DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

僕の半分

稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの3人によるAbemaTVの新番組「7.2新しい別の窓」の第1回放送の「7.2時間」が無事終了しました。番組のテーマソング「72かのナニかの何?」について4月2日に書きましたが、ぼくのブログのアクセスも「今まで見たこともない世界」に到達し、改めて「新しい地図」の3人が持っている潜在力の凄さをひしひしと感じています。それだけ視聴者の需要があるんですよね。

「72かのナニかの何?」の作曲者である山下宏明さんのTwitterには、1,341件のリツイートと3,184件のいいねがありました。山下さんも

「72かのナニかの何?」につきまして本当にたくさんのコメント、いいね等頂きありがとうございます。私個人としましては、とにかくなにより絶妙な詞を書いて頂けた!ということと、ご本人たちに振り付きで歌って頂けたことが本当に幸せでした。

とツイートされていました。

さて、「7.2新しい別の窓」の第2回放送のゲストは斉藤和義さんです。斉藤さんは2011年にSMAPに「僕の半分」というシングル曲を提供しています。アイドルの曲とは思えないほど、アコースティック・ギターの音色をずっと感じながら、一途な男性の思いを歌った失恋バラードです。斉藤さんから提供されてすぐにはシングル曲のリリースが決まらなかったそうです。でも、肩肘が張ってなくて、無理がない音楽というのがSMAPの最大の良さであり、そのポイントは押さえつつ、等身大の男性の気持ちを歌えていて、新境地を開いた曲だったなあと思います。ビクター・エンターテイメントの人たちも、この作品を聴いて奥底に秘めた良さを感じて、シングルリリースを決断してくれたのかなと思います。SMAPの曲の中では確かに地味ですが、10年後、20年後も歌えて、その歌に深みが出てくるような作品と思うし、ぼくもこの作品は好きなのでDAM★ともで公開したことがあります。

Youtubeで「僕の半分」を歌われている方の動画です。歌の世界を感じていただければと思います。


【Cover】 僕の半分 _ SMAP

 

72かのナニかの何?

SMAP稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの3人による、AbemaTVの新レギュラー番組「7.2新しい別の窓」が、今日1日の17時からスタートしました。番組名のとおり、毎月第1日曜日に7.2時間生放送で配信されます。この中で、彼ら「新しい地図」は、持ち歌である「72」と「雨あがりのステップ」を生歌で披露しましたが、続けて、この番組のテーマソングとして「72かのナニかの何?」(なにかのなにかのなに)を発表しました。作詞は大竹創作さん、作曲・編曲は山下宏明さんです。大竹さんはSMAPの「シャレオツ」の作詞を提供された方です。山下さんはコマーシャルソングや劇伴(げきはん。映画、テレビドラマ、演劇などで流れる伴奏音楽。)を作られている作曲家の方です。山下さんのTwitterを読むと、3月頃から曲を作り始めたようです。

3人が歌う歌詞や曲の感じを聴いて、番組は「SNSバラエティ」ということですが、ぼくは新しい形の音楽バラエティ番組を標榜しているのかなと思いました。番組のスタートもゆずとの合同ライブで始まりましたし。

「新しい別の窓」は「アベマ」の略とも言っていましたが、思えば日本の歌謡史における初めての音楽バラエティ番組は日本テレビの「光子の窓」でした。1958年5月から1960年12月まで、女優の草笛光子さんをメインに据えて、歌やコントを毎週日曜日の30分間放送しました。その後、NHKが1961年4月から1966年4月まで、歌謡史に残る大ヒット番組「夢であいましょう」を放送しました。歌手がコントに出演したり、コメディアンが歌を歌ったりする番組のスタイルは、その後の音楽バラエティ番組のパイオニアとなりました。「今月のうた」というコーナーでは、永六輔さんの作詞、中村八大さんの作詞により、毎月新曲が多くの歌手によって披露され、坂本九さんの「上を向いて歩こう」、ジェリー藤尾さんの「遠くへ行きたい」、梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」といった大ヒット曲が生まれました。

「72かのナニかの何?」は毎月歌っていくことによって歌詞にも深みが出てきそうな感じがします。ジャニーズ事務所が「SMAP時代の歌は歌わせない」んだそうですが、音楽は世に出た時点で、それぞれの人の心にあるものだと思います。持ち歌がないなら、新しい曲を、みんなの心に届く曲を1曲、2曲と作っていけばいいんです。そしてもう3曲目ができましたし。稲垣さん、草彅さん、香取さんの3人が歌っていても、ぼくには何だかSMAPの5人が歌っているように思えるときがあります。彼らの歌には、3人の声が調和することで、人を惹きつける力を生み出しているように思います。

愛は勝つ

例年よりも1週間ぐらい早い感じで、東京の桜はすでに満開の状況です。千鳥が渕とか目黒川とか東京の桜の観光名所は数多くありますけど、ぼくにとって東京の桜は日常の生活のそばに咲いている印象で、例えば通勤途中の駅前の交差点に咲いている枝ぶりの良い桜とか、近所の古くからあるお寺さんの入口に堂々とそびえ立っている桜とか、何てことない場所でものすごい存在感を示してくれています。

「桜」のヒット曲も数多くありますけど、満開の桜を愛でるような明るい曲よりは、1週間程度で儚く散ってしまう桜への思いから、卒業の別れとか失恋とかを歌った曲が多いと思います。年度替わりは、引っ越しで新しい生活を迎える人たちも多いし、特に変わりがない人たちも、4月からの生活にどうしても期待と不安が入り混じってしまいます。そんな揺れ動く自分を元気づけるのに、前向きな歌を歌って見るといいかもしれません。その1曲がKANさんの「愛は勝つ」という曲です。

この作品は元々、KANさんの5枚目のアルバム「野球選手が夢だった。」の1曲として収録されましたが、大阪のFM局であるFM802が「愛は勝つ」をヘビーローテーションでかけまくったことがきっかけで、1990年9月1日にKANさんの8枚目のシングルとして発売されました。テレビ朝日系の「クイズおもしろTV」のエンディング曲に選ばれたものの、ここではヒットには結びつきませんでした。その後、フジテレビ系の「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌に選ばれたことをきっかけに爆発的な大ヒットへと繋がりました。1991年の日本レコード大賞を受賞するとともに、同年の紅白歌合戦にも初出場し、モーツァルトに扮してピアノを弾きながら熱唱した姿は記憶に残っています。

大ヒットの背景としてあるのは、FM802のプロデューサーもフジテレビのプロデューサーも、「番組で使う音楽を探す」ということで、片っ端から色々な曲を聴いてくれたからこそ、自分の曲を見つけてくれたという、幅広い音楽への関心を持つ人の存在です。それと、自分の音楽を認めてくれる人と相性や波長がどれだけ合っているかというのもポイントです。KANさんはビリー・ジョエルBilly Joel)の「アップタウン・ガール(Uptown Girl)」を意識して「愛は勝つ」を作ったそうです。曲がストレートでわかりやすいし、歌詞も前向きな内容なので、この作品を聴いたフジテレビのプロデューサーは、「必ず最後に愛は勝つ」という歌詞の一節に、かつての吉田拓郎さんがフォークを歌い叫んでいた頃と同じものを感じたので、挿入歌に起用したそうです。自分の日頃の仕事は、近くにいる人だけではなくて、知りもしない思いがけない人が見てくれている。意外と、何にでもあてはまることなのかなって思います。


KAN/愛は勝つ


Billy Joel - Uptown Girl

さよならエレジー

いまの若手俳優の中で注目されている1人である菅田将暉さん、彼の「さよならエレジー」という曲をYoutubeで聴きましたが、役者さんとしての個性だけではなく、歌手としての本気度を思わせるような新たな魅力を感じています。

「さよならエレジー」は2018年2月21日に菅田さんの3枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は石崎ひゅーいさんです。オリコンでは今のところ最高12位ですが、Youtubeの再生回数は2,000万回を超えているので、反響が大きいんだと思います。どこか懐かしさを漂わせるサウンドが作品の底流にあって、でもどこか尖っていて今どきの心の葛藤感も感じるし、ここ20年位のJ-POPの主流にあった音楽とは一線を画しているような姿勢も感じるし、ある意味での新しい作品を世に出してくれたなあと思います。昭和の芸能界というのは人気の栄枯盛衰が激しかったように思いますが、平成の芸能界は栄枯盛衰がわかりにくい面があって、芸人も歌手も役者も妙な長持ちをするというか、そのせいで新陳代謝が足りないという思いがあります。歌謡界もここ数年、変化を感じません。何か新しい音楽を一般大衆は求めているのだと思います。

さて、菅田さんはこの3月21日にデビューアルバム「PLAY」を発売しました。参加したアーティストは菅田さんが敬愛する人たちばかりだったそうで、秋田ひろむさん、石崎ひゅーいさん、柴田隆浩さん、渡辺大知さんという彼らのコメントの一語一語を読んでいると、「音楽が好きで何曲も作ったよ」という気持ちと満足感がすごく出ています。秋田さんは菅田さんを「理想に向かって走り続ける愚直な青年」のイメージで、「彼の、聴く人の胸にささくれを残す声」に何か駆り立てられる気持ちになったと。石崎ひゅーいさんは、菅田さんの舞台を見て「繊細で力強く、今にも死にそうで無骨で儚くて、それなのに美しい姿は僕の目指す表現と凄く似ているな」と思ったそうです。その後、菅田さんと石崎さんは出会って、色々な話をして、夏休みの宿題のように15曲を作り上げたと。そして音楽は最高の遊びということを思い出させてもらったと。柴田さんは菅田さんとのやりとりで、「歌詞をください」と書いたらすぐに彼から「ほんとうのこと、心の叫び」が書かれて返ってきたから、超テンションあがって、速効曲を書いてしまったと。一緒に物を作った。嘘をつかなかった。これがロックンロールだと。渡辺さんは菅田さんと好きなものの空気が似ていると感じた。誰もやってないことに挑戦してやろうという覚悟を感じます。彼が歌を歌うことは、新しい表現に飢えてる下の世代の刺激になると思うと。4人4様で菅田さんを語っていますが、音楽への思いも感じたコメントで、ぼくは音楽でのこういう会話ってすごく好きです。

さよならエレジーの歌詞の冒頭で、「僕は今 無口な空に 吐き出した 孤独という名の雲」という一節があるんですが、ここを聴いて思い出してしまったのが、京都の六波羅蜜寺にある「空也(くうや)上人(しょうにん)の像」です。

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口元から吐き出しているのは、6体の阿弥陀仏の小さな像なんですが、南無阿弥陀仏と唱えている様子を視覚的に表現しているんですよね。まあ、さよならエレジーとは関係ないですけど。


MV 菅田将暉 『さよならエレジー』 [Ost. トドメの接吻] / Masaki Suda - Sayonara Elegy (Ost. Todome no Kiss)

 

 

狙いうち

あまりにも歌手の個性が強すぎて、素人あるいは他の歌手が歌っても、いま一つ歌い切れていない場合はよくあると思います。山本リンダさんの「狙いうち」もそんな1曲です。

狙いうち」は1973年2月25日にリンダさんのシングルとして発売され、その年の第24回紅白歌合戦でも歌唱されました。作詞は阿久悠さん、作曲・編曲は都倉俊一さんというリンダさんの一連のヒット曲のコンビですが、この作品は歌謡史の中でも一二を争うほどの「ぶっとんだ歌詞」で知られています。「ウララ ウララ ウラウラで ウララ ウララ ウラウラよ ウララ ウララ ウラウラの この世は私のためにある」なんですが、都倉さんが曲を作って自ら仮歌を入れたときは「ウダダ ウダダ…」と歌われたそうで、あのインテリっぽい都倉先生がどんな感じで歌ったのか不思議ですが、阿久さんは最初「ラララ」で試してみましたが、やはりインパクトが弱いということで「ウララ」になったそうです。

今は「狙いうち」というと野球の応援ソングというイメージが強いです。阿久さんの母校である明治大学の応援団が、「チャンスのテーマ」として応援に採り入れたのが最初だそうです。大学野球から明治大学、社会人野球から西濃運輸高校野球から前橋育英の応援動画をアップします。


狙いうち 明治大学応援風景 / Meiji University


「狙い撃ち」西濃運輸 応援:第85回都市対抗野球大会


前橋育英高校 物凄い声量の狙い撃ち 2013夏の甲子園決勝

いずれも野球の応援なので、人のパワーで盛り上げる「狙いうち」なんですね。この作品は女性がまだ優位でなかった時代に、女性の強さと美しさを華麗に魅せた歌を作ったわけで、1973年当時の初期の「狙いうち」は華麗さが前面に出ていますが、1991年のリバイバル・ブーム(リンダさん自身は第3次ブーム)での「狙いうち」はパワフルさを前面に出している感じがします。歌手も時代の変遷と共に歌の表現を変えて見て、再び大衆の支持を得たという好例かもしれません。でもぼくは初期の歌の方が好きです。
それとこの紅白ではバックダンサーにワールド・ダンサーズがついていますが、今から45年前であっても、創作性とかステージでのアピールは今と遜色ない感じがします。


[Yamamoto Linda] Neraiuchi.avi

パラレルワールド

歌が好きな方はテレビの音楽番組もご覧になることが多いと思いますが、ぼくは地上波のキー局が放送している音楽番組とかカラオケの番組はほとんど見てません。Youtubeでも再生されるような往年の音楽番組、「ミュージックステーション」や「ミュージックフェア」は今も放送してますけど、「夜のヒットスタジオ」、「ザ・ベストテン」、「ザ・トップテン」、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」を見ていた視聴者からみるとちょっと物足りない感じがします。

一方、まったりと音楽をダベっているような番組が見たくて、地方局の番組を探しに行くと、ブレイク前のアーティストの音楽を聴ける機会が割とあったりします。テレビ神奈川TVK)で放送している「ミュートマ2」を先週見ていた時に、「この曲いい感じだなあ」と思ったのが、大石昌良さんの「パラレルワールド」という曲でした。

最近、DAM★ともの公開曲で「オーイシマサヨシ」さんの名前をたまに見たことがあったんですが、この大石さんと同一人物で、2014年にアニメ・ゲームコンテンツ向けの名義として「オーイシマサヨシ」を立ち上げたんですね。2017年に発売したアルバム「仮歌」はオリコン15位と自己最高を記録し、収録曲の「ようこそジャパリパークへ」は平井堅さんも絶賛してました。

そして、どこかで見たことあるかなと思っていたら、Sound Scheduleというバンドのボーカルの人だとぼくの中で繋がりました。Sound Scheduleは1999年に神戸商科大学の軽音楽部にいた3人で結成され、2001年にメジャーデビューしましたが、2006年に一旦解散、2011年に再結成し、今も活動しています。正直、ぼくは彼らの曲をじっくりと聴いたことがなくて、この5日間でにわか勉強しました。売れ線は狙わずに、結構渋めで難解なテーマをサウンドにしている印象です。名曲っていう感じがしました。

大石さんは2008年からソロ活動をされていますが、いい感じで肩の力が抜けたような音楽で、音も歌も楽しみながら歌っている様子にすごく好感を持ちました。そして、長年のキャリアから音楽の引き出しもたくさん持っていそうな感じが、ライブの映像を見ながら思ったところです。知る人ぞ知る存在だったようですが、ビジュアルもいまどきというか、星野源さんや高橋一生さんに似てるような似てないような…、今後ブレイクの予感がぼくはしたんですが…ぜひ当たって欲しいアーティストさんです。


パラレルワールド(1cho ver)/大石昌良

どうにもとまらない

NHK紅白歌合戦の歴史の中でも、1972年の第23回紅白は時代の分かれ目を感じさせる出場歌手だったと思います。この年まで紅白は東京宝塚劇場で行っていましたが、1973年の第24回紅白からはNHKホールでの開催となりました。また、この年まで10年連続でトリを務めた美空ひばりさんが、翌年の紅白は実弟の事件を機に落選となりました。一方、人気グループ・サウンズのタイガースを解散後、ソロ歌手としてデビューした沢田研二さんが「許されない愛」で初出場、新御三家の男性アイドルとして、野口五郎さんが「めぐり逢う青春」で初出場、外国人として紅白史上初の出場となった欧陽菲菲さんが「恋の追跡」で初出場、そして当時のお茶の間に衝撃を与えたのが、5年ぶり2回目の出場となった、山本リンダさんの「どうにもとまらない」でした。

「どうにもとまらない」は1972年6月5日にシングルとして発売されました。作詞が阿久悠さん、作曲・編曲が都倉俊一さんでした。この作品は都倉さんが先に曲を作って、阿久さんが詞を付けたそうですが、当初のタイトルは「恋のカーニバル」だったそうですが、その後「どうにもとまらない」に改めたそうです。山本リンダさんは「こまっちゃうナ」の大ヒットで1967年の第18回紅白に初出場したものの、その後は低迷が続いていました。「どうにもとまらない」を「かっこいい曲」と思ったリンダさんは、これまでの自分のイメージを一新し、切れ目の入ったパンタロンに赤いブラウスのへそ出しルック、これに過激な振り付けを加えて、当時としてはド派手な作品ができあがったわけです。その後に続くアクション歌謡曲のパイオニアともいえる作品です。

その後「どうにもとまらない」から「闇夜にドッキリ」までの10作品で、阿久悠・都倉俊一コンビによる、「山本リンダの歌謡曲」が作られたわけですが、ここでの作品づくりがあったからこそ、その後のピンク・レディーの大ヒット曲の連発に結びついてるのだろうと思います。

さて、第23回紅白での「どうにもとまらない」では、指揮者のダン池田さんがコンガ(Conga)を叩いて演奏を盛り上げているのが特徴的です。コンガはもともとはキューバの民族楽器で、1940年代に広く世界的に知られるようになりました。樽型の胴の上面に皮が張ってある打楽器で、スティックを使わず直接素手でヘッドを叩く奏法で使います。ラテン音楽ではコンガ奏者をコンデーロと呼ぶほど専門的な楽器だと思いますが、本来指揮者のダン池田さんが、そのコンガをファンキーに叩いている様子は堂に入っている感じでした。こういう映像を見ると音楽番組には生音のコラボは欠かせないものだと思います。


昭和四十七年1972 23  05-11  UPB 0017