DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

岸壁の母

ぼくがよく見ている歌番組に、BS朝日で毎週土曜日の19時から20時54分まで放送されている「人生、歌がある」という番組があります。昨日8月14日の放送では、特別ゲストとして二葉百合子さんが出演され、御年90才とは思えぬほどの歌唱を披露されました。最後に歌われたのは「岸壁の母」でしたが、歌の感情を切々と訴える表現力の高さや、引き締まった構成力に加えて、お世辞抜きで現役同様の歌唱力を保たれていることに感服し、思わず拍手を送ってしまいました。

岸壁の母」のオリジナルは二葉さんではなく、往年の大歌手であった菊池章子さんでした。

第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の姿を当時のマスコミが「岸壁の母」と称しました。映画化もされる中で、実在のモデルとされたのが、新一さんという息子さんの帰りを待つ端野いせさんという母親でした。端野さんのインタビューを聞いていた作詞家の藤田まさとさんは、母親の強い愛情と戦争への憤りで胸が高鳴り、でも心を抑えて即座に歌詞を書き上げたそうです。その歌詞を受けた作曲家の平川浪竜さんも、単なるお涙頂戴の作品にしてはならないと考え、徹夜で作曲を仕上げたそうです。

そして、出来上がった作品を平川さんはピアノで演奏して、テイチクレコードの重役と文芸部長と藤田さんに聴かせたところ、全員が黙って聴いて泣いていたそうです。菊池章子さんもレコーディングで何回歌っても涙が出て歌えなかったそうです。こうして1954年に発売された菊池さんの「岸壁の母」は100万枚以上の大ヒットとなり、1955年のNHK紅白歌合戦でも歌唱されました。

二葉さんは3歳で浪曲師としてデビューし、歌謡浪曲の道を進まれた方であり、「岸壁の母」は間奏に台詞を入れた形で、1971年にカバーアルバムの中で初めて収録され、1972年にシングルカットされ大ヒットとなり、1976年には日本レコード大賞審査員会選奨賞、日本有線大賞ヒット賞を受賞し、同年のNHK紅白歌合戦にも出場し歌唱されました。二葉さんは2011年に引退を表明されましたが、その後も出演依頼があれば歌を披露されています。

二葉さんの功績としては、女性の演歌歌手の後進の指導に当てられたことであり、石川さゆりさん、坂本冬美さん、原田悠里さん、藤あや子さん、石原詢子さん、島津亜矢さんが二葉さんの指導を受けた弟子として有名です。

オリジナルの菊池さんがいいのか、カバーの二葉さんがいいのかみたいな話は、どんな曲でもある話なんですけど、それはお2人それぞれのバックボーンが異なるので、比べて競うことではないと思います。菊池さんは流行歌手として大衆の支持を受けるなかで、息子を待つ母の気持ちを切々と歌い上げていて、二葉さんの曲に慣れているぼくの耳では、こういう歌い方もありだよなあと思いました。


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二葉さんは浪曲師として、歌謡浪曲の世界を作るという観点から、息子を待つ母の気持ちをさらに感情を盛り上げて訴えていく歌い方になるわけで、これも1つのアプローチだと思うわけです。テレビ版ではなくて、歌謡浪曲が一番入っていた動画をアップします。


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だから、1つの作品には、歌い方の正解は1つだけではなくて、逆に自分のやり方でいくつも答えを作れるものだと思うんです。自分のベースをしっかりと作ることができていれば、どんなアプローチであっても、大衆の多くの支持を受けた好例が、菊池さんと二葉さんの「岸壁の母」だと思うのです。

コメントと寸評

ぼくは「新東京カラオケグランプリ2021(TKGオンライン)」の7月大会に急遽参加することになりました。この大会はカラオケ評論家の唯野奈津実さんが主宰を務めるオンラインカラオケ大会です。2019年までは「東京カラオケまつり」というリアルのカラオケ大会を開催されていましたが、コロナの影響で、今はオンライン大会を実施しているところです。

カラオケ大会って主催者のカラーが色濃く出ますので、出場者にとっては合う合わないといった相性みたいなものがやはりあります。ぼくが初めて出たカラオケ大会は「東京カラオケまつり」でしたが入賞しませんでしたし、その後は音源審査も合格せず出場させてもらえないことか続いたので、「唯野さん主催の大会は相性が悪い」と判断して、以後は特に大会の案内を見ることもありませんでした。

だから、TKGオンラインについても、全く関心がありませんでした。よく行くお店でもこの話題が出ました。「TKGオンラインは出ないんですか」と聞かれ、ぼくは「相性悪いんですよね」と答えたところ、「そうなんですか。でも出てみたらどうですか」と言われました。

7月大会は、7月15日にエントリーの受付が始まってすぐに50人の定員に達し締め切られていました。ところが、7月20日に「追加1名のエントリーを受付する」との発表がありました。今まで何の関心もなかったのに、急に「出てみようかな」と思いました。「でも、相性悪いから、受付してもらえないだろうな」と頭をよぎったものの、ダメ元でエントリーの入力を進めていったら、運良く、受付の仮エントリー完了に辿り着きました。

支払いを終えて正式にエントリーしたものの、動画提出期限は8月2日まで。東京都内のカラオケチェーン店舗は営業しておらず、周辺の県の店舗に行かねばなりませんが、その時間が確保できるのは7月30日の1日だけでした。当日はお店に入って、通された部屋のレイアウトやカメラの位置を確認して、声出しから始めて、何度も歌っては録画を確認して、5時間かけて動画の収録が終わりました。

動画を提出して、8月3日の夜から出場者53組の動画が公開されました。今回の動画はjoysoundうたスキ動画と決められていて、出場者の動画にはコメントを書くことができました。リアルの大会では出場者全員とお互いに会話をするのは困難ですけど、印象の良かった人への投票期限8月8日まで日数もありましたので、ぼく以外の52組の動画を見て、感想をコメントに書くことにしました。ぼくは審査員ではありませんし、同じ出場者ですから、音程やリズムといった技術的なことは書かずに、歌トータルとしてぼくが持った印象を書くことにしました。食レポで「おいしい!」というだけでは何がおいしいのか伝わらないのと同じで、歌のコメントも「上手い!」や「素敵!」では伝わらないので、ぼくがいいと思ったことが伝わるように書きました。なかなかこういう場では、他人の歌の欠点を書くことはできないので、どうしてもコメントが褒め合う感じになってしまいます。それが往々にして、褒めすぎなコメントが飛び交うことになります。「最高です」「感動しました」「聴き入りました」のワードを見ると、それは本当にそう思ったのか疑わしくなるんです。最高とか感動とか聴き入るというのは、よほどの物を聴いた時に使うべきであって、やっためたらに乱発するものではありません。ぼくも自分の歌に対してそういったコメントを頂きましたけど、ぼくは自分の歌の出来を既に判断していて、その出来に対しての飾りのない感想が欲しかったんです。感動するほどのものでないことはわかってますから、本当は何を伝えたかったのかなと解読するのが苦労しました。ぼくは52組の方に対して、美辞麗句は書かずに、その方に対していいなと思ったことを書きました。上手いとか完璧とか書かなかったので不満に思った方もいるだろうと思いましたが、その一方でぼくが書いたことを受け止めてくださった方も多かったので、ホッとしました。

一方で、審査員の先生からは寸評を頂きました。1人の先生からは、総じて曲に歌声がマッチしていたという評価は貰いましたが、歌詞の歌い方について、1文字めをはっきり歌ったり、語尾の2文字をくっつけて歌ったりといった細かい気遣いをすることにより、歌の輪郭がはっきりするという指摘がありました。もう1人の先生からは、歌自体は高評価を頂きましたが、歌う表情をもう少し笑顔で歌ってという指摘を受けました。1日で動画を完成させなきゃという必死さが如実に表情に出てしまったようでした。

入賞はダメなのかなと諦めていたら、期待賞という賞を頂き入賞することができました。

出場者の皆さんが歌が上手いのはわかっていて、本当に知りたいのはその先のことなんですよね。歌が好きな仲間だからこそ、ここをこう歌ったらもっと良くなるというアドバイスを受けることで、歌は向上するのではないかと思います。馴れ合っているだけでは成長しませんから。

 

琥珀色の日々

ぼくがDAM★ともで歌うことが多い歌手の中澤卓也さん。「BARKS」という音楽情報サイトを見ていたら、8月4日に中澤さんが発売したカバーアルバム「繋ぐvol.3〜カバー・ソングスIII Elements」に、歌手の野口五郎さんが参加したという記事がありました。

野口さんは中澤さんと、BS朝日の歌番組で共演したことがあり、野口さんが中澤さんの歌を褒めていた記憶がぼくもありました。

今回、野口さんから「中澤くんにぴったりの曲があるんだけど、歌ってみない?」と提案があり、このアルバムに収録することになったのが、「琥珀色の日々」という曲でした。

この作品は1984年7月10日に発売された野口さんのアルバム「琥珀」に収録された1曲でした。アルバムの制作に当たっては、同じレコード会社でもあった小椋佳さんが全体の構成をプロデュースし、全10曲のうち、大半の作詞作曲も行いました。ただし、「琥珀色の日々」を含む2曲は野口さんが作曲しました。

ぼくが五郎さんのヒット曲を覚えているのは、1983年にNHK紅白歌合戦で歌唱した「19:00の街」までで、1984年以降の作品は知りませんでした。それが今から6年前ぐらいに、YouTubeで五郎さんが歌番組で歌っている数々の熱唱シーンを見てから、「五郎さんの曲を歌ってみよう」とDAM★ともでも歌うようになりました。

そして、1984年に五郎さんは「一人が好きですか」と「花遊戯」という2枚のシングルを出していて、いずれも小椋さんが提供した作品となっています。

今回初めて、「琥珀色の日々」を聴いてみました。野口五郎さんのメロディーを聴いて、「あれ、作曲したのも小椋さん?」と思わせるところがありました。Aメロはいかにも小椋さん風で、BメロとCメロは小椋さんと五郎さんが混ざった感じで、サビは五郎さんらしい感じでした。

都会的な情景も自然の情景も歌っている点で、小椋さんと野口さんは似ているところがあるのかもしれません。コラボレーションの面白さは、個性的な2人が一緒に作品を作ることによって、新たな3つ目の音を作り出すところにあるのかもしれません。

さて、中澤さんの「琥珀色の日々」のレコーディングに当たっては、野口さんが一から音作りに参加したそうです。中澤さんもご自身のブログで「僕の歌や声質を瞬時に分析して、わかりやすくアドバイスしていただいたりと、伸び伸びと、自分に新しい引き出しが作られたような感覚がありました」と書かれていました。レコーディング後半では五郎さんが「俺も歌っていい?」と、急遽バックコーラスが吹き込まれ、図らずも共演が実現したということです。

歌に限らず、自分の仕事を先輩に認めて貰えるというのは嬉しいことです。その前提としては、影ひなた関係なく、自分の仕事をしっかりとやるということなんだろうと思います。

自分が思ってもいない人が、自分の仕事を見てくれていたということは往々にしてありますし、歌も同じで、自分の歌を見ず知らずの方が聴いてくれていたのを後から知ることもあったりします。だから、信じることを愚直にやり続ける意味はあるんだなと思っています。

五郎さんの「琥珀色の日々」は残念ながら、DAM★ともにはありません。同じ「琥珀色の日々」であったのは、ビリー・バンバンの菅原進さんの作品。こちらもいい曲なんです。


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向かい風 純情

今日は8月1日の日曜日。ぼくが毎週日曜日の朝に見ているテレビ番組が、千葉テレビで9:30〜10:00に放送されている「竹島宏の歌MAX」という番組です。竹島さんがMCを務めていて、1曲目は竹島さんの曲、2曲目は竹島さんの事務所の後輩歌手の天野涼さんや蒼彦太さんが歌ったりして、3曲目から5曲目はゲストの歌手の方のトークと歌とか、竹島さんが他の歌手の曲をカバーしたりしているうちに、30分が終わってしまいます。

ぼくが竹島さんの歌に興味を持つようになったのが、2017年1月25日に発売された「月枕」の頃なので、4年ぐらい番組を見ていると思います。竹島さんの歌の音域がぼくは割と歌いやすいことと、この「月枕」以降、竹島さんの作品を手掛けている、松井五郎さんの歌詞とか、都志見隆さんのメロディーが好きなことから、竹島さんの曲はDAM★ともでもよく歌っています。

最近歌っている曲が、竹島さんの最新シングルである「向かい風 純情」という曲です。この作品は竹島さんの24枚目のシングルとして2021年6月2日に発売されました。作詞は松井さん、作曲と編曲は都志見さんです。NHKBS時代劇「大富豪同心2」の主題歌にもなりました。竹島さんの22枚目のシングル「夢の振り子」が「大富豪同心」の主題歌だったのを受けての起用で、間奏では竹島さんが刀を振りかざすような振付を見せたりしています。

「向かい風 純情」の歌詞は、竹島さんが「皆さまの人生の応援歌になりますように」とコメントされていますが、今の世相の向かい風に負けず、前を向いて生きていこうというメッセージが込められているようにぼくは感じました。

カラオケの世界も向かい風の状況が続いています。カラオケの部屋は一般的な部屋よりも厳しい基準で換気を徹底していますから、そういう部屋に1人でカラオケしていても、極めて安全な環境だと思います。ぼくがこの間参加しているカラオケ大会にしても、対人距離や感染予防の対策を実行しており、その後に感染が発生したことは1件もありません。カラオケをコロナのスケープゴートにするのはやめてもらいたいのが正直な気持ちです。ぼくも音楽を愛する1人として、安全に音楽を楽しめていることを、そして健康に生活していることを、1つ1つ根気強く実証していきたいと思います。


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サシカラ

ぼくがカラオケに行く目的は、DAM★ともに公開する歌の録音とか、カラオケ大会で歌う曲の練習で、ほぼ1人カラオケヒトカラで楽しんでいます。最近、多くの人前で歌って審査をして頂く機会が続いて、普通にカラオケで歌って楽しみたいなと思い、よく行っているお店にもこの半年行っていなかったので連絡をして予約しました。

せっかく行かれるからと思い、このお店でご一緒したことがある方と今年の初めに「また一緒に行きましょう」と話したことをふと思い出し、ダメ元でその方に連絡を取ってみたところ、運良くOKのお返事を頂けて、当日は2人の他にはお店にお客さんがいなかったので、サシカラで4時間ほど楽しい時間を過ごすことができました。

その方は採点をメインにカラオケを楽しんでいる方で、100点を3,000曲近く攻略されている凄い方でした。色々なジャンルの曲もご存じでした。いわゆる採点歌唱の方は、100点を取るための歌い方をしますので、ポイントとなるフレーズに独特の節回しを入れることが多いです。この日は採点歌唱ではなく、いわゆる自然歌唱で歌われていましたが、声質も良くて1つの声のトーンで歌われていたので、安定感があって聴きやすいと思いましたし、1年前よりも歌唱力がアップされたように感じました。

ぼくは以前は採点歌唱には良い印象は持っていませんでした。歌はゲームじゃないだろうと。歌は気持ちを入れて歌うものだろうと。でもその考えはカラオケ大会で採点歌唱の方の歌を聴いて変わりました。100点を取るには歌唱技術が必要で、その技術を出せる方は凄いなと思ったんです。ビブラートにしてもロングトーンにしてもいろいろな手法を身につけています。それだけに教えて頂きたいこともあったので、当日もその方にビブラートの出し方をいくつか教えて貰えました。歌について多くの引き出しをお持ちなので、敬意みたいなものを感じました。

一方、ぼくはその方に何かを教えてあげられることもなく、歌って試して見たかった曲を次々と歌っていっただけでしたが、その方はぼくの歌を褒めてくれたり、「今の曲、この間も歌ってましたよね」と覚えていてくださったりで、こんなぼくにも敬意を示してくださるのが嬉しく、一方で自分は研究が足りないこともその場で実感しました。

他の方とご一緒すると、自分が歌わない曲を目の前で聴けるのか良くて、刺激になりますし、歌い方を聴いて参考になることがいくつもあるので、楽しく勉強ができる時間を過ごせるから満足しています。お誘いして良かったと思いました。

逆にぼくは何か楽しいこととか満足したこととか、お店の方や今回お誘いした方にしてあげられたのかなというのは気になります。一緒の時間を過ごせて嬉しいとか、また聴いてみたいとか言われた方が嬉しいです。歌は上手さを見せつけるものではなくて、歌のどこかに共感するものを見つけてもらうものだと思います。

 

大ヒット曲ではないけれど、なぜか頭の片隅に記憶が残っていて、急にその歌を歌ってみようと浮上する曲があります。最近のそんな1曲が桜田淳子さんの「窓」という曲でした。

この作品は1982年8月5日に桜田さんの37枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は犬丸秀さん、編曲は青木望さんです。この作品の原曲は、カンツォーネ歌手の後藤啓子さんが1980年に発表したアルバム「サガンはお好き」に収録されたものでした。桜田さんと後藤さんを担当していたビクター音楽産業(当時)の音楽プロデューサーである田村充義さんが、当時ミュージカル女優としての評価が高まっていた桜田さんに相応しい曲として、カバーをすることになりました。

後藤さんは、1951年から1990年まで銀座七丁目にあったシャンソン喫茶「銀巴里」に出演していて、「サガンはお好き」は1stアルバムでした。歌手のクミコさんがご自身のブログで、後藤さんのことを書かれていました。

「後藤啓子さんのオリジナルは圧倒的で、細かい線が無数に集まったような独特の声と、都会的な情緒とリズム感は、啓子さんのどの歌にも通ずる素晴らしさ。」

後藤さんは2016年に亡くなられましたが、シャンソンカンツォーネを歌う後輩の歌手たちは、後藤さんの作品を歌い継いでいるようです。クミコさんは「歌いあげるまでもない小さな作品。こういう詩的な作品を今の時代に聴いて欲しいと思う」と書かれていました。


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歌い上げない歌って、歌唱力のパワーを使えないので、歌うのは難しいと思うんです。言葉ははっきりと伝える必要があり、語尾で息漏れとか声が抜けないようにしないといけません。

「窓」の歌詞の主人公は、庭に咲く名もない花で、花を咲かせていたときも、家人に踏まれて花が枯れてしまったときも、その場所から、愛していた家人が暮らす家の窓、窓を見上げている。そんな健気な花のような気持ちを胸に秘めながらこの曲を歌ってみると、言葉がスッと出て歌えたような気がしました。

プロレベル認定

7月3日、ぼくは日本歌手協会が主催する「プロレベル認定歌手オーディション」の二次審査に行ってきました。

「プロレベル認定歌手オーディション」はDAM★とものホームページでも定期的に告知があるので、よく目にしていました。一次審査はDAM★ともで録音した音源をCDにプレスして歌手協会に郵送します。ぼくが一次審査の音源を送ったのは2019年の秋頃だったと思います。松原健之さんの「歌の旅びと」という曲を歌って録音しました。プロの歌手が審査するから厳しいんだろうなと思っていたら、一次審査に合格して、お褒めのコメントも頂けました。二次審査は渋谷のシダックスホールと聞いて、またホールで歌えるという嬉しさが湧きました。2019年12月の二次審査は予定があったので応募せず、2020年3月の二次審査に応募しました。当日の1週間前、コロナ感染の影響で、歌手協会の方から中止の連絡の電話があり、すごく残念に思ったことを今でも覚えています。

6月の中旬、突然、歌手協会から二次審査を急きょ実施するとの連絡がありました。実施するならとすぐに応募しました。会場は歌手協会の正会員の方のお店で行われました。宇佐元恭一さんの「雨ニモマケズ」という曲を歌いました。お店の中でアクリルパーテーションが細かく仕切られた中で、ぼくは目の前にいる3人のプロの歌手の方の審査を受けました。歌い終わって、歌手協会の理事である民謡歌手の原田直之さんから「メリハリがあって歌い込んでいる」とお褒めの言葉を頂いたところで、理事長である歌手の合田道人さんから「歌詞の最後は「そういうものにわたしはなりたい」だっけ」と聞かれ、ぼくが「「なりたい」です」と答えると、合田さんが「「い」が聞こえなかったんだよね」と言われました。そこに続けて会長である歌手の田辺靖雄さんも「そう、ぼくも「い」が聞こえなかった。惜しいよね」と言われたので、ぼくは思わず「すみません」と謝ってしまいました。合田さんが「でもね、後はとっても良かったです。だから「い」が惜しいなって」と言われ、田辺さんも「とっても良かったです」と言われました。出番が終わって、ぼくは会場を後にしましたが、指摘を受けたところは今までのカラオケ大会では全く指摘を受けなかったところで、自分でも特に気にしたことがない箇所でした。それだけに、プロの歌手って見逃さないなあと改めて感心しましたし、フレーズの語尾の処理って、自分はできているつもりでいたけど、本当にできているかを確認しないといけなかったなあと、駅のホームで水を飲みながら反省しました。

数日後、歌手協会から二次審査の合格通知が届き、「プロレベル歌手認定証」が同封されていました。合格できたのは運も味方してくれたと思いました。これでプロの歌手になったわけでもありませんけど、カラオケ大会に出るようになって、歌の練習をいっぱいするようになって3年経ち、成長できたと確信を持てたことが何よりも嬉しかったです。