DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

黄昏ロマンス

ぼくが1人カラオケ、通称「ヒトカラ」をするようになってから、割と歌っているアーティストの1組がポルノグラフィティ。彼らはロックバンドではあるんですけど、作品が全部ロックチューンという訳ではなくて、優しくてほっとするような作品も出しています。そんな1曲が「黄昏ロマンス」という曲です。

この作品は2004年11月10日に彼らの16枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は新藤晴一さん、編曲はak.hommaこと本間昭光さんです。Tamaさんが脱退後、「シスター」に続くシングルということで、アキヒトさんとハルイチさんの2人体制になってからのもどかしさをまだ引き摺っている中での「黄昏ロマンス」の発売でした。

「黄昏(たそがれ)」って言葉は歌でよく使われますが、もともとは、日没直後、西の空に夕焼けの名残の赤さが残る時間帯のことをいいます。万葉集などの和歌で「誰そ彼(たそかれ)」という言葉が使われますが、夕暮れ時で相手の顔がよく見えないので「あなたはどなたですか」と聞くのが「誰そ彼」でありました。転じて、「人生の黄昏」という使われ方で、人生の盛りを過ぎた頃を例える場合もあります。

「黄昏ロマンス」というと、「老いらくの恋」を連想してしまうかもしれませんが、歌詞を改めて読むと、おじいさんとおばあさんになった頃に人生を振り返って、いい人生だったねえという歌ではないんです。若い主人公が何十年後の年老いた自分を想像して、そこから今を俯瞰して見ているんですね。「公園のベンチで思い返してみた」ときに、「君にとっての幸せをひとつぐらいは増やせてあげたかな」「君のすべてわかってあげたい ひとつも残さず」と思う主人公。これって、おばあさんを愛し続けるおじいさんのことではなくて、アキヒトさんに対するハルイチさんの気持ちだったのかなって思いました。後悔のない音楽を作って行こうよって感じで。だから、歌詞の始まりにある「足りないなら問い詰めてよ いらないなら捨ててよ もとから見当違いなら承知さ」というのは、腹割って話し合っていこうよっていう気持ちの表れなのかなと。基本的に仲良さそうですけどね、ポルノの2人は。「何一つ終わってやしないのに まだ生きるとして 僕らには始まりや始まってないものばかりさ ねぇ気付いてる?」というのは、自分たちに言い聞かせていたんだろうなと思います。

アキヒトさんも当時はブレイクして数年経ち、声帯の疲労があったりして、キーを下げようかなと思うこともある中で、喉を痛めない歌を歌っていかなければいけないなと思っていたそうです。ぼくも1人カラオケを始めて数年経った頃、歌ってても声の調子がおかしかった時期がありました。声を張り上げたり、喉だけで歌ってると無理が出てしまうんですね。

ハルイチさんは当時の雑誌のインタビューで、ポルノグラフィティのサウンドはロックにこだわらず、色々な音楽で表現していきたいという趣旨のことを言われていた記憶があります。「黄昏ロマンス」については「スルメみたいな作品。年々味が出てくると思う」と言われていました。彼らの作品の中では地味ですが、こういう作品を作れるのも彼らが人気を保てる1つだと思います。

歌ってみた人の歌をどうぞ。(ぼくではありません。)


【歌ってみた】普通 ポルノグラフィティ 黄昏ロマンス