世に知られたヒット曲を振り返ると、歌詞やメロディーやアレンジも強烈なインパクトがありますが、やはりその曲を歌う歌手の個性が際立っていると感じることが多いです。それゆえに、ぼくのようなアマチュアがそういうヒット曲を歌うときは、まずオリジナルの歌手の歌い方をCDや動画で確認して、その歌手の雰囲気に寄せて歌おうとします。しかし、オリジナルの歌手の真似をしているだけでは、その曲の雰囲気は壊さないかもしれませんけど、一方で自分が本来持っている歌の個性を打ち消してしまっているかもしれないと思います。
もっと難しいのは、その土地や地域に根ざして伝承されてきた歌であり、例えば、ポルトガルのファドであったり、イタリアのカンツォーネであったり、フランスのシャンソンであったり、日本の民謡であったりします。母国の民族ではない日本人が、ファドやカンツォーネやシャンソンに挑む場合、いかにその音楽が持つ底流を抑えつつ、借り物感を出さずに、外国人ならではのオリジナリティを産めるかが勝負なんだと思います。日本の民謡においても、その地方の出身者ではない方がその地域の民謡を歌う場合も、いかにその地域感を表現できるかというのが肝要であると思います。
日本の中でもとりわけ個性的な地域が沖縄であり、人々が集まる場所では三線を弾きながら歌う方がいて、その歌に合わせて踊り始めるという光景が知られています。そういう超個性的な琉球民謡を、沖縄以外の人が歌いこなすというのもハードルが高いですが、さらにそんな琉球民謡に魅せられて、琉球民謡のような作品をつくることはもっとハードルが高かったと思いますが、そのハードルを乗り越えた1曲が、THE BOOMの「島唄」という曲でした。
THE BOOMは「島唄」で世に知られたので、彼らを沖縄出身と思う方も多いかもしれませんが、彼らは山梨県出身のロックバンドで、名前の由来は「常に流行に左右されず自分たちの音楽を貫いていけるように」という逆説から付けられたこともあり、さまざまなジャンルの音楽をモチーフにしながら、独自の音楽の世界を作っている印象があります。「島唄」が生まれたきっかけも、三線の音色や琉球民謡の節回しに興味を持ったのだと思います。ボーカルの宮沢和史さんは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れ、そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りである老婆に会って、想像を絶する沖縄の戦時の悲劇の話を聞いて、「島唄」の構想に入ったそうです。だから「島唄」は「表向きは男女の悲恋になっているけど、テーマは反戦の歌」であり、「この作品はこの老婆のために歌いたかった」と、インタビューで宮沢さんが話されていました。
しかし、この「島唄」は、琉球民謡を歌っていた方からは批判的に受け取られ、「沖縄民謡の真似事をするな」とか、「沖縄に住んでから歌え」とか、結構痛烈だったそうです。一方で、彼らを支持する沖縄の音楽仲間もあり、喜納昌吉さんは「音楽において、その魂までコピーすれば、それはもうコピーではない」と激励し、BEGINの比嘉栄昇さんも「BOOMさんの『島唄』は画期的だった。それまでは沖縄のミュージシャンは本土でどう歌えばよいか分からず、本土のミュージシャンも沖縄で歌うのは遠慮があった。その橋渡しをポンとしてくれたのがBOOMさんの『島唄』です。ありがたかった」とエールを送りました。当初は、大ヒットした「オリジナル・ヴァージョン」のリリースをためらっていた宮沢さんでしたが、こういった励ましの声を受けて、「島唄」はいまや沖縄を歌った歌の代表曲の1つになっています。
音楽はそれぞれが個性的であるゆえに、自分に似た音楽が自分の庭に入ってくると、その動きに反発して排除しようとする動きはあるのかもしれません。でも、自分に似た音楽は自分の音楽とは違うのだから、それぞれの存在を認め合うことで、音楽の裾野は広がると思いますし、音楽同士が融合してまた新たな音楽を生み出すきっかけを作るかもしれません。
ぼくは「島唄」は、他の人が歌うのを聴くことはあっても、自分で歌ったことはありませんでした。だから最近、初めて「島唄」を歌ってみました。歌ってみると、聴いていたときとは違う印象の箇所がいくつもありました。そういうことに気づくことで、自分自身の歌のレンジも広がっていけば、成長するのかなと思っています。