ぼくがDAM★ともで歌うときに、お手本にしているアーティストの1人が林部智史さんです。カラオケ大会では「恋衣」を歌いましたが、その時も、林部さんが歌っている感じを思い出しながら歌っていました。その林部さんが「恋衣」以来1年2か月ぶりにニューシングル「希望」を発売することになりました。
林部さんはBSで放送されている、演歌・歌謡曲系の歌番組に出演されることがあり、西城秀樹さんの「若き獅子たち」や、佐良直美さんの「いいじゃないの幸せならば」や、美空ひばりさんの「津軽のふるさと」を、原曲の歌のイメージに配慮しながらも、ご自身の歌でうまく表現されていました。正直なところ、演歌歌手の皆さんのカバーよりも上手いと思いましたし、後ろで林部さんを見ている先輩歌手たちも「頑張ってるねえ」という穏やかな表情をしているのが印象的でした。
「希望」という題名を聴いて、まさかと思っていたら、やはり1970年に発売された岸洋子さんの大ヒット曲「希望」のカバーでした。「来年リリース50周年となるこの名曲に、林部智史が新たな命を吹き込んだドラマティックで壮大なバラードです。」とのリリースコメントがありました。
岸洋子さんは1960年代に活躍された大物歌手というイメージがあり、そして膠原病と長い間闘われて、1992年に57才の若さで亡くなられたこともあって、ぼくは岸さんが歌っている動画を見たことがありませんでした。
「希望」という作品は、原曲を倍賞千恵子さんのために作られたミュージカルの曲でした。しかしその曲が6分を超え、当時の技術ではレコード化できなかったそうです。その後、フォー・セインツというフォークグループが、原曲を短くアレンジした作品で、「希望」を発表しヒットしました。岸さんはタクシーの中でラジオから流れてくる、彼らが歌う「希望」にひきつけられ、曲の題名と資料を集めて、歌わせてもらうようお願いしたそうです。こうして1970年4月1日、岸さんの「希望」は発売されました。作詞はミュージカルの草分け的存在である劇作家の藤田敏雄さん、作曲はいずみたくさん、編曲は川口真さんです。
フォー・セインツの「希望」の編曲は渋谷毅さんがされていますが、「カレッジ・ポップス」という位置づけもあり、シンプルで清涼感のあるハーモニーで、学生も合唱しやすい感じに仕上がっています。いずみたくさんのミュージカル的要素がまだ残っています。
岸さんの「希望」は、フォー・セインツ版の3番の歌詞を一部変えています。そしてアレンジもドラマチックな展開にしています。題名は「希望」ですが決して明るい曲ではなくて、突然立ち去った「希望」という名の「あなた」を尋ねて、終わりのない旅を続けるという歌です。
岸さんはオペラ歌手を目指して歌を勉強し、東京藝術大学を卒業されましたが、心臓神経症を発症しその道を断念し、病床で聴いたエヴィット・ピアフの歌に感動して、シャンソンの道に入りました。歌を歌える喜びに出会った嬉しさを大学の教授や仲間に報告したら、その反応は冷たいもので、以後岸さんは沈黙を保ったそうです。
岸さんが世に出た「夜明けのうた」も、岸さんのために作られたわけではなく、他の歌手との競作でしたが、「自分の歌をただひたすら丁寧に歌っていく」ことで、全国区の歌手へとブレイクすることになりました。岸さんはこうした歌との偶然の出会いを決して無駄にはせず、出会った歌と丁寧に向き合い、その歌を貪欲に「熱っぽく」妖気あふれる歌へと変貌させていきました。それができるのは、歌の基礎ができていて、実力があったからだと思います。
岸さんの「希望」は大ヒット曲となり、1970年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞しましたが、岸さんは膠原病で入院していたため、当日は欠席しました。同年の日本レコード大賞を「今日でお別れ」で受賞した菅原洋一さんは「もし岸さんが出席していれば、「希望」がレコード大賞に選ばれたはず」と後年語られています。
林部さんが、生まれてもいない頃の歌を歌おうと思ったのはどうしてなんだろうと考えました。同じ山形県の同郷で歌手になった先輩の歌を歌いたいと思ったのかもしれません。林部さんも岸さんと経緯は違うけれど、挫折や苦労を味わいながら、歌手のデビューに至った話を目にしたことがありました。世代も離れているけれど、歌えることの喜びとか、歌への情熱とか、岸さんの生き様を知って、共感するところがいくつもあったのだと思います。
ぼくがお手本としている林部さんにいうのは大変失礼なんですけど、林部さんは今も歌の上手い歌手ですけど、まだまだ伸びしろがあると思っています。聴いていてこの1年、歌に深みが増したと感じます。そして、カバー曲を歌う時のように、オリジナルの曲や歌手に向き合った上で、自分としての歌を歌う姿勢に真摯なものを感じます。いつまでも変わらずに持っていて欲しいと思います。林部さんならではの「希望」を聴くのを楽しみにしています。