あまりにも歌手の個性が強すぎて、素人あるいは他の歌手が歌っても、いま一つ歌い切れていない場合はよくあると思います。山本リンダさんの「狙いうち」もそんな1曲です。
「狙いうち」は1973年2月25日にリンダさんのシングルとして発売され、その年の第24回紅白歌合戦でも歌唱されました。作詞は阿久悠さん、作曲・編曲は都倉俊一さんというリンダさんの一連のヒット曲のコンビですが、この作品は歌謡史の中でも一二を争うほどの「ぶっとんだ歌詞」で知られています。「ウララ ウララ ウラウラで ウララ ウララ ウラウラよ ウララ ウララ ウラウラの この世は私のためにある」なんですが、都倉さんが曲を作って自ら仮歌を入れたときは「ウダダ ウダダ…」と歌われたそうで、あのインテリっぽい都倉先生がどんな感じで歌ったのか不思議ですが、阿久さんは最初「ラララ」で試してみましたが、やはりインパクトが弱いということで「ウララ」になったそうです。
今は「狙いうち」というと野球の応援ソングというイメージが強いです。阿久さんの母校である明治大学の応援団が、「チャンスのテーマ」として応援に採り入れたのが最初だそうです。大学野球から明治大学、社会人野球から西濃運輸、高校野球から前橋育英の応援動画をアップします。
狙いうち 明治大学応援風景 / Meiji University
いずれも野球の応援なので、人のパワーで盛り上げる「狙いうち」なんですね。この作品は女性がまだ優位でなかった時代に、女性の強さと美しさを華麗に魅せた歌を作ったわけで、1973年当時の初期の「狙いうち」は華麗さが前面に出ていますが、1991年のリバイバル・ブーム(リンダさん自身は第3次ブーム)での「狙いうち」はパワフルさを前面に出している感じがします。歌手も時代の変遷と共に歌の表現を変えて見て、再び大衆の支持を得たという好例かもしれません。でもぼくは初期の歌の方が好きです。
それとこの紅白ではバックダンサーにワールド・ダンサーズがついていますが、今から45年前であっても、創作性とかステージでのアピールは今と遜色ない感じがします。