DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

DAYBREAK

先日、カラオケを歌いに行っているお店の方から、「今度来られた時、男闘呼組の曲を一緒に歌って頂けませんか」というDMが来ました。

男闘呼組」と書いて「おとこぐみ」と読みます。ボーカルとギターの成田昭次さん、ボーカルとベースの高橋和也(当時は一也)さん、ボーカルとギターの岡本健一さん、ボーカルとキーボードの前田耕陽さんの4人からなるグループで、ジャニーズ事務所ジャニー喜多川さんが「楽器が弾けるグループを作りたい」と考えたのがきっかけで結成されました。1988年にシングル「DAYBREAK」でデビューし、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、同年のNHK紅白歌合戦に初出場しました。1989年には3枚目のシングル「TIME ZONE」がヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に連続出場しました。しかしその後1993年に高橋さんが突如ジャニーズ事務所を解雇され、グループは解散しました。その後、岡本さんと高橋さんは俳優として活躍し、前田さんはタレント活動を続け、成田さんは音楽活動を続けていましたがテレビへの出演はない状況でした。

7月16日にTBSで放送された「音楽の日」で男闘呼組は29年ぶりに再結成し反響も大きかったですが、成田さんの歌声に懐かしさを覚えた視聴者も多かっただろうと思います。

ぼくはこの番組は見ませんでしたが、彼らの今の姿が当時の思い出を蘇らせてくれたのだろうと思いました。さて、男闘呼組の曲で一緒に歌おうという曲は「DAYBREAK」にしようと決めました。この作品は1988年8月24日に発売されオリコンでも週刊1位を取るだけでなく、年間4位の大ヒットとなりました。作詞は大津あきらさん、作曲はMark Davisさん、編曲は松下誠さんとMark Davisさんです。大津さんは男闘呼組の作品を多く提供されたほか、中村雅俊さんの「心の色」や杉山清貴さんの「さよならのオーシャン」など大ヒット曲へも提供されました。Markさんは馬飼野康二さんの別名義です。松下さんはジャニーズの作品へのアレンジ提供が多く、KinKi Kidsの「青の時代」などコーラスアレンジも提供されています。

ジャニーズのグループの歌はユニゾンが多いですけど、いま改めて男闘呼組の歌を聴いてみると、コーラスというかハモリを前面に出していたグループだったと思います。4人とも歌えるというのはありますが、その中でも成田さんの高めなキーが歌える声は大きな特色だったのかなと思います。荒削りでも声に訴えるものがあると感じられる彼らのパフォーマンスは当時のアイドル路線には馴染まなかったのかもしれません。でも、彼らが「音楽を演奏して歌うかっこいい男性グループ」の礎を築いたからこそ、ジャニーズではその後TOKIOが長く活躍することになりましたし、音楽におけるパフォーマンスの選択肢を作ってくれたんだと思います。

さて、ぼくも「DAYBREAK」に挑戦。高橋さんパートのボーカルはこなせたものの、頼まれたのは成田さんパート。高いキーが出せなくて苦労してますけど、この曲はやっぱり原曲のキーで歌って、成田さんがソロで歌ってるCメロのところを再現したいと思ってます。


www.youtube.com


www.youtube.com

 

恋する雪 愛する空

7月に初めて曲を作ったことがきっかけで、自分がやっているソロの歌のこと以外のことも、いろいろなことにいったん目を向けて取り組んでみようと思いました。夏休みの自由研究みたいな感じです。その1つが他の歌い手さんとのコラボ歌唱です。「コラボ」とは「コラボレーション」の略語で、「コラボ歌唱」は、日頃は一緒に歌わない人たちが共同で、ある曲を歌うことをいいます。

ぼくもDAM★ともでいろいろなユーザーさんの歌にコラボさせてもらったりしたことはありますけど、何となくお相手の方とコラボしている時の自分の声が馴染めないという感覚を持っていました。それでもコラボの相手の方から「ありがとう」とか「良かったです」と言葉を頂けたりするので、そう思って頂けるならいいのかなとも思ってました。

ただ、自分の中にコラボを積極的に受ける気持ちがないから、コラボをしたとしてもハモリができないんです。だからほとんどユニゾン(unison。複数で同じ旋律を歌うこと)で歌うことしかできなくて、自由自在にハモリができる方を羨ましいと思いました。もう1つはコラボ曲を余りに知らないため、「この曲一緒に歌ってもらえませんか」と言われても、知らなくてごめんなさいと謝る自分が情けないと思ってました。結局はぼくがよく歌っているKinKi Kidsの曲を相手の方が選んでくれてコラボして頂けたんですが、人の優しさに甘えてばかりじゃだめだと痛感していました。

そういうことがあって、ぼくも「今度お会いする時は、新しいコラボ曲覚えていきますから、歌いたい曲あったらお願いします」と、何人かの方に声かけしてました。今月も会う機会ができたので、お相手のボーカリストの方から「この曲一緒にどうですか」と言われたのが、CHEMISTRYの「恋する雪 愛する空」という曲でした。

この作品は2008年11月5日に彼らの25枚目のシングルとして発売されました。作詞は田中花乃さん、作曲と編曲は山本加津彦さんです。田中さんは「花乃ルサカ」という音楽ユニットのメンバーでもあり、作詞家としてもCHEMISTRYの「君のキス」や「ALIVE」を提供されています。田中さんの作詞論として、「歌詞は歌う人のためのことば。そしてその歌を聞く人のためのことば。歌う人は、演者として歌を表現するかもしれない。聞く人は自分の事に当てはめて浸透させるかもしれない。だから、作詞に対して大切にしている事は、ことばと同じくらい如何に行間を描けるか」とコメントされていました。

この作品の歌詞で、「恋する雪」は過去の恋人に、「愛する空」は今の恋人に見立てているそうです。CHEMISTRYって冬発売の曲に味わいがあるアーティストと思っていて、「白の吐息」も好きな曲ですけど、この作品は深く知らなかったので、今回初めて向き合って聴いてみました。そして、この曲を相手の方と2人でどうやって作っていこうかなって考えてみました。堂珍さんと川畑さんで歌の世界を描いているように、ぼくは相手の方とどんな世界を描いていけるのかなって。相手の方はそもそもどういうボーカリストさんだったかなと、彼の作品も聴いてみました。歌も人と人で作るものですし。それで、他人の歌への関心とか興味が、ぼくは足りなかったんだなということをつくづく感じました。

歌ってみて印象的だったのが、各コーラスの最後のフレーズの締めが、締めた感じのメロディーになっていないことでした。「鼓動の早さじゃないはずと」「ここまで歩いてこれたんだ」「僕らは永遠と信じて」で終わる歌詞の先にある思いが、作曲家の山本さんが田中さんの歌詞を読んで作った「行間」なんだろうと思いました。

コラボもぼくがこの曲に向ける思いと、相手の方がこの曲に向ける思いは違っていると思いますけど、2人の切り口が相乗効果を生んでくれるようなステージが作れたらいいなと思います。

  

www.youtube.com

純-愛する者たちへ-

ぼくがカラオケ大会でご一緒したことがある歌の上手な方が、数日前にこんなツイートをしました。

「オンライン大会のみんなの歌唱観ながら、この人がこの歌歌ったら合うだろうな…という妄想🤔」

これに対し、何人かの方が「私はどんな曲が合いますか」ってリプを返したら、その方は「○さんはこの曲!」とすぐに次々と答えていったんです。この流れを見ていた人たちがその後30人ぐらい「自分も教えてください」と聴いていました。更には、オンライン大会を主催している人がこの動きを面白いと思ったらしく、「この方が勧めた曲を歌うオンライン大会」を企画して開催する展開になりました。

歌の上手な方って、他の方の歌もしっかりと聴いてるんだということに気づきました。聴く力を鍛えることは、自分の歌を向上させるに違いない!そう思ったので、ぼくも夏休みの自由研究で、大会でご一緒する皆さんの歌を掘り下げて聴いてみようと思いました。

さて、その方に「ぼくのも妄想できたらお願いします」とお聞きしたら、「サビが切なく張れる曲」ということで、返ってきたのが松山千春さんの「純-愛する者たちへ-」という曲でした。ぼくにとっては「サビが切なく張れる曲」というのは、自分でもカラオケ大会で選曲して歌っている自覚があったので予想できましたが、松山千春さんの曲はほとんど歌ったことがなかったので、ものすごく意外でした。「純-愛する者たちへ-」はカラオケ大会でも歌う方が時々いらっしゃって聴いたことがありましたので、自分の持ち歌にはしないという認識も持っていました。

何も知らなかったので調べてみました。この作品は1991年10月21日に松山さんの32枚目のシングルとして発売されました。松山さんが出演された東映映画「極道戦争 武闘派」の主題歌にも起用されました。セールス的にはオリコン最高50位ですから、ヒット曲を連発していた頃に比べると、芳しくはなかったようです。

松山さんが「フォークシンガーは生き様を歌ってるから、俺も含めて作品なんだ」という趣旨のことを歌番組で話していた記憶がありました。ぼくが思う松山さんの作品って、大きな愛とか、地球の中で生きる人間たちとか、スケールの大きなテーマを歌っている感じです。ぼくはそういうテーマの曲は、考えてみるとあまり選んでなくて、自分とは相性が合うのかピンときませんでした。

「純-愛する者たちへ-」を何回も聴いてみました。シンプルなメロディーに、普遍的な言葉で語られる歌詞。松山さんはパワフルな歌唱力と、心の繊細さを織り交ぜながらメッセージを発信していました。こういう作品では、飾りとしての歌唱技術は織り込むことが出来なくて、もともと本人が備えている歌唱力が試されるんですよね。

ぼくにこの曲を歌えるのかなって思う反面、ぼくにこの曲を勧めてくれた方は「サビを歌ってるアウフヘーベンさんめちゃ合いそうです」と言ってくれました。他の方から見られるぼくの歌を信じて、今日はカラオケに行って練習して歌ってきます。

 


www.youtube.com

長崎の鐘

ぼくが時々参加する「カラオケキング」というオンラインカラオケ大会では、通常の「課題曲部門」と「自由曲部門」の他に「オマケ部門」を設けています。8月の大会では「オマケ部門」の1つとして、「戦争と平和部門」が設けられました。好きな歌が歌えるのも平和な日常があってこそという主催者の方の趣旨も理解できました。せっかくの機会なので歌ってみたいと思った曲が、藤山一郎さんの「長崎の鐘」という曲でした。

ぼくも藤山さんが「長崎の鐘」を朗々と歌われるお姿を、NHKの「思い出のメロディー」や「紅白歌合戦」などで何度も見て、長崎に原爆が投下された後の惨状から希望を持って生きていこうというメッセージが込められていることは感じていましたが、この作品ができることになったエピソードは知りませんでした。

元々は、長崎医科大学助教授である永井隆さんが「長崎の鐘」という随筆を著したのがきっかけでした。永井さんは原爆の爆心地に近かった同大学での被曝の状況と、自らも重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様子を書きました。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことでした。永井さんはこの随筆を昭和21年8月には書き上げましたが、出版することについてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の検閲により当初は許可が下りませんでしたが、精神科医式場隆三郎さんなどの尽力により、昭和24年1月に出版されると、空前のベストセラーとなりました。

そしてこの随筆をモチーフにした楽曲としての「長崎の鐘」が、作詞家のサトーハチローさんと作曲家の古関裕而さんによって作られ、藤山さんの歌唱で昭和24年7月1日にコロムビアレコードからシングルとして発売されました。藤山さんは昭和26年1月3日に放送された第1回NHK紅白歌合戦の大トリでこの曲を歌唱されました。

さて、思わぬことから「長崎の鐘」を歌ってみようと思ったものの、YouTubeで藤山さんの動画を見ても歌い方に変化が見られました。それは加齢に伴う歌の勢いもありましたから、むしろ何十年と歌っていても変わらない歌の品格とか、言葉の発し方にぼくは着目しました。昭和の初期から活動していた歌手は音楽学校で声楽を習っているから、素養がカラオケ由来のぼくとはまるで違います。マイクの使い方も今とは違います。そこを念頭に置く必要がありました。それから、最近は歌を歌うときでも自分らしさを出した歌い方を求められたりしますけど、「長崎の鐘」に関しては自分らしさは横に置いて、永井さんが原爆で奥様を失い、惨禍の中でも多くの命を救うことに勤しみ、生活の平和を祈ったというその心を胸に秘めて、歌に託すものだろうと思いました。歌としてどこで調和するのかを見誤ると、聴く人にとって違和感が生まれてしまう歌になるだろう。YouTubeで何人もの方の「長崎の鐘」を聴いてみましたが、正直失敗してると感じた歌手の方が何人もいました。

その中で、藤山さん以外でいい歌と思ったのは由紀さおりさん・安田祥子さんの歌唱でした。


www.youtube.com

また、江上怜那さんという、東京藝術大学を卒業されて、歌手として活動されている方の歌唱も訴えてくるものがあって、すごく参考になりました。


www.youtube.com

ぼくもこの土日でカラオケに行って「長崎の鐘」を練習して、これならカラオケ大会の動画を出してもいいかなと思って録画しようとしたところ、DAM★ともは録音も録画もできない設定であり、うたスキ動画も録画できないことがわかりました。せっかく練習して出したかったのに…。せめてもと、iPadに歌ったものを録音して、カラオケのお店を後にしました。いつかライブできる機会があったら歌いたいです。


www.youtube.com

最後に素人の歌。

中洲・那珂川・涙街

ぼくがプロの歌手の中でステージマナーが素晴らしいと思っているのが青江三奈さんです。

子供の頃は金髪にきらびやかなドレスを着て、独特のハスキーボイスで歌う人というイメージでしたが、大人になって、歌を歌うようになってから青江さんの動画を見てみると、NHK紅白歌合戦の舞台でも緊張するそぶりなど一切見せず、自分の前に歌った歌手への敬意を示してから自分がステージに向かいお辞儀をしてから歌に入ります。お辞儀一つ取ってもその所作が堂に入っていて、それは青江さんが歌手デビューの前に、クラブ歌手として「銀巴里」を始めとする多くのステージで培ったものとも言われますが、全員がそういう素養を十分に備えるわけでもなく、青江さんの歌手としての美意識みたいなものが高かったのだろうと思います。

最近、カラオケの月刊誌を読んでいたら、観客はステージに立つ歌い手のことを見ているとき、歌唱力については全体の7%ぐらいしか関心がなくて、歌以外の所作をよく見ているものだという記事を拝見しました。青江さんの場合は歌唱力は抜群でしたが、それだけではなくプロの歌手として、きらびやかなドレスで華やかさを装い、そのドレスも洗練された美しさにこだわりを持たれていたようでした。もちろん、歌自体も個性的な歌い方でご当地ソングの情景を作り出す表現力に長けていました。

青江さんの動画を見ていたら、初めて出会った曲が「中洲・那珂川・涙街」という曲でした。この作品は、当時NHKで放送されていた「あなたのメロディー」という番組から生まれました。「あなたのメロディー」は1963年3月から1985年3月まで放送され、視聴者が作詞・作曲して応募した作品を、プロの歌手が歌うという、当時としては創造性の高い番組でした。この番組から生まれたヒット曲は、トワ・エ・モワの「空よ」、北島三郎さんの「与作」、青江三奈さんの「盛岡ブルース」、八代亜紀さんの「海猫」などがありました。そして、「中洲・那珂川・涙街」はこの番組の最終年度であった1984年度の最優秀曲に選ばれ、1985年に青江さんのシングルとして発売されました。作詞・作曲は小野正則さん、編曲は番組時は小田啓義さんでしたが、青江さんのシングルでは竜崎孝路さんとなっています。青江さんは1984年から1989年までは紅白歌合戦に出場していないため、この曲を聴く機会がなかったのだと思いました。

中洲は博多にある、博多川那珂川に挟まれた中洲にある歓楽街で、屋台のお店が立ち並ぶことで有名な場所です。ぼくは博多に行ったことはありますけど中洲に行ったことはないので、話だけは聞いたことがあります。札幌のすすきの、新宿の歌舞伎町と並ぶ歓楽街なのでイメージは湧きやすいですが、歌詞が上手く作られていて、「男が中洲(泣かす)という街で、女は中洲(泣かず)と意地を張る」というところに、夜の街で酌み交わされる男女の機微みたいなものが上手く表現されていて、「忘れんしゃい 忘れんしゃい 中洲 那珂川 風が吹く」という1コーラスの締めが、夜の情景が浮かぶいい曲だと思いました。ぼくが知らない街ですけど、風景が見える歌。そういう歌を歌えるようになりたいと思います。

 


www.youtube.com

初めての作曲

今年の3月頃、Twitterを読んでいたら、関西のラジオ番組で、パーソナリティの作詞家の先生が作った多くの歌詞に、曲を作ってみようというコンテストの企画を目にしました。さらに読むと、採用された曲は声優さんや、カラオケ世界大会KWCの日本代表にもなった是枝匠さんが歌ってCDにするとあったので、ますます興味を持ちました。

でも、ぼくは音楽を作るのに必要な機材を何も持ってませんでした。フォローしているその作詞家の方にお問い合わせしたところ、「歌だけでも、メロディー付きデモでも、特に制約はありませんが、コンテストなので、曲の良さをアピールして欲しい。どの様に歌詞をあてはめたのかわかるようにしてほしい」との回答を頂きました。

ぼくの場合、基本持っているのがiPadだけなので、パソコンを使っての作業もできませんでした。オンラインのカラオケ大会の場合は、DAM★ともうたスキ動画で歌った動画のURLを貼り付けて提出するだけなんですけど、今回のコンテストはCD-Rに収録して郵送ということでした。カラオケ大会で音源審査のためのCDを作るときは、ビッグエコーに行って、お店専用のCDを買って、カラオケの部屋にあるCDプレスの機械を使って、録音した歌をCDに入れることができますが、今回はその方法ではできません。

このことがきっかけでオーディオインターフェイスとか電子用の機材を楽器屋さんや家電量販店で見るようになりました。ぼくは基本的にお金をかけたくないタイプなので、歌にしても自分のマイクは持ってません。それでも最近は自分のマイクを選んだ方がいいとお勧め頂くこともあります。マイクの性能に頼るのもいいけど、どんなマイクでも歌えるのが歌い手なんじゃないかなってぼくは思ってるところがあります。それはともかく、CDを作る録音機器が必要だとわかったので、探し当てたのがRolandの CD-2uという機器でした。たまたま家電量販店で現品限りで販売しているのを見つけました。既に生産終了になっている商品で、Rolandでも後継商品は販売していないということだったので、ぼくには高い買い物でしたけど、その場で買いました。

肝心の作曲も、ぼくは楽譜が書けるわけではありません。多くの歌詞の中から1編の歌詞を選んで、まずは心の声を確かめるというか、思うままに歌ったものをiPadのボイスメモに録音しました。楽器も手元にはなかったんですが、これもiPadの中にあるGarageBandという音楽ソフトの中にキーボードがあったので、ボイスメモで歌ったメロディーをキーボードで弾いてみて、「ここの言葉の音はこう変えてみよう」みたいな作業をしていきました。

こういうふうにメロディーの一音一音を決めていく作業って、歌っていくうえでも役に立つなあとつくづく感じました。プロが作る作品って、言葉とメロディーがうまく合っていると思いますけど、そうなるための作業をコツコツと打ち合わせしていってるんだろうなと思いました。ぼくは、歌詞を朗読してみて、なるべくそのイントネーションに合う様な感じでメロディーを作ってみようと思いました。それと、言葉に込められた気持ちを、どの音を組み合わせたら、その気持ちを表せるのかなって考えてみました。

演奏は音源として出すにはあまりに拙かったので、歌のみを録音して、無事CDを作ることができました。コンテストということで郵送はしますけど、採用されたいという気持ちよりは、作詞家の先生に、「この歌詞でこういう曲を作ってみましたので聴いてください」っていうお知らせみたいなものかなと思っています。1曲作っただけなのに、自分の音楽の世界が広がったような気がしました。もしライブで歌うことがあったら、2曲目も作らないとって思いました。それと、楽器の演奏、ぼくの場合はピアノなんですけど、すっかり腕が錆びてしまってるので、一から演奏の練習も勉強して、アレンジも覚えないといけないんだなあと思いました。夏休みの自由研究にしようと思います。

一枚の切符

ぼくがカラオケでよく歌っているアーティストの1人である竹島宏さん。千葉テレビで毎週日曜日の9:30〜10:00に放送されている「竹島宏の歌MAX」で竹島さんの歌やトークを見ることが多いため、ぼくにとっては親近感のあるアーティストさんです。

それと、ぼくは竹島さんと声域が割と似ていると思っていまして、竹島さんの作品は無理せず歌える感じがしています。そんな竹島さんの新曲が「一枚の切符」という曲です。

この作品は2022年6月15日に竹島さんの28枚目のシングルとして発売されました。作詞は山田ひろしさん、作曲は幸耕平さん、編曲は坂本昌之さんと、前作の「プラハの橋」に続いての同じコンビでの作品提供となりました。「プラハの橋」は竹島さんが「デビュー20周年のお祝いにプレゼントして頂いた作品」と言われていました。「プラハの橋」が好評だったため、「続編」の制作が決まったんだろうと思いました。

続編のような作品って、二番煎じに留まってしまうか、別の世界を作れるのか、結構賭けみたいなものだと思っているので、「一枚の切符」は当初はあまり期待してませんでした。竹島さんが「サビから入るインパクトのある曲なんです」と紹介されて、初めて聴いたときに思ったことは、インパクトがもっと欲しいという印象でした。ここで思い浮かべたのは西城秀樹さんや野口五郎さんの歌い方でした。

秀樹さんが歌ったらもっと情熱的になるのかなとか、五郎さんが歌ったらもっとドラマチックになるのかなとか、想像してみました。

同じ作品でも、歌う人によってそれぞれの持ち味が発揮されると思いますが、竹島さんにも、秀樹さんや五郎さんとはまた違う、切々とした情感を伝えられる魅力があると思います。何回も「一枚の切符」を聴いているうちに、竹島さんの歌の魅力を確信しました。

プラハの橋」も「一枚の切符」も、竹島さんは歌の世界の主人公を演じられていると思います。演技力って歌唱力と同じくらい大事なんだと、あるミュージシャンの方がツイートされていました。その方は、レコーディングをディレクションする際はとの断りでしたが、演技力のためには理解が要り、理解するためには努力と想像力が必要とのことでした。

竹島さんは作曲の幸先生から「8ビートのノリをしっかり掴んで歌って欲しい」と指導頂いたそうです。竹島さんはリズムについては、感じることでしかその正しさがわからないものなので、リズムをきちんと感じずに歌うと「何かちょっと違う歌」になってしまうことがあり、何が違うのかについても指導を受けたそうです。「本当にうまい歌手になりたいなら、ここをクリアしないと次のステージには上がれないぞ」と言い聞かせてレッスンに臨まれていたとのことです。

そんな竹島さんがよく聴いているアーティストが西城秀樹さんとのことで、このインタビュー記事を読みながら「やっぱり」と思いました。竹島さんが西城さんの曲を歌っているシーンを見ることが何回かありましたので。竹島さんは自身が悲しい曲を歌うことが多いので、逆に元気でパワフルな曲を聴いて癒されているそうです。

タイプの違う歌手からでも学ぶことはあると思います。ぼくは竹島さんみたいに歌声で歌詞の情景を描ける歌手が好きですし、着実にもっと有名になって欲しいと思います。ぼくも竹島さんみたいにドラマのある歌を歌えるように見習いたいといつも思っています。


www.youtube.com