DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

どうにもとまらない

NHK紅白歌合戦の歴史の中でも、1972年の第23回紅白は時代の分かれ目を感じさせる出場歌手だったと思います。この年まで紅白は東京宝塚劇場で行っていましたが、1973年の第24回紅白からはNHKホールでの開催となりました。また、この年まで10年連続でトリを務めた美空ひばりさんが、翌年の紅白は実弟の事件を機に落選となりました。一方、人気グループ・サウンズのタイガースを解散後、ソロ歌手としてデビューした沢田研二さんが「許されない愛」で初出場、新御三家の男性アイドルとして、野口五郎さんが「めぐり逢う青春」で初出場、外国人として紅白史上初の出場となった欧陽菲菲さんが「恋の追跡」で初出場、そして当時のお茶の間に衝撃を与えたのが、5年ぶり2回目の出場となった、山本リンダさんの「どうにもとまらない」でした。

「どうにもとまらない」は1972年6月5日にシングルとして発売されました。作詞が阿久悠さん、作曲・編曲が都倉俊一さんでした。この作品は都倉さんが先に曲を作って、阿久さんが詞を付けたそうですが、当初のタイトルは「恋のカーニバル」だったそうですが、その後「どうにもとまらない」に改めたそうです。山本リンダさんは「こまっちゃうナ」の大ヒットで1967年の第18回紅白に初出場したものの、その後は低迷が続いていました。「どうにもとまらない」を「かっこいい曲」と思ったリンダさんは、これまでの自分のイメージを一新し、切れ目の入ったパンタロンに赤いブラウスのへそ出しルック、これに過激な振り付けを加えて、当時としてはド派手な作品ができあがったわけです。その後に続くアクション歌謡曲のパイオニアともいえる作品です。

その後「どうにもとまらない」から「闇夜にドッキリ」までの10作品で、阿久悠・都倉俊一コンビによる、「山本リンダの歌謡曲」が作られたわけですが、ここでの作品づくりがあったからこそ、その後のピンク・レディーの大ヒット曲の連発に結びついてるのだろうと思います。

さて、第23回紅白での「どうにもとまらない」では、指揮者のダン池田さんがコンガ(Conga)を叩いて演奏を盛り上げているのが特徴的です。コンガはもともとはキューバの民族楽器で、1940年代に広く世界的に知られるようになりました。樽型の胴の上面に皮が張ってある打楽器で、スティックを使わず直接素手でヘッドを叩く奏法で使います。ラテン音楽ではコンガ奏者をコンデーロと呼ぶほど専門的な楽器だと思いますが、本来指揮者のダン池田さんが、そのコンガをファンキーに叩いている様子は堂に入っている感じでした。こういう映像を見ると音楽番組には生音のコラボは欠かせないものだと思います。


昭和四十七年1972 23  05-11  UPB 0017