DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

愚図

歌謡界の中でも、ニューミュージックのアーティストの作品を歌ったら、見事にその歌の世界を表現していた歌手といえば研ナオコさんでした。その研さんが初めて出したヒット曲が「愚図」という曲でした。

この作品は1975年9月10日に研さんの9枚目のシングルとしてキャニオン・レコードから発売されました。作詞は阿木燿子さん、作曲は宇崎竜童さん、編曲は竜崎孝路さんです。研さんは1971年に東宝レコードからデビューし、タレントとしては当時の人気ドラマ「時間ですよ!」や「ありがとう」に出演し、バラエティ・タレントでの知名度も上がっていましたが、歌手としてはヒットが出ませんでした。シングルの作詞の大半は阿久悠さん、作曲も森田公一さんや筒美京平さんだったんですが、売れなかったんです。

東宝レコードの制作顧問をしていた田辺昭知さんが当時田辺エージェンシーを創業するに当たり、東宝レコードの専属歌手の中から選ばれたのが研さんでした。そして、当時ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでブレイクしていた宇崎竜童さんと、夫人で作詞家の阿木燿子さんに研さんの楽曲を依頼することとなりました。

「愚図」の作詞の主人公は自分に自信がなくて、自分の女友達に自分が好きな男性を道化者になって紹介してあげて、その後でそんな自分を愚図なおばかさんと責めてしまう何とも悲しい世界を描いています。これを中島みゆきさんが世に出る前に、ロックン・ロールをぶっ放していた阿木さんと宇崎さんが作ってしまうのは、ギャップでも驚きでもあります。ただ宇崎さんと阿木さん、明治大学の軽音楽クラブの出身ですし、実は不良な時代など過ごしたことがない方たちなので、第一印象が強すぎたんですね。

研さんは田辺さんに、歌の衣装も歌い方も自分で考えろと言われたそうです。それで、歌う姿勢が変わり、それまでは歌が好きで歌っていたのが、歌は伝えるものなんだと初めて知ったそうです。「愚図」のレコードジャケットの題字を書いてくれたのは、あの森繁久弥さんだそうです。

また、阿木さん・宇崎さんにとっても、「愚図」は、他のアーティストから初めて依頼された「第1号のお仕事」だったそうです。この作品がなければ、研ナオコという歌手もブレイクしなかったかもしれませんし、阿木さん・宇崎さんもその後山口百恵さんの作品を書くことにはならなかったのかもしれません。

研さんのオリジナルと、宇崎さんのセルフカバー、それぞれの味わいが感じられます。


愚図 # 研ナオコ(CD音源)

 


愚図 / 宇崎竜童 セルフカバー