DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ワン・ツー・スリー!

NHKEテレの人気番組「おかあさんといっしょ」。1959年10月5日の放送開始以来、今年で60年を迎えた、NHK及び日本を代表する番組の1つです。子供向けの教育・音楽番組なんですけど、番組内で歌われる「今月の歌」は有名な作詞家・作曲家の方が作られていて、いい曲も結構多いので、大人のぼくも割と楽しんで見ています。

「今月の歌」は、3月・8月・12月を除く毎月、番組オリジナルの新曲が、うたのおにいさんである花田ゆういちろうさんと、うたのおねえさんである小野あつこさんによって披露されます。毎月、新曲を覚えるのも大変な仕事だと思いますけど、4月からはたいそうのおにいさんとおねえさんも一新したので、パフォーマンスとして魅せるための振付も更に激しくなってきていて、その練習時間って多いんだろうなあと想像してしまいます。それに比べて、カラオケで好きな曲を歌っているのはよほど楽だなと思います。

さて、2019年の「今月の歌」を振り返って、ぼくが歌ってみたいと思ったのは、7月の歌だった「ワン・ツー・スリー!」という曲でした。作詞は坂田めぐみさん、作曲は坂田修一さん、編曲は池毅さんです。坂田修一さんは「おかあさんといっしょ」の7代目うたのおにいさんとしても活躍した坂田おさむさんであり、「今月の歌」へも数多くの楽曲を提供しています。坂田めぐみさんは坂田おさむさんの娘さんであり、歌手としても活躍されています。池さんは子供向け教育番組への楽曲を始め、アニメソングやコマーシャルソングを2,000曲以上提供されていますが、歌手としても長年活躍されています。

子供に伝わるための歌ですから、メッセージがはっきりとしていて、わかりやすいものでないといけないんだと思います。Aメロでは「うさぎのようにホップ!」「ひよこのようにステップ!」「うちゅうに向かってジャンプしよう」と、動物を例えに出して、ホップ・ステップ・ジャンプと前に跳んでいくことを教えて、サビでは「ワン・ツー・スリーでいこうよ! おほしさまからの メッセージ いっぽいっぽ すすめば ゆめはかなうものさ」と、努力することを教えるという、情操教育的にはいい歌だなあと思います。アレンジはロック調にしているのが面白くて、だからこそ音のメッセージが明確に伝わるように思います。そして、歌詞は元気いっぱいな内容なのに、曲調はどこか明るくなくて、物悲しさや哀愁を秘めているのが一ひねりしてますけども、きっとこういうメロディーの方が子供たちの音感には響くのかもしれません。そして、一緒に見ている大人にも、忘れていたことを思い出させてくれる何かがあるのかなと思っています。もっと素直に物事を見るとか、雑念を捨てて表現してみるとか、それは人によってそれぞれだと思いますけど。歌でもそうなのかなと。ここはこうしなきゃいけないんだと勝手に決めているけど、それ以外の表現ってあるんじゃないのかなとか。自分はここまでしかできないから、と自分の中でどこか予防線を張っているものって、本当にその一線を超えちゃいけないのかなって。ロンバケの瀬名君も「壁」を取っ払って、世界的なピアニストへの道を歩んだように、大人になって作ってしまった一線や壁を超えてこそ、子供のようにジャンプができるのかなって思います。


【ワン・ツー・スリー!】おかあさんといっしょ/花田ゆういちろう・小野あつこ 人気曲 cover

島唄

世に知られたヒット曲を振り返ると、歌詞やメロディーやアレンジも強烈なインパクトがありますが、やはりその曲を歌う歌手の個性が際立っていると感じることが多いです。それゆえに、ぼくのようなアマチュアがそういうヒット曲を歌うときは、まずオリジナルの歌手の歌い方をCDや動画で確認して、その歌手の雰囲気に寄せて歌おうとします。しかし、オリジナルの歌手の真似をしているだけでは、その曲の雰囲気は壊さないかもしれませんけど、一方で自分が本来持っている歌の個性を打ち消してしまっているかもしれないと思います。

もっと難しいのは、その土地や地域に根ざして伝承されてきた歌であり、例えば、ポルトガルのファドであったり、イタリアのカンツォーネであったり、フランスのシャンソンであったり、日本の民謡であったりします。母国の民族ではない日本人が、ファドやカンツォーネシャンソンに挑む場合、いかにその音楽が持つ底流を抑えつつ、借り物感を出さずに、外国人ならではのオリジナリティを産めるかが勝負なんだと思います。日本の民謡においても、その地方の出身者ではない方がその地域の民謡を歌う場合も、いかにその地域感を表現できるかというのが肝要であると思います。

日本の中でもとりわけ個性的な地域が沖縄であり、人々が集まる場所では三線を弾きながら歌う方がいて、その歌に合わせて踊り始めるという光景が知られています。そういう超個性的な琉球民謡を、沖縄以外の人が歌いこなすというのもハードルが高いですが、さらにそんな琉球民謡に魅せられて、琉球民謡のような作品をつくることはもっとハードルが高かったと思いますが、そのハードルを乗り越えた1曲が、THE BOOMの「島唄」という曲でした。

THE BOOMは「島唄」で世に知られたので、彼らを沖縄出身と思う方も多いかもしれませんが、彼らは山梨県出身のロックバンドで、名前の由来は「常に流行に左右されず自分たちの音楽を貫いていけるように」という逆説から付けられたこともあり、さまざまなジャンルの音楽をモチーフにしながら、独自の音楽の世界を作っている印象があります。「島唄」が生まれたきっかけも、三線の音色や琉球民謡の節回しに興味を持ったのだと思います。ボーカルの宮沢和史さんは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れ、そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りである老婆に会って、想像を絶する沖縄の戦時の悲劇の話を聞いて、「島唄」の構想に入ったそうです。だから「島唄」は「表向きは男女の悲恋になっているけど、テーマは反戦の歌」であり、「この作品はこの老婆のために歌いたかった」と、インタビューで宮沢さんが話されていました。

しかし、この「島唄」は、琉球民謡を歌っていた方からは批判的に受け取られ、「沖縄民謡の真似事をするな」とか、「沖縄に住んでから歌え」とか、結構痛烈だったそうです。一方で、彼らを支持する沖縄の音楽仲間もあり、喜納昌吉さんは「音楽において、その魂までコピーすれば、それはもうコピーではない」と激励し、BEGINの比嘉栄昇さんも「BOOMさんの『島唄』は画期的だった。それまでは沖縄のミュージシャンは本土でどう歌えばよいか分からず、本土のミュージシャンも沖縄で歌うのは遠慮があった。その橋渡しをポンとしてくれたのがBOOMさんの『島唄』です。ありがたかった」とエールを送りました。当初は、大ヒットした「オリジナル・ヴァージョン」のリリースをためらっていた宮沢さんでしたが、こういった励ましの声を受けて、「島唄」はいまや沖縄を歌った歌の代表曲の1つになっています。

音楽はそれぞれが個性的であるゆえに、自分に似た音楽が自分の庭に入ってくると、その動きに反発して排除しようとする動きはあるのかもしれません。でも、自分に似た音楽は自分の音楽とは違うのだから、それぞれの存在を認め合うことで、音楽の裾野は広がると思いますし、音楽同士が融合してまた新たな音楽を生み出すきっかけを作るかもしれません。

ぼくは「島唄」は、他の人が歌うのを聴くことはあっても、自分で歌ったことはありませんでした。だから最近、初めて「島唄」を歌ってみました。歌ってみると、聴いていたときとは違う印象の箇所がいくつもありました。そういうことに気づくことで、自分自身の歌のレンジも広がっていけば、成長するのかなと思っています。


The BOOM - 島唄 ( Live )

アプローチ

DAM★ともでユーザーさんの歌を聴いたり、カラオケ大会で出場者の方の歌を聴いたりしていると、歌ってその方の個性が現れるものなんだなあとつくづく思います。同じ曲を歌っても、その曲へのアプローチは人それぞれ違いますから、やはり歌う方によってその曲の歌い方も、歌を表現するためのパフォーマンスも違ってきます。

それと、歌の「選曲」っていうのも、その方の「自分はこの歌を歌いたいんだ」という思いが強く現れていると思います。歌うのが好きな方って、カラオケの全曲リストを覚えているんじゃないかと思うぐらい、一般的にはあまり知られていない曲もご存知の方が多いです。DAM★ともでよく聴いているユーザーさんでも、ぼくにとっては聴いたことがない曲を公開されることがあって、それでぼくも聴いてみて、ああ、こういういい曲があったんだというのを教えて頂き、1つ得した気分になります。カラオケ大会でも、出場者の半分以上の方の選曲は、ぼくはそれまで聴いたことがなくて、目の前で出場者の方のステージを見て、その曲の良さを初めて知ることが多いです。

そして、今日もそういう1日だったと思います。ぼくは今日、第4回ORPHEUSカラオケコンテストというカラオケ大会に行ってきました。募集の40組が受付開始から早々に埋まってしまうほどの人気の大会で、「残り5組です」というツイートに背中を押されてしまい(笑)申し込んでしまいました。その後に送られてきた、出場者のエントリーシートの一覧表を見ると、ぼくが過去に出たカラオケ大会でご一緒した皆さんの名前が次々と出てきたので、当日前から楽しみな気分になりました。

カラオケ大会に出る方は歌が上手い方ばかりなんですけど、いつもご一緒になるわけではなく、皆さんがそれぞれ日程の都合のいい大会に参加されています。ぼくはカラオケ大会に出ている回数も少ないので、2月の大会以来久しぶりにお会いする方が何人かいらっしゃいました。

Twitterやブログとかで、カラオケ大会でご一緒した方のつぶやきとか動きとかを見ていると、歌が上手くなりたいっていう思いが強い方が多くて、カラオケ大会に数多く精力的に参加されたり、ボイストレーニングを受けて歌を勉強されたり、ライブハウスで歌ってみたり、さまざまなアプローチで歌の勉強に取り組まれている方が多いのに驚きました。そして、そういう方は着実に大会で入賞するなどの実績を残していることもわかりました。もちろん、努力されてますから、歌は以前よりも格段に上手くなっているわけです。

ぼくもそういう皆さんのストイックな努力を目の当たりにしたものの、なかなかそういう時間が取れない環境なので、カラオケで歌う時間を増やしました。そこで何を歌うかなんですけど、カラオケ大会で歌う曲は何十回も歌いますけど、それ以外にも自分が歌いたい曲を次々と歌ってみます。そうすると、点数の高い曲も低い曲も出てきますし、音程やリズムや表現力も高い曲や低い曲も出てきます。それで、自分の強みや弱みが見えてきますので、そういうところをカラオケ大会で歌う曲に活かそうとしてきました。ひたすら自己分析って感じです。また、人前で歌ってみた反応を振り返りながら、ここはもう少し柔らかく歌ってみようとか、ここはもっと感情を出すように歌ってみようとか、歌の構成みたいなことを考えて、1フレーズごとに試してみました。そんな作業を繰り返していると、歌う回数も100回を超えていたりします。すごくまわり道みたいなことやってるんですけど、ぼくのアプローチはこんなことやってます。

さて、今日はポルノグラフィティの「別れ話をしよう」という曲を歌いました。ぼくにとっては、演歌やバラード曲とは違った曲もカラオケ大会で歌ってみたいという気持ちだけで選曲しましたので、それだけに試行錯誤もありましたけど、ぼくなりの歌のカタチは一応作れた気がしました。入賞はしませんでしたけど、客席に戻ってから何人かの方に「良かったです」とお声掛けを頂けたことを、今後の励みにしたいと思います。

歌って、プロの歌手の方がお手本というか、模範解答を示してくださってはいるんですけど、そういうプロの歌手の歌を真似てというか、寄せて歌わないとだめなのかなとつい最近まで思ってました。でも、それだけが答えではなくて、自分で答えを作ってもいいんだということに気づきました。その答えで高みを目指すのが、芸術の芸術たる所以なのかもしれません。

僕はここにいる

現代のポピュラー音楽は、日本でいう演歌・歌謡曲・ポップス・ロック・アニソンのいずれも、基本的には1つの作品として仕上げられたフィクションであると思っています。歌手は、作詞家・作曲家・編曲家が作った作品を歌で表現するわけですが、そこに作品が描く世界だけではなく、作品と共有できる自分の思いとか、自分の人生経験を投影してみると、歌の表現力に加えて、説得力が増すような気がします。

思えば、美空ひばりさんは、自分の歌手人生を歌の作品に投影させた作品がいくつかあり、「芸道一代」や「ひとすじの道」は、ひばりさんの人生のテーマソングのような感じさえしました。


芸道一代/美空ひばり


美空ひばり ひとすじの道 (ベスト)

時代は移り、シンガーソングライターが台頭するようになると、彼らは1人で作詞も作曲も、時には編曲も自らで行い、もちろん歌も歌うわけで、その歌のモチーフを作っていく中では、フィクションだけではなく、半ば私小説的に、自分の人生経験を材料にしていくことも多々あると思います。

ぼくが最近お気に入りのアーティストの林部智史さん。林部さんは歌手だけでなく、作詞も作曲もするシンガーソングライターですが、彼の作品の1つである「僕はここにいる」という曲を最近聴きました。その歌詞を読みながら、林部さんの歌声を聴いていると、彼が歌手になるまでに経験したいくつかの挫折のエピソードや、礼文島で「その声で歌手にならないのはもったいない」と背中を押された話や、オーディションを落ちまくって歌手になるのを諦めかけた話とかがオーバーラップしてくる感じがしました。そして、この作品は林部さんにとっては歌手としてのテーマソングなんだなと思いました。

この曲を聴くと涙が出てくるというコメントもいくつか読みました。林部さんはピアノで作曲をしているんだと思いますが、メロディーが職業作家とは違って素直な感じがしますし、歌詞も同様で創作的というよりは心情をそのまま書いている感じで、そういう平易さが聴いている人たちにはわかりやすく、伝わりやすいのかもしれないと思いました。「涙を流すことは 弱さを見せる強さ 今痛みを抱えて ここに生きてる」とか、「明日が見えなくても それでも明日に向かって 思い迷い悩んでも それでいい」とか、苦労した人だからこそ書いた歌詞だなって思います。人それぞれにいろいろな痛みや悩みを抱えている不安な世の中で、歌手である林部さんは「ここにいるから 僕は変わらずにこの声で 君に歌うよ ずっと届けるよ」と歌っています。


癒しの音楽…【 僕はここにいる】林部智史

歌手は、歌で人の心を癒すのが仕事なんだろうなと思います。だから、歌を聴いてくれる人がいて、歌手も成り立っているんですが、きっと日本の路上やインターネットでは、まだ見ぬ誰かに向かって、歌っているプロの歌手の方やアマチュアの歌い手の方がたくさんいるんだろうなって思います。そういうたくさんの歌声で、日本中が癒されたら、ギスギスした世の中の諸問題は起きないのかもしれませんが。

さて、上の「僕はここにいる」は、林部さんのファーストアルバムにも収録されていますが、デビューした後の環境や心境の変化を受けて、林部さんは同じ題名で歌詞もメロディーも違う「僕はここにいる」を作って、コンサートで披露しました。(通称は「僕はここにいる2」とか言われています)「僕はこれから色々と変わっていっても、皆さんへの思いは変わりません。皆さんのために歌っていきます」というメッセージがコンサートで林部さんからあったそうです。こういう歌のプレゼントって、面白いなと思いました。音源化はまだされていないそうです。


『僕はここにいる』~林部智史

ぼくはこの「僕はここにいる」は歌ったことがありません。聴く方としては癒されますけど、人生の痛みや苦しみを歌えるほどの深みを持っていないぼくとしては、こういう歌を歌うのはちょっと躊躇すると思います。

ホタル花火

DAM★ともでも、YouTubeでも、カラオケ大会でも、ライブやコンサートでも、歌を聴く機会って多いんですけど、自分がお気に入りにしているアーティストさんの歌を、どうして好きになっていくのかなと考えてみると、歌の上手さとか、ステージングのかっこよさとかもありますけど、その声質が好きだなあと思うところも多分にあります。

Twitterのフォロワーさんが先月のあるとき、「この人の歌う歌を聞いて覚えている位この人の声が好き」というアーティストさんの紹介をされていて、ぼくも「宇野さんって誰?」と思いながら、その歌声を聴いて見ると、強くてストレートなかっこいい声でありながら、どこか儚げで壊れそうな雰囲気も時に感じました。こういうイケボって女子は惚れるよなあと思いながら、ぼくもこの歌声に興味を持ってしまいました。

歌声の主は宇野悠人さんという方。ぼくは存じ上げなかったんですが、18歳の頃からYouTubeにカバー動画を公開していて、2016年度のカバー動画の年間再生ランキング1位を獲得されています。そして、2017年に、俳優としても活動されているミュージシャンの平牧仁さんと、「シキドロップ」というユニットを結成し、2019年3月21日に1stミニアルバム「シキハメグル」をリリースされています。

アルバムに収録されている曲の中で、DAM★ともで歌えるのは「ホタル花火」と「さくら紅葉」の2曲でした。アルバムのインタビュー記事を読ませて頂きましたが、作品のテーマが「どうしてこんなさようなら」になったのかという思いを、ふくらませて仕上げていったということで、四季の移ろいがあるように、感情も移ろっていく、「ホタル花火」は夏を歌った曲で、「さくら紅葉」は秋を歌った曲です。

ぼくは歌う曲の食わず嫌いが結構偏っているので、歌い方も日頃自分が歌っている曲の歌い方におのずと縛られてしまっているところがありますから、新しいアーティストさんの曲を歌うのは結構苦労します。その作品が独創的であればあるほど、難度は高まっていくっていうか。シキドロップのお2人もいろいろなアーティストさんの音楽に触れてきたことをインタビューで話されていて、「ホタル花火」を初めて聴いて、どこかで聴いたことのある懐かしさを感じると思って、それで何十回も聴いていたら、松任谷由実さんが荒井由実さんだった時代の音楽のテイストを彷彿とさせるものをどこかに感じ取りました。もちろん歌の題材は今がテーマなんですけど、人生の中で成長するなかでいつか出くわすエピソードっていうか、経験みたいなものを描く普遍性っていうのは、時代を超えて共感するものがあるんだなって思いました。

それで、新しい曲への歌い方については、平牧さんが少しヒントをくださっていて、「自分の歌詞は情緒的というか、怨念がすごくこもっている歌詞なので、これを本当に情緒豊かに歌ったら、演歌の世界になっちゃうと思うんですよ。それが悠人というフィルターを通して歌うことで成立して、すごく聴きやすくなっている」ということで、あまり歌詞を深く表現しすぎない歌も1つの歌い方なんだよなあと思いました。

宇野さんは歌詞で歌を聴かないそうで、「歌詞は歌って初めて歌になるから、感じ取るものだと思うので、特に何も考えずに、出て来るものを出しています」と話されています。でもこれって、実は作品をしっかり体に浸透させた上で、魂が発する歌声を出すということでもあり、相当高いレベルの話をしているように感じました。

プロの審査員の先生が言われることの1つに「アマチュアの人は全部歌いすぎる」「歌の中には捨てる部分も作らないといけない」という言葉があって、歌の一節一節をこういうふうに、こういう歌い方で歌ってというのを研究して歌えば、研究した歌の作品はできあがりますけど、その歌が聴く人たちの心を揺さぶるかどうかはまた別物だと思うんですよね。

宇野さんのいう「言霊的な歌」はなかなか歌えませんけど、この詞の情景から発せられるセリフだと思ってぼくも歌ってみたら、初めて歌ったときよりは滑らかに歌えるようになりました。まだまだですけど。

それでも、ぼくも歌うときは、その作品の雰囲気を再現させたいと思うので、原曲キーに拘るところが結構ありますけど、「ホタル花火」も「さくら紅葉」もぼくのキーよりはかなり高いので、キーを下げて歌ってます。雰囲気を壊さないように歌えたかなと思ったら、DAM★ともに公開しようかなと思ってます。彼らの曲を公開しているユーザーさんはまだいないので、今がチャンスかなと。憧れるイケボには遠いけど、そんな雰囲気を少しでも自分の声で出せたらいいなと思います。


シキドロップ - ホタル花火 / shikidrop - Hotaru Hanabi

 

銀の龍の背に乗って

歌の作品のご当地を訪ねてみると、その歌詞の意味が一層よくわかるとか、そのメロディーの意味がしっくりくるとか、改めて理解が深まることがあります。演歌の場合は、ご当地をテーマにした作品が数多くありますので、竜飛岬に行って、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」の世界を実感した方もいらっしゃると思います。竜飛岬には津軽海峡冬景色の歌碑があり、二番の歌詞が流れます。


竜飛岬で津軽海峡冬景色歌謡碑の曲を流してみた

この連休は沖縄の八重山諸島を旅してきました。沖縄というと、古くから土地に伝わる民謡が根づいていて、現代の歌謡曲・ポップスも盛んな土地柄という印象があります。沖縄のホテルでシンガーのライブを聴くと、必ずといっていいほど八重山民謡である「安里屋ゆんた」は聴きますし、昭和・平成の曲であれば、喜納昌吉&チャンプルーズが発表した「花~すべての人の心に花を~」、BEGINの「島人ぬ宝」、夏川りみさんの「涙そうそう」も、併せて聴くことが多いですけど、東京で聴くときとはまた趣が異なる歌を感じます。

石垣島から飛行機で30分、日本最西端の島である与那国島に降り立ちました。東京からは2,000km以上離れて、晴れた日には台湾の山並みが見える日本国境の島です。


与那国町観光PR動画

島内には3つの集落がありますが、このPR動画には出てこない比川(ひがわ)という集落に、2003年にフジテレビ系で放送されたテレビドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影に使われた診療所のセットが残っていて、内部も有料!(島内の路線バスが無料!だっただけに、余計に驚きました)で見学することができます。セットといっても実際は堅牢に建設された建物ですので、4年前には風速80mの台風が島を襲ったそうですが、無事に残っています。


与那国島 Dr.コトー診療所近辺(比川)

このドラマのエンディングの主題歌に起用されたのが、中島みゆきさんの「銀の龍の背に乗って」という曲でした。中島みゆきさんは2002年のNHK紅白歌合戦に初出場し、黒部川第四発電所の地下道からの中継で「地上の星」を披露した影響で、2003年に入ってオリコンで1位を獲得するなどロングヒットが続いていましたが、おそらくドラマ主題歌の企画も同時に行われていたため、ドラマが開始した2003年7月23日に「銀の龍の背に乗って」がシングルとして発売されました。

ぼくもこの作品はもちろん知っていて、PVのイメージで、みゆきさんが青いロングドレスを着ていて、優雅でありながら、力強さを感じる、スケールの大きな歌だなあという印象を持っていました。「Dr.コトー診療所」はそれほど見ていなかったので、ドラマへの思い入れは全くなかったんですが、診療所の建物から目の前の砂浜を見ていて、この比川の集落に立っていると、離島での過酷な医療状況に立ち向かうコトー先生の気持ちが少しはわかってきた気がしました。ドラマ主題歌だから当たり前だったのかもしれませんが、「銀の龍の背に乗って」の歌詞は、離島の厳しい医療の現場に立ち向かう医師のことを描いていたのだと、今さら気づきました。「あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる」この島で、非力を嘆いていた主人公は、震えて待っているだけだった昨日までの気持ちを改めて、龍の足元へ崖を登り、「銀の龍の背に乗って 命の砂漠へ」「運んで行こう 雨雲の渦を」という歌詞ですが、銀の龍って一見、希望をすがる存在のようであって、実は勇気を出して生まれ変わったもう1人の自分の姿なのだろうと解釈しました。厳しい自然環境と対照的にゆったりと流れる島の時間を感じつつ、起こりうる問題に自分が向き合っていくことで、人生は進んでいくものだなということを感じた時間でもありました。「Dr.コトー診療所」のモデルとなった医師は鹿児島県の下甑島の診療所の医師でしたが、ドラマの撮影場所を探して辿りついたのがこの与那国島だったそうです。ドラマのイメージに合っているというだけではなく、その土地が持っている、山や海などの自然がもたらす風景や、そこで生活する人々の生き様もまた、歌の魂を思い起こさせたのだろうと思います。


Dr.コトー診療所 ♪銀の龍の背に乗って(Instrumental)

与那国島にも「与那国小唄」という民謡があります。7月に島内で行われたイベントのようですが、歌が始まると同時に人々がカチャーシーを始めるのも、沖縄ならではの、土地に根づいた風景であると思います。


与那覇歩 in 与那国島 「♪与那国小唄」with 山城篤嗣 & 伊波はづき(4K/UHD)

初ラウンジ

ぼくは今週、初めてカラオケラウンジに行ってきました。カラオケラウンジというのは、ライブハウスに来たお客さんたちがカラオケで歌い放題、飲み放題で楽しむという企画です。もしぼく1人だけがライブハウスに来ていたら、3時間ステージで歌い放題(笑)にはなるのですが、実際には多くのお客さんがいらっしゃいますので、自分はステージで1曲歌って、客席ではドリンクを飲みながら、参加した方のステージを見て聴いて楽しむ時間になります。

カラオケ大会でご一緒した方がカラオケラウンジに行って歌っているのは知っていましたので、どういうものなのか気にはなってました。ぼくは先週の大会に出た後、DAM★ともで歌いながら、先週の自分のステージも振り返ってみて、歌というよりは、自分が歌う曲でステージから客席にどう向き合ったらいいのかなと考えてました。そのとき、「今週、カラオケラウンジあったよね」と思い出したのが、ORPHEUSカラオケラウンジでした。このライブハウスでは昨年の12月に第1回の「ORPHEUSカラオケコンテスト」で歌ったことがありましたので親近感がありましたし、来月のカラオケ大会でも歌いますので、これは行ってみよう!と思い、仕事も終わらせて時間が空きましたので、ORPHEUSカラオケラウンジに行ってきました。

もうすぐハロウィンということもあって、ドラキュラの仮装やコスプレで参加された方も何人もいらっしゃいましたが、こっちは仕事帰りそのままのスーツ姿…ということで、雰囲気を壊さないように、後ろの席で楽しませて頂きました。このライブハウスは都内でも立見で240人入る大きな箱で、他の大会で歌ってきたライブハウスと比べても俄然大きかったです。スタンディングのバースペースがライブハウスの部屋とセパレートになっているのも、ぼくは結構気に入ってます。

カラオケ大会とは違って気楽な気持ちで来たんですが、あれっ、ステージにはカラオケのモニターがない!また、歌詞見ないで歌うのか…と思いきや、ステージから見える場所に大モニターがあってホッとしましたが、歌う曲は来月の大会でも歌うポルノグラフィティの「別れ話をしよう」という曲にしました。

参加した方のステージが始まったんですが、1人目の方から、最早カラオケのレベルではなくて、ライブステージになっていて、2人目以降の方も次々と魅せるステージで歌っていて、これじゃカラオケ大会以上というか、ぼくは先週の大会のことを思い出してました。そして、カラオケラウンジって、歌うまさんが集まる場所だったんだ…とそのとき気づきました。歌が上手いだけじゃなくて、ステージも盛り上げられるようじゃないと、いけないんだなあって。まさに自分に足りないものなんですよね。

カラオケラウンジなので緊張感は全くなくて、運営も今日が第1回ということもあってり手作り感満載でした。ぼくは15番目で歌いましたが、選んだ曲の雰囲気が地味な感じで盛り上がらない曲ではあるし、有名な曲ではないので、歌ってみてどうなるのかなと思いましたが、曲を聴いて思い出してくださっていた方もいて、ぼくの歌にリズムを踏んで乗ってくださっている方もいて、手拍子まで入れてくださる方もいて、歌っているぼくとしては意外なリアクション!も感じつつ、気持ちよかったです。紹介のMCをやってくれた歌うまキッズのかぐらちゃんが、歌っている途中も正面に来て応援してくれて。きっとこの歌詞の意味はわからないのに、無邪気に音楽を楽しんでくれるのを目の前で見て、とっても嬉しかったです。

先週の大会が終わってから、ちょっと心が傷ついてたんですけど、そういう傷も癒してくれた時間でした。ぼくも、盛り上がれるような曲をステージで歌えるようになりたいです。そういう曲もDAM★ともでは歌ってますけど、ステージで歌う勇気はまだ…ありません。曲によっては振付も覚えないといけませんけど、ちょっと無理です。正直なところ、ぼくが客席の人たちに応え切れてはいませんけど、同じ曲を歌ってみて、先週の大会と今週のラウンジ、どちらも歌を聴くのが上手い方たちだと思いました。でも、歌った反応は微妙に違いました。この違いの1つは、自分の心の持ち方にあったのかもしれません。意識を変えれば、訴えるものも変わったのかもしれません。ヒトカラで楽しむのと、ステージで歌うのは違いますから。