DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

愛燦燦

日本の歌謡史におけるトップスターの1人である美空ひばりさん。1970年代から1980年代前半は、小ヒット曲は出るものの、大ヒット曲には恵まれない時期が続きました。晩年になってからひばりさんは、1987年に「みだれ髪」、1989年に「川の流れのように」の大ヒットを出しましたが、そのきっかけを作ったのが「愛燦燦」という曲でした。

この作品が生まれるきっかけは、「味の素」のCM映像のプロデューサーだった岩上昭彦さんが、バックミュージックとしてひばりさんに歌ってもらいたいと思ったことでした。天下の美空ひばりへのオファーなど無謀と思われたようですが、ひばりさんはこのオファーを受けました。CMソングは作詞・作曲を小椋桂さんが担当することで決まっていました。このCMのテーマは「家族愛」ということで、ハワイで映像が収録されていました。小椋さんは当初「轍」と題する曲を作ったそうですが、ひばりさんのレコード会社のコロムビアや、味の素から「包容力が欲しい」というダメだしを受け、作り直してできたのが「愛燦燦」でした。このCMを放送した当初、ひばりさんのクレジットは出しませんでした。でも、あの声を聴けば「これ、美空ひばりだよね」と視聴者がわかるのは当然でして、すぐに評判となったわけです。その後、「歌・美空ひばり」と表記されるようになりましたが、「愛燦燦」も徐々に浸透していったわけです。思えば、美空ひばりに求められていた歌は「人生を歌うような、スケールの大きな歌」だったんですね。そこに周りも気付いたからこそ、その後の「みだれ髪」や「川の流れのように」のリリースがあったのだと思います。

1980年代でいえば、「恋人よ」や「浪花節だよ人生は」のような作品を、もしひばりさんが歌っていたらと思う事がありました。その一方で、ひばりさんは来生たかおさん、イルカさんなど従来とは違う作家に作品を依頼し、新境地を地道に開いてきた努力もあったと思います。1コーラスの最後を、歌舞伎の見得を切るかのように締めて歌うような、従来の「ひばり節」を、「愛燦燦」では出していません。

味の素のCMというと、1986年に大ヒットした小林旭さんの「熱き心に」は味の素ゼネラルフーズの「マキシム」のCMソングに起用されました。何か因縁を感じるものがあります。

惜しむらくは、ひばりさんは病魔に侵され、1989年に亡くなってしまったことです。もし、健康な体で「愛燦燦」をはじめ、ひばりさんが「みだれ髪」や「川の流れのように」も歌い続けていたら、新たなひばりさんの全盛期があったかもしれません。しかし「愛燦燦」は多くのアーティストがカバーし、今でも歌い継がれている、ひばりさんの名曲となっています。


味の素CM87年 愛燦燦(あいさんさん)


愛燦燦/美空ひばり