DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

中洲・那珂川・涙街

ぼくがプロの歌手の中でステージマナーが素晴らしいと思っているのが青江三奈さんです。

子供の頃は金髪にきらびやかなドレスを着て、独特のハスキーボイスで歌う人というイメージでしたが、大人になって、歌を歌うようになってから青江さんの動画を見てみると、NHK紅白歌合戦の舞台でも緊張するそぶりなど一切見せず、自分の前に歌った歌手への敬意を示してから自分がステージに向かいお辞儀をしてから歌に入ります。お辞儀一つ取ってもその所作が堂に入っていて、それは青江さんが歌手デビューの前に、クラブ歌手として「銀巴里」を始めとする多くのステージで培ったものとも言われますが、全員がそういう素養を十分に備えるわけでもなく、青江さんの歌手としての美意識みたいなものが高かったのだろうと思います。

最近、カラオケの月刊誌を読んでいたら、観客はステージに立つ歌い手のことを見ているとき、歌唱力については全体の7%ぐらいしか関心がなくて、歌以外の所作をよく見ているものだという記事を拝見しました。青江さんの場合は歌唱力は抜群でしたが、それだけではなくプロの歌手として、きらびやかなドレスで華やかさを装い、そのドレスも洗練された美しさにこだわりを持たれていたようでした。もちろん、歌自体も個性的な歌い方でご当地ソングの情景を作り出す表現力に長けていました。

青江さんの動画を見ていたら、初めて出会った曲が「中洲・那珂川・涙街」という曲でした。この作品は、当時NHKで放送されていた「あなたのメロディー」という番組から生まれました。「あなたのメロディー」は1963年3月から1985年3月まで放送され、視聴者が作詞・作曲して応募した作品を、プロの歌手が歌うという、当時としては創造性の高い番組でした。この番組から生まれたヒット曲は、トワ・エ・モワの「空よ」、北島三郎さんの「与作」、青江三奈さんの「盛岡ブルース」、八代亜紀さんの「海猫」などがありました。そして、「中洲・那珂川・涙街」はこの番組の最終年度であった1984年度の最優秀曲に選ばれ、1985年に青江さんのシングルとして発売されました。作詞・作曲は小野正則さん、編曲は番組時は小田啓義さんでしたが、青江さんのシングルでは竜崎孝路さんとなっています。青江さんは1984年から1989年までは紅白歌合戦に出場していないため、この曲を聴く機会がなかったのだと思いました。

中洲は博多にある、博多川那珂川に挟まれた中洲にある歓楽街で、屋台のお店が立ち並ぶことで有名な場所です。ぼくは博多に行ったことはありますけど中洲に行ったことはないので、話だけは聞いたことがあります。札幌のすすきの、新宿の歌舞伎町と並ぶ歓楽街なのでイメージは湧きやすいですが、歌詞が上手く作られていて、「男が中洲(泣かす)という街で、女は中洲(泣かず)と意地を張る」というところに、夜の街で酌み交わされる男女の機微みたいなものが上手く表現されていて、「忘れんしゃい 忘れんしゃい 中洲 那珂川 風が吹く」という1コーラスの締めが、夜の情景が浮かぶいい曲だと思いました。ぼくが知らない街ですけど、風景が見える歌。そういう歌を歌えるようになりたいと思います。

 


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