡辺徹さんの「愛の中へ」などヒット曲を次々と出される方でしたが、テレビへの出演はないまま、1988年に40才の若さで亡くなられました。

山川啓介さんと岩崎さんとの出会いは「聖母たちのララバイ」からでしたが、この曲の大ヒットをきっかけに、岩崎さんもアイドル歌手から大人の歌手への転身が上手くできたのかなと思います。

「橋」が発売された当時、岩崎さんはデビュー以来所属していた芸映プロからの独立もあって、この曲もテレビではほとんど歌われなかったため、セールス的には良くありませんでした。独立問題を起こすと、テレビへの出演を「干される」状況になると言われました。連続出場していたNHK紅白歌合戦への出場も危ぶまれましたが、当時のNHKはいわゆるプロダクション枠ではなく、岩崎さんの歌唱力や実績を評価して、独自の枠で出場に繋げたと言われました。

さて、「橋」の歌詞をDAM★ともで歌いながら、目で追って読んでみました。「聖母たちのララバイ」での「この都会は戦場だから 男は皆傷を負った戦士」が安らぎを求めるマドンナとか、「家路」における「お帰りなさい 開けてあるの やさしさの鍵は」と過去のあやまちも許して受け入れる女性と比べると、歌詞はやや抽象的なんですね。「ありがとう 愛させてくれて ありがとう 愛してくれて」と別れた相手へのメッセージを込めながら、やっぱり別れへの未練がどこかにあって、「別れてもあなたが呼ぶ夜は 見えない橋を渡って 会いに行きます」とか「もう一度この世に生まれたら あなたを夢へ渡せる橋になります」という感じで「橋」が登場します。

最近、作詞家の松井五郎さんの言葉を拝見した中で、歌詞とは完全に作り上げるものではなくて、その歌詞を目にした読者が感じたインスピレーションを加えて、さらに作られていくものだといった主旨のコメントを読んで、そういう考え方で歌ってみたら持ち味が広がると納得するところがありました。

移ろいゆく人生の中で愛しあえたひとときがあって、別れてそれぞれの人生を生きて、そしてまた再び出会えた時に二人は何を思うのかなって考えると、それも壮大なロマンスだと思えます。

ぼくも、「橋」を久しぶりに歌ってみたら、言葉の深さとか、楽曲にこめられた意味とか、今更気づいたことも多くて、でも気づけたぼくの歌は、以前よりも成長した歌になっていたと感じました。インターバルも時には人を成長させるのかもしれません。


www.youtube.com