最近ぼくが気になっているアーティストの林部智史さん。林部さんが歌っている動画を見ていて、いいなと思った1曲が西城秀樹さんの「若き獅子たち」という曲でした。
この作品は1976年9月5日に西城さんの18枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿久悠さん、作曲は三木たかしさんです。当時の西城さんは、阿久さんと三木さんのコンビによるシングルを相次いで発表していました。1976年2月25日に発売された16枚目のシングル「君よ抱かれて熱くなれ」から、1977年9月5日に発売された22枚目のシングル「ボタンを外せ」までの7作品になります。
これらの作品は、西城さんのヒット曲の中では、今ひとつ印象が薄かったです。「ブーメラン・ストリート」だけは印象が強かったですけど、阿久さんと三木さんが作られたというのが意外な感じでした。当時の阿久さんは1976年に都はるみさんの「北の宿から」を、1977年に沢田研二さんの「勝手にしやがれ」を提供し、2年連続で日本レコード大賞受賞曲となりました。三木さんも1977年に石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」を提供し、日本レコード大賞・中山晋平賞を受賞していますし、2人とも他のアーティストの印象が強いです。
「若き獅子たち」はサビの部分だけ聴いたことがあって、西城さんが壮大なスケールでシャウトして歌っていたというのが、子供の頃に見た印象でした。
いま改めて、「若き獅子たち」を見ていて気づいたのは、西城さんは本来音程とかリズムを厳しく管理して歌っていたということ。それと、常にシャウトしていたわけではなく、Aメロ、Bメロからサビに進んでいく中で、相当歌い方を練った上で、サビの盛り上がりであのシャウトする歌唱に繋げていったということ。
阿久さんは、そういう西城さんの歌唱力の高さの根本には、歌の理解力と構成力が優れていると見ていたそうです。当時の歌番組が歌をフルコーラスで歌わせず、1コーラス程度でカットするという不満を話したときに、「だったらカットできない曲を作ればいいじゃない」と言われ、「だったら(三木)たかしに頼もう」と思い、西城さんの「ジャガー」ができたそうです。
さて、西城さんを偲ぶ歌番組で、林部智史さんがベイビー・ブーと一緒に、「若き獅子たち」を歌いました。西城さんの歌い方とは違いますけど、林部さんのまっすぐな歌い方にも好感を持ちました。そして、たぶんリアルで聴いたことがない世代の林部さんが、この作品を理解した上で歌っているのが感じられたのもさらに好感が持てました。
カラオケで歌う曲には、何となくその曲のイメージを持ってしまっていて、そこから歌いに入ってしまいますけど、いったんそういうイメージを取っ払って、原曲を見つめてから歌ってみたら、自分の歌もまた違った歌になるのかもと思いました。