DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

孤独のRunaway

DAM★とものユーザーさんの公開曲を見ていて、ふと聴こうと立ち止まったのがB'zの「孤独のRunaway」という曲でした。

この作品はもともと、当時B'zの松本孝弘さんがプロデュースしていた、女性ギタリストの安宅美春さんのデビューシングルとして、ギターのインストゥルメンタル作品として1990年11月10日に発売されました。作曲は松本さんですが、B'zの稲葉浩志さんの「JUST A RUNAWAY」というコーラスがちょっとだけ入ってます。その後B'zとしても、この曲に稲葉さんが作詞を行って、1991年に発売されたミニアルバム「MARS」でセルフカバーとして発表されました。さらに、2000年に発売された「B'z The "Mixture"」という通称「裏ベストアルバム」にも収録されました。ぼくがこの作品を聴いたのはこのアルバムだと思います。歌の上手いユーザーさんの歌声で、ギラギラした記憶を呼び覚ましてくれた感じがしました。

歌詞は、大好きだった女も飲み仲間も、順調だった仕事もほったらかして、雨上がりの明け方に突然消えてしまった男性(聴く方によっては女性かもしれません)のことを思い、振り返っている主人公の気持ちを書いています。「JUST A RUNAWAY 止めないでよ 後悔は少なめの MY LIFE」、「許されないのはわかってるつもり 世間のしくみにとても勝てないから」という彼の書き置きなのか、サボテンだけを部屋に残し消えた彼を、まわりは「いい迷惑だ」と呆れかえったあとで、また普段の暮らしを続けている。でも、「本当は誰もが平和に見える毎日を壊したがっている」んだろうな、出てった彼の口グセの「何が大事だったの?」っていうのは、「もしもあなたの心が身軽なら 長居は無用さ」というように、自分の大事なものを見極めて、動こうという心を決めた人は、孤独でも次への一歩を進めるんだろうな。でも、それができないのは、ぼくもまわりも、今の生活も大事だからなんだよって。

話はガラッと変わって、昨日23日の「スマステ」最終回を見てましたが、まるでそれはドラマの最終回を見ているような気分でした。香取さんが謎解きのように、「新しい道を選んだことで、スマステが終わってしまうのが申し訳ない」と一連の経緯に触れたコメントをしたのは深かったし、大下さんが「番組の存続を願う視聴者の声が膨大なこと」を紹介したのも、香取さんと番組への愛の深さをずっしりと感じました。ゲストであり、香取さんの親友でもある山本耕史さんの番組での気遣い、そして香取さんに「君が来いと言えば、俺はいつでも来ますよ」という一言も、本物の友人としての優しさを感じました。そして、小林克也さんが「今日の香取くん、すっきりしてますよ」っていう一言もナイスだった。最後に香取くんが「699回。あと1回やりたかったな」と言って、大下さんをハグして、画面に手を振って番組は終わりましたが、東京タワーも「16年の感謝をこめて」スマステカラーにライトアップしてくれる、素敵な最終回でした。

22日に稲垣さん、草彅さん、香取さんが「新しい地図」というサイトの開設を発表しましたが、その動画の言葉が、前日に聴いてた「孤独のRunaway」とぼくの中ではなんだがシンクロしています。両方とも同じこと言いたいんだよねっていう感じで。

「逃げよう。」「自分を縛りつけるものから。」
「ボーダーを超えよう。」「塗り替えていこう。」
「自由と平和を愛し、」「武器はアイデアと愛嬌。」
「バカにされたっていい。」「心を込めて、心を打つ。」
「さ、風通しよくいこう。」「私たちは、」「新しい地図」

 


B'z 孤独のRunaway LIVE-GYM Pleasure2008 GLORY DAYS

 

 

 

RESPECT the POWER OF LOVE

今夜突然、安室奈美恵さんから、2018年9月16日をもって引退するとの発表がありました。驚きましたが、潔い決断だなと思いました。今年の9月16日でデビュー25周年を迎え、現在40歳にして歌って踊れるアーティストとして活躍していただけに、安室さんはおそらく何年も前からこのときを念頭に決意をされていたのだと思います。

1990年代は小室哲哉さんをプロデューサーに迎え、歌手としてブレイクし、メガ・ヒットを連発し歌謡界の頂点に立ちました。人気が一段落した2000年代後半からは、活動の主軸をテレビからライブ・ツアーに切り替えて、年間ツアー動員が20万人~50万人のレベルを誇るアーティストに成長しただけでなく、2010年にはアジアで最も売れた女性アーティストとして、モナコでの「World Music Awards」に出演という快挙を果たしました。文字通り、ライブで稼げる歌手、世界に通用する歌手を体現していた安室さんは、9月16日と17日にデビュー25周年記念の沖縄凱旋ライブを成功させたばかりでした。日本の歌謡界の事情で、安室さんの活躍が今一つ世の中に浸透していなかったのが、残念に思います。

安室さんの多くの作品の中で、ぼくが好きな曲は「RESPECT the POWER OF LOVE」という曲です。1999年3月17日に安室さんの13枚目のシングルとして発売されました。産休後は2枚目のシングルでした。そしてこの発売日、安室さんのお母さんが殺害されるという痛ましい出来事がありました。このとき安室さんは引退を真剣に考えていたそうですが、「ファンの皆さんの温かい言葉で励まされて、立ち直ることができた。そして、あのとき歌う歌がこの曲で良かった。歌ってて自分も元気になれた」と後に振り返っています。この年の紅白歌合戦で、安室さんは黒人のゴスペル合唱団と一緒にこの作品を歌唱しましたが、その時の安室さんは伸び伸びと、堂々と歌っている姿が今でも印象的で、日本の歌姫が段々と大物になっていくプロセスを肌で感じました。

数年前に京都にも自宅をお持ちになったんですよね。東京でも沖縄でもない場所で喧騒を離れるには良い場所だと思います。京都の紅葉も楽しみにしていてくださいね。


Namie Amuro - Respect the POWER OF LOVE

 

愚図

歌謡界の中でも、ニューミュージックのアーティストの作品を歌ったら、見事にその歌の世界を表現していた歌手といえば研ナオコさんでした。その研さんが初めて出したヒット曲が「愚図」という曲でした。

この作品は1975年9月10日に研さんの9枚目のシングルとしてキャニオン・レコードから発売されました。作詞は阿木燿子さん、作曲は宇崎竜童さん、編曲は竜崎孝路さんです。研さんは1971年に東宝レコードからデビューし、タレントとしては当時の人気ドラマ「時間ですよ!」や「ありがとう」に出演し、バラエティ・タレントでの知名度も上がっていましたが、歌手としてはヒットが出ませんでした。シングルの作詞の大半は阿久悠さん、作曲も森田公一さんや筒美京平さんだったんですが、売れなかったんです。

東宝レコードの制作顧問をしていた田辺昭知さんが当時田辺エージェンシーを創業するに当たり、東宝レコードの専属歌手の中から選ばれたのが研さんでした。そして、当時ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでブレイクしていた宇崎竜童さんと、夫人で作詞家の阿木燿子さんに研さんの楽曲を依頼することとなりました。

「愚図」の作詞の主人公は自分に自信がなくて、自分の女友達に自分が好きな男性を道化者になって紹介してあげて、その後でそんな自分を愚図なおばかさんと責めてしまう何とも悲しい世界を描いています。これを中島みゆきさんが世に出る前に、ロックン・ロールをぶっ放していた阿木さんと宇崎さんが作ってしまうのは、ギャップでも驚きでもあります。ただ宇崎さんと阿木さん、明治大学の軽音楽クラブの出身ですし、実は不良な時代など過ごしたことがない方たちなので、第一印象が強すぎたんですね。

研さんは田辺さんに、歌の衣装も歌い方も自分で考えろと言われたそうです。それで、歌う姿勢が変わり、それまでは歌が好きで歌っていたのが、歌は伝えるものなんだと初めて知ったそうです。「愚図」のレコードジャケットの題字を書いてくれたのは、あの森繁久弥さんだそうです。

また、阿木さん・宇崎さんにとっても、「愚図」は、他のアーティストから初めて依頼された「第1号のお仕事」だったそうです。この作品がなければ、研ナオコという歌手もブレイクしなかったかもしれませんし、阿木さん・宇崎さんもその後山口百恵さんの作品を書くことにはならなかったのかもしれません。

研さんのオリジナルと、宇崎さんのセルフカバー、それぞれの味わいが感じられます。


愚図 # 研ナオコ(CD音源)

 


愚図 / 宇崎竜童 セルフカバー

マック・ザ・ナイフ

DAM★ともでぼくが歌うアーティストにはSMAPKinKi Kids田原俊彦さんなどジャニーズ事務所の歌手の曲が割と多いです。いま権勢を誇っているジャニーズ事務所の源流を、Youtubeで発見することができました。ジャニーズの「マック・ザ・ナイフ」という曲でした。

ジャニー喜多川さんはロサンゼルスで生まれた日本人でしたが、1952年頃からは来日してアメリカ大使館で働いていたそうです。また、自分の住んでいた占領アメリカ軍宿舎「ワシントンハイツ」で、近所の少年たち約30人を集めた野球チームのコーチもしていました。(「ワシントンハイツ」は1946年に建設され、1964年に日本に返還されるまでのアメリカ空軍及びその家族のための団地を建てていた在日米軍の軍用地でした。現在、その土地は代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターになっている場所で、調べたぼくも驚きました。)その野球少年のうち4人を選んで、映画「ウェストサイドストーリー」を鑑賞後、エンターテイメント事業を興そうと、1962年6月にジャニーズ事務所を創業、その野球少年4人が「ジャニーズ」を結成したのです。

デビューと同時に、当時のNHKの人気番組「夢であいましょう」に出演するようになりましたが、「歌って踊れるアイドル」は当時いなかったため、当時の御三家(橋幸夫舟木一夫西郷輝彦)とかち合うこともなく、逆に重宝がられたようです。当時のジャニーズ事務所は渡辺プロ(当時は今のジャニーズみたいな権勢でした)との業務提携を行っていたこともあったと思いますが、1965年の紅白歌合戦でジャニーズは初出場を果たします。ここで披露したのが「マック・ザ・ナイフ(Mack the Knife)」は音楽劇「三文オペラ」の劇中歌として大ヒットし、今ではスタンダード・ナンバーになっている曲です。

さて、当時の紅白はスタンド・マイクが1本立っているだけですが、若いジャニーズの4人はしっかりとした歌声で、コーラスも交えながら、間奏では衣装の早着替えもして華麗にダンスを踊って、古きよきアメリカを感じさせるパフォーマンスでした。もちろん、口パクなんて全くやってません。このジャニーズのメンバーとは、真家ひろみさん、飯野おさみさん、中谷良さん、あおい輝彦さんの4人でした。この動画を見て思ったのは、この時から52年が経ち、ジャニーさんの初心は果たせているのかなということ。ジャニーズのパフォーマンスを再現できる人材は育っていたのでしょうか。


50年前の紅白 ジャニーズ初出場「マックザナイフ」

君が思い出になる前に

ぼくがDAM★とものユーザーさんの公開曲を次々と見ていくなかで、最近聴いているのが、スピッツの作品を歌っているユーザーさんの歌です。多くの作品が歌われていますが、その1曲が「君が思い出になる前に」という曲です。

この作品は1993年9月26日に発売された彼らの4枚目のオリジナルアルバム「Crispy!」に収録されると共に、シングルカットされて1993年10月25日に7枚目のシングルとして発売されました。この作品でスピッツは初めてオリコンチャート入りしましたが、最高位は33位というスマッシュヒットでした。その後、CM曲としても使われた影響もあり、今ではスピッツの初期のナンバーとしてこの作品を多くの方がご存じだと思います。当時のスピッツはまだ売れない時期が続き、「そろそろ売れる作品を作らなければ」という思いを感じていたそうです。プロデューサーに笹路正徳さんを迎えて、従来より厚みのある音質を狙っていました。そして、スピッツのメンバーも「売れる音楽」を意識して楽曲を作っていき、「君が思い出になる前に」もそんな1曲だったそうです。ただ最初は「Crispy!」がなかなか売れず、ボーカルの草野マサムネさんは「自分の曲や声は一般受けしないのか」と落ち込んでいましたが、シングルとして「君が思い出になる前に」がヒットしたので持ち直したそうです。売れるか売れないかというのは誰にもわからないし、歌が上手くても売れないし、歌が下手でも売れるし、楽曲が優れていても売れないし、駄曲でも売れたりするし、賭けみたいなものだと思います。でもここで売れなかったら、その後の「ロビンソン」にも、その後のスピッツにも出会うことはなかったわけで、当時スピッツのCDを買った皆さんに感謝です。

ぼくはスピッツをもう少し知ろうと思って、1999年12月15日に発売された彼らの初のベストアルバム「RECYCLE Greatest Hits of SPITZ」を買って、その1曲目がこの作品でした。透明感のある草野さんの声が、夏の恋が終わる情景を想像させてくれるものでした。ただこのベストアルバムは、スピッツや彼らの事務所の許可を得ないまま、ポリドールがリリースを強行した経緯もあって、このアルバムについては彼らの公式サイトのディスコグラフィには載ってませんし、ファンクラブに対しては、自分たちの意図に反してリリースしたことに対してお詫びを掲載しました。結果的にこのアルバムは200万枚以上のセールスを挙げましたが、スピッツのメンバーには不満があったようで、その後、2006年3月25日に「CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection」をユニバーサルJから発売し、これと同時に「RECYCLE~」は製造及び販売が中止となった上で、廃盤となりました。ちなみにポリドールとの契約は2001年で終わり、2001年から現在はユニバーサルJです。というわけで、スピッツは結構お怒りの「RECYCLE~」ですが、ぼくにとっては今でも大切に聴いているアルバムです。


スピッツ / 君が思い出になる前に

黄昏ロマンス

ぼくが1人カラオケ、通称「ヒトカラ」をするようになってから、割と歌っているアーティストの1組がポルノグラフィティ。彼らはロックバンドではあるんですけど、作品が全部ロックチューンという訳ではなくて、優しくてほっとするような作品も出しています。そんな1曲が「黄昏ロマンス」という曲です。

この作品は2004年11月10日に彼らの16枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は新藤晴一さん、編曲はak.hommaこと本間昭光さんです。Tamaさんが脱退後、「シスター」に続くシングルということで、アキヒトさんとハルイチさんの2人体制になってからのもどかしさをまだ引き摺っている中での「黄昏ロマンス」の発売でした。

「黄昏(たそがれ)」って言葉は歌でよく使われますが、もともとは、日没直後、西の空に夕焼けの名残の赤さが残る時間帯のことをいいます。万葉集などの和歌で「誰そ彼(たそかれ)」という言葉が使われますが、夕暮れ時で相手の顔がよく見えないので「あなたはどなたですか」と聞くのが「誰そ彼」でありました。転じて、「人生の黄昏」という使われ方で、人生の盛りを過ぎた頃を例える場合もあります。

「黄昏ロマンス」というと、「老いらくの恋」を連想してしまうかもしれませんが、歌詞を改めて読むと、おじいさんとおばあさんになった頃に人生を振り返って、いい人生だったねえという歌ではないんです。若い主人公が何十年後の年老いた自分を想像して、そこから今を俯瞰して見ているんですね。「公園のベンチで思い返してみた」ときに、「君にとっての幸せをひとつぐらいは増やせてあげたかな」「君のすべてわかってあげたい ひとつも残さず」と思う主人公。これって、おばあさんを愛し続けるおじいさんのことではなくて、アキヒトさんに対するハルイチさんの気持ちだったのかなって思いました。後悔のない音楽を作って行こうよって感じで。だから、歌詞の始まりにある「足りないなら問い詰めてよ いらないなら捨ててよ もとから見当違いなら承知さ」というのは、腹割って話し合っていこうよっていう気持ちの表れなのかなと。基本的に仲良さそうですけどね、ポルノの2人は。「何一つ終わってやしないのに まだ生きるとして 僕らには始まりや始まってないものばかりさ ねぇ気付いてる?」というのは、自分たちに言い聞かせていたんだろうなと思います。

アキヒトさんも当時はブレイクして数年経ち、声帯の疲労があったりして、キーを下げようかなと思うこともある中で、喉を痛めない歌を歌っていかなければいけないなと思っていたそうです。ぼくも1人カラオケを始めて数年経った頃、歌ってても声の調子がおかしかった時期がありました。声を張り上げたり、喉だけで歌ってると無理が出てしまうんですね。

ハルイチさんは当時の雑誌のインタビューで、ポルノグラフィティのサウンドはロックにこだわらず、色々な音楽で表現していきたいという趣旨のことを言われていた記憶があります。「黄昏ロマンス」については「スルメみたいな作品。年々味が出てくると思う」と言われていました。彼らの作品の中では地味ですが、こういう作品を作れるのも彼らが人気を保てる1つだと思います。

歌ってみた人の歌をどうぞ。(ぼくではありません。)


【歌ってみた】普通 ポルノグラフィティ 黄昏ロマンス

A.C.E

DAM★ともで各ユーザーさんの公開曲のラインナップを見ると、その方のお気に入りのアーティストとか、好みの音楽とかがわかるので面白いです。ぼくの場合、公開曲は10曲が上限なんですが、割と色々なジャンルのアーティストの作品を散りばめてるつもりで、実は結構自分のお気に入りアーティストに縛られてる感じもあったりするこの頃。そんな自分を変えてみようといろいろ曲探しをしていますが、前向きになれるナンバーということで練習しているのが、中西圭三さんの「A.C.E」という曲です。

この作品は1994年2月23日に中西さんの11枚目のシングルとして発売されました。当時の代々木ゼミナールのCMソングにもなりました。作詞は売野雅勇さん、作曲は中西さん、編曲は小西貴雄さんという、デビュー以来の中西さんの作品を提供しているチームです。

中西圭三さんの音楽というと、歌のパフォーマンスも含めてどこかにブラックミュージック的なものを感じますが、日本のポップスは、モータウン・サウンド(Motown Sound)に影響されているところが大きいと思います。モータウン・サウンドは1960年にアメリカのデトロイト(Detroit)で生まれた「モータウン・レーベル」が発祥なんですが、ソウルミュージックやブラックミュージックを発信していく中で、セールスを意識してポピュラー音楽との融合、いわゆるクロスオーバー(Crossover)を行ったことで、ポップス色の強い「モータウン・サウンド」として確立しました。日本のポップスは歌謡曲もジャニーズもロックもニューミュージックも少なからずこのモータウンのポップな部分の影響を受けていますが、中西さんや久保田利伸さんはややブラック寄りのサウンドなのかなと思います。

「A.C.E」って何?っていつも歌ってて思いますが、歌詞にはないイントロのコーラスで「A is Affection C is conviction E is emotion」って歌ってるんですよね。愛情、信念、感動かな。ハートのエースは切り札という意味も歌詞には出ていますが。歌詞は、彼女が好きなんだけど、切り札を持ったまま好きと言えない主人公と、悲しいことがあってもポーカーフェイスで隠す彼女の、「胸にあふれる涙」が「A.C.E」とも書いています。「ace」で「素晴らしい」というスラングもありますけど、「その人のいいところ」なんだろうなって思います。

中西さんみたいに体を左右に揺らして歌ってみましたが、低音から高音までの往復が多いのと、パワフルに歌ってこそ映える歌なので、難しいです。歌唱力と肺活量が必要ですね。


中西圭三_A.C.E.