DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

夜カラ

ぼくはカラオケを楽しむときはDAM★ともヒトカラをやっていますが、人前で歌ってみようかなと思ったときはカラオケスナックのお店に行って、カラオケを楽しんでいます。

このお店はカラオケ大会でご一緒した方がよく行かれているのをTwitterで見て、どういうお店なのかなと興味を持つようになって、何回か行くようになりました。今月は時間ができたこともあって、2回ほど夜カラに行って来ました。

コロナ騒動の最中ですから、カラオケと聞いただけで、あたかも感染源のような、まるで敵のような言い方をされる方もいらっしゃいますが、このお店はマスターの方が感染予防対策を十分に施していらっしゃいますし、来店も事前に予約してお客さんの人数も数名に限定して営業していますので、安全な空間で音楽を楽しむことができます。もちろんぼく自身も含めて、お客さんの側も健康に問題がないことを確認した上でお店にお伺いしています。

そういうお客さんたちは基本的に歌が上手い方ばかりで、少しは飲んだり食べたりしますけど、約3時間歌うことに集中して、自分の歌をマスターとママさんと他のお客さんに聴いて頂く場所という感じです。そういう時って、ヒトカラのように自分の欲求だけで歌うという訳にはいかなくて、目の前にいる皆さんに向かって歌おうっていう気持ちになるわけです。ぼくは自分の歌声を通じて、他の皆さんが知らない曲を伝えようとしますけど、結構興味を持って聴いてくださる方が多いので、歌に対する関心の高さを改めて感じています。

カラオケ大会でご一緒した方とこのお店で出くわしたことはまだなくて、初めてお会いする方とご一緒する訳ですが、同じ時間を共有するにつれて、歌や音楽についてのお話も弾むようになってきますので、ある意味歌よりも興味深い話を教えて頂いたりします。

先日ご一緒したお客さんはジャニーズの曲についても詳しくご存知の方で、ママさんもジャニーズのタレントさんの話は詳しそうでしたので、ぼくも日頃はヒトカラでしか歌っていない、ちょっとレアなジャニーズの曲を、A.B.C.Zや中山優馬さんの曲など何曲か歌ってみたら意外に盛り上がってしまって、そのお客さんにも、ぼくが知らないKinKi Kidsタッキー&翼のレア曲を教えて頂いたりで、楽しめて学べることがいっぱいある時間でした。

歌とか声とかについても話をしましたけど、コラボして歌うときにも2人が自己主張だけしていても歌としては上手くても聴き心地は決して良くはなくて、メインならメインの役割に、ハモリならハモリの役割に徹してやらないと、声が融合してくれないという経験談を話したりしました。1人で歌う時も、こんなに歌の技術が使えるんだという主張が強い歌い方をされる方が、カラオケ大会ではまあまあいらっしゃいます。自己主張は必要なんですけど、それが余りに強すぎると、歌声に対する反発心がぼくは芽生えてしまうことがあったりして、上手いのは分かっていても、響いてはこないことがあります。ぼくは元々そこまでの技術力はありませんので、聴く方に向けて歌うように心がけています。どれだけ寄り添えているのかは自分でも全く分かってないんですけど、こういうお店で歌わせて頂くと、歌をぼくが思っている以上に褒めて頂くことがあって、そういう感想のときはちょっと気恥ずかしかったりしています。もちろん、歌っていても逆に余り響いていないんだなと感じるときもあったりしますので、人前で歌うことは、歌の勉強をしているぼくにとっては良い刺激になっています。

 

 

 

サンセット・メモリー

日本の歌謡史においては昭和の歌謡曲は欠かせないところです。今の音楽のベースになっていることは勿論ですけど、当時は歌手も作品もバラエティに富んでいたと思います。

1980年代は昭和の最後になりますけど、アイドルが全盛を誇っていた時代ですが、ニューミュージックも大衆に溶け込む音楽へと変わっていった時期でもありました。この時代のヒット曲として思い出したのが、杉村尚美さんの「サンセット・メモリー」という曲でした。

この作品は1981年1月25日に杉村さんのソロデビューシングルとして発売されました。作詞は竜真知子さん、作曲・編曲は木森敏之さんです。杉村さんは日暮しというフォークグループのボーカルとして1972年から活動されていましたが、1979年に日暮しは解散し、1年間の休養をしていた頃でした。当時は気楽なアマチュアの音楽活動を楽しもうかなと思っていた矢先に、この作品を歌う話が舞い込んだそうです。メロディーを聴いてこれは売れ線の曲と察知した杉村さんは、ヒットすることへの不安がよぎったそうです。そして、この作品は「炎の犬」というドラマの主題歌に採用されることが決まり、杉村さんの不安は増したそうです。

実はこの「炎の犬」というドラマも突然作られることになったドラマでした。勝新太郎さんが主演で放送していた「警視-K」というドラマが視聴率や予算の問題で2クールの予定が1クールで打ち切りとなり、4月スタートのドラマまでの中継ぎで制作されたのが「炎の犬」でした。杉村さんの主題歌起用もいわば偶然の産物でした。

「炎の犬」も視聴率が10%以上と意外な健闘を見せると共に、「サンセット・メモリー」も着実に上位へとランクアップしていき、当時のベストテン番組にも出演をされていました。高音が伸びる綺麗な声がとても印象的でした。作曲の木森さんは1987年に岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」を提供しましたが、そのモチーフはこの「サンセット・メモリー」にあったのかなと思います。この年のオリコンシングル年間27位ですから、ぼくが思っていたよりも大ヒット曲だったんだなと思います。

杉村さんは芸能界の水には合わなかったそうで、その後29才で結婚を機に引退され、現在も歌番組への出演依頼はお断りされているそうです。

 


sunset memory Naomi Sugimura サンセット・メモリー 杉村尚美

 

 


炎の犬第1話OP 1981年放送

Imitation Rain

先日、カラオケでジャニーズの曲を久しぶりに人前で歌う機会がありました。この時はKinKi KidsSexy Zoneの曲を歌って楽しみました。その時に「キンプリとかストーンズも歌えますか」と聞かれて、「それは歌えません」と答えたんですが、SixTONESストーンズ)のデビュー曲「Imitation Rain」は宣伝で聴こえた曲のフレーズが何となく気になっていました。それでその翌日から、DAM★ともでこの曲を練習することにしました。

この作品は2020年1月22日にSixTONESのデビューシングルとして発売されました。作詞・作曲・編曲はX  JAPANのYOSHIKIさんが作られました。既に作品を聴かれた方はおわかりでしょうが、メロディーやピアノのアレンジがYOSHIKIさんの世界が広がっている感じです。曲名からして、X  JAPANの「ENDRESS RAIN」を彷彿させる「Imitation Rain」、歌詞には「紅に染まるまで 雨に打たれて」という一節が何度も出てきます。

ジャニーズのアーティストのデビュー曲の依頼というのは、オファーされたアーティストには大ヒットすることが命題であったりして、相当なプレッシャーだそうです。作詞家の松本隆さんはKinKi Kidsの2人に会って話をして、「硝子の少年」の作詞を着想されたそうですが、YOSHIKIさんもおそらくSixTONESの6人の映像をご覧になられて、「Imitation Rain」というテーマを決めたのではないかと思えるのです。歌詞を読んだ時に、これは6人の心情を読み取って書いているのかなと感じたからです。

彼ら6人は2012年に「私立バカレア高校」というドラマで共演しますが、ドラマの終了後はバラバラに活動します。ジャニーズJr.の中には多くのグループが結成と消滅を繰り返しています。デビュー前の競争が熾烈なわけです。松村北斗さんと高地優吾さんはB.I.Shadowというグループにいましたが、ここにいた中島健人さんと菊池風磨さんがSexy Zoneとしてデビューしたため、このグループは実質解散する悲哀を味わいました。その後、ジャニー喜多川さんに直訴して、この6人でのジャニーズJr.コンサートを開催しました。それがきっかけで、2015年に6人はSixTONESとして結成されました。最大の危機は2018年に、彼らよりも若いメンバーによるグループ「King&Prince」のCDデビューが発表された時に、ジャニーさんが「事務所のグループが多すぎるので、もうこれ以上CDデビューはさせない」主旨の発言をしたとされたときでした。下積みを続けている彼らにとっては本当に心が折れる思いだったと思います。しかしその1年後、ジャニーさんは倒れる直前に、SixTONESのデビューを決断し、彼らはやっとデビューを掴むことができたわけです。

そういう紆余曲折の中で葛藤しながらも健気に活動している彼らを、YOSHIKIさんは雨の中で儚さと憂いを持った情熱の花に見立てたのかもしれません。この作品のラストのサビで京本大我さんが歌うハイトーンボイスは彼らの叫びと誓いのようにも聴こえました。

YOSHIKIさんは作詞について、抽象的な表現のようで、実は核心に突き刺さっている詞が好きで、ポジティブなエネルギーはネガティブなエネルギーを引き出すことによって引き立つという考えだそうです。どんな逆境があっても、6人で生きていく覚悟を決めた以上、雨に打たれても夢の世界へ進んでいけるポジティブなエネルギーでしょうか。

日頃の6人は仲の良さを感じるグループで、何となくそういうチームワークはSMAPの初期の頃を思い起こさせてくれます。それにしても京本さん、歌がむちゃくちゃ上手くなったなあって思います。ぼくにはラストのハイトーンは到底出せませんけど、歌詞やメロディーに込めた思いは何とか歌えたらいいなあと考えています。


SixTONES - Imitation Rain (Music Video) [YouTube Ver.]

 

 

 

 

Sexy Zone

カラオケで歌うことは言い換えると、主にアマチュアの方がプロの歌手の原曲をカバーして歌うことでもあります。近年はカラオケで歌った録音や動画を、SNSを使って公開や配信をする方も多いです。最近はコロナ騒動の影響で、現場での仕事が制約されているプロの歌手の方も、YouTubeを使っての配信活動が多くなっています。

先週、ヴィジュアル系バンドの動画を見ていたときに、急に目に止まったのがアリス九號.(アリスナイン)というバンドが、Sexy Zoneのデビュー曲である「Sexy Zone」をカバーした動画でした。

アリス九號.は2004年に結成された5人組のヴィジュアル系ロックバンドで、バンド名はマネジメントの事情もあって、Alice NineだったりA9だったりしたときもありますが、今はバンド名を元に戻しています。メンバーは結成時から変わっていません。

シングル曲が何曲もベスト10入りしていたので、ぼくも名前は知っていましたが、彼らの曲を聞くことはほとんどありませんでした。久しぶりに彼らの姿を見て、活動を続けていたのがわかってなぜか嬉しかったです。記憶ではヴィジュアル系メイクで歌っていたと思いましたが、この動画ではヴィジュアル系ではなく、綺麗系な男性のメイクで、雰囲気も確か可愛い感じだったのが、大人の男性になっていました。

Sexy Zoneというグループは、当時のジャニー喜多川さんがジャニーズJr.の中から5人を選んで、マイケル・ジャクソンのようなセクシーさを目指して欲しい願いで名付けられ、彼らが2011年11月16日に発売されたデビュー曲が「Sexy Zone」という曲でした。作詞がsatomiさん、作曲が馬飼野康二さん、編曲がchokkakuさんと、ジャニーズのヒット曲を提供してきた方々で、Sexy  Zone の5人が夢に向かって進んでいくぞみたいな彼らのテーマ曲のようでした。当時の中島健人さんが最年長でも17才、マリウス葉さんが最年少で10才で、セクシーというよりは、可愛らしさが前面に出ていた曲でした。

さて、今回、その「Sexy Zone」をカバーしたアリス九號.の演奏が、ぼくはいいカバーだと思いました。もともと、ベースの沙我さんが中島さんのファンということもあり、今回の企画が実現したそうですが、ボーカルの将さんも演奏の4人も、原曲がそもそももっている世界を崩すことはせずに、ロックテイストな仕上がりで自分たちの色をしっかり出していました。ぼくは彼らの演奏を聴いて、改めてこの作品の良さを認識して、こんなにいい曲だったんだと気づかされました。Sexy Zoneのファンの方もアリス九號.の演奏に好意的な方が多かったのも、今までではあまり考えられないことでした。バンドのファンとジャニーズのファンはもともと相容れないものという認識が強かったからですけど、人の音楽の好みはそれぞれで、バンドもジャニーズも好きな方もいますし、ぼく自身はジャンル間の違いって思っているほどなくて、むしろジャンル間で融合した方が新しい音楽も生まれるだろうという考えがもともとありますので、こういうカバー自体がとてもいいことだと思いました。

こういうことを機会に、ぼくもアリス九號.のオリジナル曲を聴こうと思って何曲か聴きましたし、Sexy Zone の曲も久しぶりに聴きました。自分とは違うジャンルの音楽を知ることで、自分の音楽の素養もまた深まると思います。


アリス九號. / Sexy Zone (Sexy Zone cover)

月下の夜想曲

ぼくはカラオケで歌う新しい曲を常に探していますけど、ユーザーさんが歌われている曲がヒントになることが結構あったりします。最近、ヴィジュアル系バンドの曲を聴く機会がありまして、その中で気になった曲が、MALICE MIZERマリスミゼル)の「月下の夜想曲」という曲でした。

ヴィジュアル系バンドの定義は難しいんですが、主に男性のロックバンドで、化粧とか衣装を含めたファッションで、作品の世界観を表現していたバンドをいいます。かつて、L'Arc-en-CielのHydeさんが、ヴィジュアル系と紹介されたことに腹を立てて、NHKの「ポップジャム」の収録を拒否した事件もありましたけど、1990年代の日本のロックバンドはL'Arc-en-Cielも、LUNA SEAも、X  JAPANも、GLAYも多分にヴィジュアル系的色彩は一定に持っていたと思います。歌謡史的にはヴィジュアル系四天王と呼ばれたのは、SHAZNA、La′cryma Christi、FANATIC♢CRISIS、そしてMALICE MIZERの4組でした。MALICE MIZERは世界観の構築への拘りが徹底していて、彼らが活動していた時期にぼくも彼らの音楽に踏み入れるのを躊躇っていました。

月下の夜想曲」は1998年2月11日に彼らのメジャー3枚目のシングルとして発売されました。当時のボーカルはGACKTさんで、MALICE MIZERが最も脚光を浴びた時期であったと思います。作詞はGACKTさん、作曲はギターのKoziさんが作られました。演奏に出てくるアコーディオンcobaさんに依頼して一発録りしてもらったそうです。歌詞は童話を思わせる展開で、少年が森の小屋に行って見つけたピエロを抱いて屋敷に行って、そこにいた少女の人形とピエロは互いに見つめ合い、今日が最後の夜だからと踊り明かすという内容で、彼らのパフォーマンスにおいても、Koziさんが赤い衣装のピエロに扮し、Manaさんが青い衣装のフランス人形に扮して、舞台でも強烈な印象を与えています。

ぼくはリリースして22年が経ったいま初めて、この作品をしっかりと聴きましたが、中世のヨーロッパを思わせるような、どこか耽美的で、どこかクラシカルなものを感じて、ロックでも歌謡曲でもないような新しさがそこにはあったんだなと思いました。そして、ぼくはこの曲を歌ってみたいと思います。できたら、踊ってもみたいような。


-HQ- 月下の夜想曲 / MALICE MIZER / Gackt

デジタル・ナイト・ララバイ

オンラインのカラオケ大会で、女性アイドルになりきって歌った動画で競うという企画がありました。主催者からは女性アイドルの例ということで松田聖子さん、中森明菜さん、浜崎あゆみさんを挙げていました。

日本の歌謡史の中でも多くの女性アイドル歌手が活躍していたのは、1980年から1985年にかけてだったと思いますし、そのきっかけを作ったのは1980年デビューの人たちでした。

男性は田原俊彦さんでしたが、女性は松田聖子さん、河合奈保子さん、柏原芳恵さんが活躍して、この4人はデビュー2年目の1981年に日本レコード大賞が新設したゴールデン・アイドル賞を受賞しました。岩崎良美さん、松村和子さん、三原順子さんもヒット曲を出して、その後NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。

賞レースが華やかであった当時、レコード大賞をはじめ各音楽祭の新人賞は通常5組でしたが、1980年は新人の活躍と競争が熾烈であったため、受賞を7組に増やした音楽祭もありました。その中で7番目に選ばれていた印象が強かったのが、石坂智子さんという女性アイドル歌手でした。

石坂さんは1979年の東芝タレントスカウトキャラバンで優勝し、1980年6月21日にシングル「ありがとう」でデビューしました。田原さんが主演だったテレビドラマ「ただいま放課後」の主題歌にもなってヒットはしましたが、田原さん、松田さん、岩崎さんに加え、香取洋子さんも活躍して、あまり目立つ状況ではありませんでした。それで、1枚目の「ありがとう」とは全く違う路線で、1980年9月21日に発売された2枚目のシングルが「デジタル・ナイト・ララバイ」という曲でした。目指したのは、山口百恵さんが歌っていた阿木燿子さん・宇崎竜童さんが作っていた大人のちょっと突っ張った女性の雰囲気だろうと思いましたし、子供の頃見た時も「この人随分変わったなあ」というのがわかりました。「ありがとう」も「デジタル・ナイト・ララバイ」も、作詞・作曲は伊藤薫さん、編曲は大村雅朗さんで、これほど対照的な作品を同じ歌手に対して作れたなあと思いましたし、そういう求めに対して、当時17才だった石坂さんがそのことを理解して、ステージでその作品のイメージを出して歌っていたんだなあと、今動画を見て振り返ってそう感じました。

イメージチェンジが功を奏したのか、「日本テレビ音楽祭」では新人賞候補7人に選ばれ、「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭」でも新人奨励賞7人に選ばれ、「FNS歌謡祭」では新人賞6人に選ばれ、「日本歌謡大賞」では放送音楽新人賞候補7人に選ばれました。ぼくの記憶以上に受賞をしていました。

石坂さんは1981年8月に5枚目のシングル「北国へ」を最後に芸能界を引退しました。歌手を目指してデビューしたのに、2年弱で引退した心境はわかりませんけど、特にファンでも何でもなかったぼくでも、すごく頑張っていた印象が今でも強く残っています。

最初の話題に出していた、女性アイドルになりきって歌う動画も、歌が好きな人たちがやるわけですから、石坂さんのような、メジャーではない歌手をテーマにした動画も出して欲しいなあと思います。

何で石坂さんのことを思い出したのかなって。ぼくは歌はやめませんけど、今の自分の立ち位置とか、努力している姿勢に、どこか親近感を覚えたのかもしれません。


【HD】 石坂智子/デジタル・ナイト・ララバイ (1980年)


【HD】 石坂智子/ありがとう (1980年)

 

 

 

君を求めて

ぼくが1年前から何となく気になっていた歌手の方がいまして、それは演歌歌手の新浜レオンさんという方でした。毎週月曜日、20時から千葉テレビの「カラオケ大賞」を見た後は、21時からBS−TBSの「吉田類の酒場放浪記」を見るのがぼくのお決まりコースなのですが、ある日チャンネルを変えるのを忘れてたまたま見たのが、21時から千葉テレビで放送されている「はじめまして!僕、新浜レオンです!!」という番組でした。令和元年5月1日にデビューした若い男性の歌手で、でも売り込みに行く所がなくて、千葉県出身の僕が千葉を盛り上げていきます!みたいな前口上だったと思います。新浜(にいはま)レオンさんという名前を聞いて、最初は男性か女性か、日本人か外国人かもわからず、演歌を歌う男性の方なのだとその時初めて知りました。デビュー曲の「離さない 離さない」を聴いたときに、ふとイメージが浮かんだのがにしきのあきらさんでした。男性演歌歌手も有望な方が群雄割拠していますから、これも1つの戦略と思いましたが、その後新浜さんへの関心は一旦なくなりました。

今年の5月頃だったか、YouTubeで「君を求めて」と「佐原の町並み」が配信されているのを見て、久しぶりに新浜さんの番組を見てみました。時あたかもコロナ騒動の最中、ロケもできず収録のスタジオで話している新浜さんを見ました。明らかにデビュー直後よりもしっかりとした話し方に変わっていました。歌手としての新浜レオンさんに関心を持つようになり、吉田類さんの番組を見る前に、レオンさんの番組を見るようになりました。

レオンさんのお父さんは高城靖雄さんという演歌歌手の方で、「伯方の塩」のCMで歌っている方といえばお分かりになる方も多いと思います。レオンさんもお父さんの影響を受けて、演歌歌手になろうと志したわけですが、ぼくがちょっと驚いたのは、レオンさんが大学生の時の写真を見たとき、今とはイメージが違うんですよね。ちょっとゴツいぐらいのスポーツ体型をした若者という感じでその姿もまた爽やかなんですけど、デビュー前に10kg程度の減量をして今の体型になったそうです。これはダイエットという意味では全くなくて、おそらく描いている「歌手新浜レオン」を実現するために相当な努力をしているわけで、その歌手像をしっかりと貫いているレオンさんの精神力の強さは見上げたものだなと思ったわけです。

それでレオンさんの歌にも興味を持つようになりました。「君を求めて」は作詞がセリザワケイコさん、作曲と編曲が馬飼野康二さんです。馬飼野さんは日本の歌謡曲を支えている作家の1人であり、ぼくは編曲の方の印象が強いですけど、作曲としても西城秀樹さんの作品を多く提供され、「激しい恋」や「傷だらけのローラ」もその1つです。馬飼野さんは西城さん、野口五郎さん、郷ひろみさんの「新御三家」の中では、「レオンさんは秀樹に似ている」んだそうです。でも歌い方は勿論違いますから、今回の作品を作るにあたっても無理のない声を確認しながら作っていったそうです。こういう作品の作り方って割と大事なことだと思います。歌の良さを反映していくには、歌う人の特性を見極めていくのが、結果として作品の出来栄えにも影響すると思うんですね。わざと無理なメロディーを与えて、本人の能力を引き出させるやり方もありますけど、やっぱり本人の良さを引き出すやり方の方がぼくは好きですね。

DAM★ともでは既に配信されていましたので、「君を求めて」を歌ってみました。すごく懐かしさもありながら、キャッチーでヒット曲の肝を外さないメロディーだなあと歌いながら、「この曲ってひょっとしたら化けるんじゃないかな」と数日前に思ったんですね。

数時間前、「君を求めて」がオリコンの総合ランキングで7位になったというニュースを知り驚きました。ぼくは「君を求めて」も王道な曲で良いと思ってますけど、カップリングの「佐原の町並み」もまた良質な曲だと思ってまして、いまの若手演歌歌手の中で紅白歌合戦出場に最も近いのは新浜レオンさんではないのかなと密かに思っています。

ぼくもDAM★ともで「君を求めて」を録音したかったのですが、著作権の都合で今は録音不可とのこと。早く録音できる状況になって欲しいですね。


新浜レオン「君を求めて」ミュージックビデオ(フル Ver.)【公式】