DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

長崎の鐘

ぼくが時々参加する「カラオケキング」というオンラインカラオケ大会では、通常の「課題曲部門」と「自由曲部門」の他に「オマケ部門」を設けています。8月の大会では「オマケ部門」の1つとして、「戦争と平和部門」が設けられました。好きな歌が歌えるのも平和な日常があってこそという主催者の方の趣旨も理解できました。せっかくの機会なので歌ってみたいと思った曲が、藤山一郎さんの「長崎の鐘」という曲でした。

ぼくも藤山さんが「長崎の鐘」を朗々と歌われるお姿を、NHKの「思い出のメロディー」や「紅白歌合戦」などで何度も見て、長崎に原爆が投下された後の惨状から希望を持って生きていこうというメッセージが込められていることは感じていましたが、この作品ができることになったエピソードは知りませんでした。

元々は、長崎医科大学助教授である永井隆さんが「長崎の鐘」という随筆を著したのがきっかけでした。永井さんは原爆の爆心地に近かった同大学での被曝の状況と、自らも重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様子を書きました。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことでした。永井さんはこの随筆を昭和21年8月には書き上げましたが、出版することについてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の検閲により当初は許可が下りませんでしたが、精神科医式場隆三郎さんなどの尽力により、昭和24年1月に出版されると、空前のベストセラーとなりました。

そしてこの随筆をモチーフにした楽曲としての「長崎の鐘」が、作詞家のサトーハチローさんと作曲家の古関裕而さんによって作られ、藤山さんの歌唱で昭和24年7月1日にコロムビアレコードからシングルとして発売されました。藤山さんは昭和26年1月3日に放送された第1回NHK紅白歌合戦の大トリでこの曲を歌唱されました。

さて、思わぬことから「長崎の鐘」を歌ってみようと思ったものの、YouTubeで藤山さんの動画を見ても歌い方に変化が見られました。それは加齢に伴う歌の勢いもありましたから、むしろ何十年と歌っていても変わらない歌の品格とか、言葉の発し方にぼくは着目しました。昭和の初期から活動していた歌手は音楽学校で声楽を習っているから、素養がカラオケ由来のぼくとはまるで違います。マイクの使い方も今とは違います。そこを念頭に置く必要がありました。それから、最近は歌を歌うときでも自分らしさを出した歌い方を求められたりしますけど、「長崎の鐘」に関しては自分らしさは横に置いて、永井さんが原爆で奥様を失い、惨禍の中でも多くの命を救うことに勤しみ、生活の平和を祈ったというその心を胸に秘めて、歌に託すものだろうと思いました。歌としてどこで調和するのかを見誤ると、聴く人にとって違和感が生まれてしまう歌になるだろう。YouTubeで何人もの方の「長崎の鐘」を聴いてみましたが、正直失敗してると感じた歌手の方が何人もいました。

その中で、藤山さん以外でいい歌と思ったのは由紀さおりさん・安田祥子さんの歌唱でした。


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また、江上怜那さんという、東京藝術大学を卒業されて、歌手として活動されている方の歌唱も訴えてくるものがあって、すごく参考になりました。


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ぼくもこの土日でカラオケに行って「長崎の鐘」を練習して、これならカラオケ大会の動画を出してもいいかなと思って録画しようとしたところ、DAM★ともは録音も録画もできない設定であり、うたスキ動画も録画できないことがわかりました。せっかく練習して出したかったのに…。せめてもと、iPadに歌ったものを録音して、カラオケのお店を後にしました。いつかライブできる機会があったら歌いたいです。


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最後に素人の歌。