DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ウナ・セラ・ディ東京

日本の歌謡史の中で、女性デュオとして一世を風靡したザ・ピーナッツ。活動期間は1959年2月から1975年4月までの16年間でしたが、紅白歌合戦も1959年から1974年まで16回連続出場しました。現在もザ・ピーナッツの作品はカラオケでも歌われていて、「恋のバカンス」や「恋のフーガ」はNHKのど自慢でも選曲されることがあります。ぼくはザ・ピーナッツが活躍した時代は知りませんが、youtubeで1969年の紅白歌合戦の映像を見て、彼女たちの歌声が素晴らしくて、これは日本のスタンダード・ナンバーだなあと思ったのが「ウナ・セラ・ディ東京」という曲でした。

この作品は当初、1963年11月に「東京たそがれ」というタイトルで発売されました。作詞は岩谷時子さん、作曲・編曲は宮川泰さんです。動画で岩谷さんが話されていますが、「録音の直前になって、宮川さんが曲を書き換えたので、用意していた歌詞が足りなくなってしまったの。その時に窓の外を見て、若いサラリーマンの姿がきらきらと見えて、思いついた歌詞が、「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」だったの」だったそうです。また「ワンナイトイントウキョー」という歌詞も、当時はカンツォーネが流行していたので、イタリア語で「ウナ・セラ・ディ(una sera di。日本語では「~のある夜」の意味)東京」に直したそうです。

この「東京たそがれ」は当初売れませんでしたが、イタリアのカンツォーネ歌手のミルバ(Milva)さんが来日した際にこの曲を歌ったことがきっかけで評判となったため、編曲を東海林修さんが手掛けて、曲調の一部を変えて(ぼくはどこを変えたのかよくわかりませんが)、タイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」と変えて、1964年9月に再発売しました。この作品で1964年の日本レコード大賞では、岩谷さんが作詞賞を、宮川さんが作曲賞を受賞しました。そして、この「ウナ・セラ・ディ東京」は多くの歌手による競作でもありましたが、当時は和田弘とマヒナスターズの「ウナ・セラ・ディ東京」もヒットして、レコード大賞の最終候補8曲の中に入っていました。今ではこの作品といえば、ザ・ピーナッツの代表曲というイメージしかないだけに、ちょっと驚きました。

「東京たそがれ」、「ミルバさんの歌唱」、「ウナ・セラ・ディ東京」のどれもいいと思いますが、ザ・ピーナッツは生歌で聴いた方がいい感じです。


東京たそがれ ザ・ピーナッツ 1963


Milva: Una Sera di Tokyo ミルバ:ウナ セラ ディ 東京


ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京

これはマヒナスターズとクレイジーキャッツの共演という貴重な映像です。


ウナセラディ東京・マヒナスターズ&クレイジーキャッツ