DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

原宿キッス

現在のジャニーズ事務所の隆盛のパイオニアとなって活躍した田原俊彦さん。トシちゃんのヒット曲はたくさんありますけど、その1曲として今回は、1982年(昭和57年)5月8日に発売された「原宿キッス」を紹介します。作詞は「ハッとして!Good」を提供した宮下智さん、作曲は筒美京平さん、編曲は船山基紀さんです。

この当時、田原さんはシングルでなかなか1位が取れず、当時の音楽番組は「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」というランキング番組が超人気な状態でしたし、ライバルの近藤真彦さんは発売するシングルが毎回1位を取っていたので、田原さんもポニーキャニオンの人たちもやや歯がゆい思いだったかもしれません。まあ、良い言い方をすれば、当時のオリコンは芸能事務所やレコード会社の圧力に屈せず、公平なランキングをしていたのだと思います。田原さんのプロデュースはデビューからずっと、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんが手掛けていました。田原さんの楽曲は。田原さんが踊りながら歌うスタイルでしたから、サウンドも軽快なものを選んでいたと思いますが、歌詞も宮下智さんの作品をはじめ、今までの歌謡曲には出てこなかったような、軽い言葉を使っているように思います。当時の田原さんの声質を生かしているようにも思います。「AH- どっちがいい なんでもいいから 一度お願いしたい Woo 恋し恥ずかし 原宿キッス」とどこまでも軟派な男子を描いています。

ジャニーさんの意向があったのかはわかりませんが、前作の「君に薔薇薔薇…という感じ」に続き楽曲を担当した筒美さんは、「原宿キッス」では転調したり、音階がコロコロ動いたりと、難解なサウンドを作っています。近藤真彦さんの楽曲は割に王道的な歌謡曲のサウンドを続けていたのに対し、田原さんの楽曲は今から思うと、どこか試していたというか、実験的に作詞も作曲も作っているように感じます。トシちゃんはあの頃歌が下手だと言われましたけど、いまyoutubeで動画を見ていても、歌いながら踊っていても息も切れていないし、低音は確かにふらつくけど、高音は割に伸びていたんだなと思います。今のジャニーズのタレントのように、口パクで済ますのではなく、ガチでやっていて、難解な歌を歌わされているんですから、よくやっていると思います。

当時の原宿は路上で踊る「竹の子族」というのが流行って、竹下通りは中学生・高校生で賑わっていました。ジャニーズ事務所もこの頃は小所帯で、原宿駅近くのマンションに合宿所がありました。田原さんにとっても原宿は思い出が多い街だと思います。


原宿キッス

広告を非表示にする