DAM★ともでぼくがお気に入りのアーティストにしている野口五郎さん。野口さんは1971年5月に演歌歌手として「博多みれん」でデビューしましたが、この作品はヒットしなかったそうです。それで演歌からポップスに転向し、1971年8月に2枚目のシングル「青いリンゴ」を発売し、オリコンで最高14位となるヒットとなり、以後ポップス歌手として現在まで活動されています。
野口さんは子供の頃から「ちびっこのど自慢」に出ていて、そこでもポップスの曲を歌っていましたが、その幼い頃にライバル視していたのが、今の天童よしみさんだそうです。ただ、野口さんにとっての強烈な曲が美空ひばりさんの「リンゴ追分」だったこともあり、プロの歌手を目指すために作曲家の米山正夫さんの下で修業したそうです。だからデビューも演歌でということなんだと思います。ただ野口さんは歌だけではなく、子供の頃からお兄さんの影響でギターに打ち込み、ギターのコンテストにも出ていたので、生活の音楽はロック・ポップスで、やはり演歌ではなかったように思います。
「青いリンゴ」は作詞が橋本淳さん、作曲が筒美京平さん、編曲が高田弘さんのコンビでした。野口さんが今では「ぼくの師匠」という筒美先生との初めての出会いでした。レコード会社や事務所の人の決断も見事に早かったのは、野口五郎を世に出したいという気持ちが強かったんだと思います。当時15才の男の子に演歌のどぶ板営業をやったのに売れなかった…という敗北感も大きかったのかもしれません。だから売れる作品を作ろうということで、編曲の高田さんはオーソドックスで巧みなアレンジをされる方なので選ばれたんだろうなと思います。高田さんの作品だと野口さんの「グッド・ラック」やちあきなおみさんの「喝采」などがあります。作詞の橋本さんと作曲の筒美さんは青山学院の先輩・後輩の間柄で、筒美さんが最も多く作詞のコンビを組んだのが橋本さんです。前年1975年の筒美さんはいしだあゆみさんの「あなたならどうする」や朝丘雪路さんの「雨がやんだら」を大ヒットさせていましたので、演歌からポップスに転向しようとしている野口さんの路線と波長が合うと思ったのかもしれません。橋本さんは野口さんの「リンゴ追分」への思いを聞いたかはわかりませんが、「青いリンゴ」の未熟な今を野口さん本人に投影させて、作詞を書かれたように思います。結果として売れて、その後新御三家と呼ばれるトップアイドルにまでなったわけですから、決断とタイミングは大事なんですね。