DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ぞわぞわ

ぼくは今日、Singるmatch2019というカラオケ大会に行ってきました。9月にカラオケ大会に出た後、次に出るカラオケ大会を探している中で、この大会が目にとまりました。審査基準を読むと、「歌唱力だけでなく、動きや目線、ボーカリスト・アーティストとしての表現力などを評価。カラオケ大会ではできない、生の魅力を審査致します。」とありました。

以前出たカラオケ大会で審査員の先生から頂いた寸評が頭をよぎりました。その時は歌についてはお褒めの言葉を頂いたものの、「目線が勿体ない!これだけ上手だと、何処を見ているか気になります。」というコメントを頂きました。目線。歌って、目線でも歌うものなんだということを初めて知りました。そして、自分に足りないものをはっきりと確認した方がいいと思い、エントリーしました。

エントリー概要を読むと、《カラオケ機器はありません》とのことで、「エントリー曲のカラオケ音源をCD-Rに入れて持参してください。」とありました。今まで出たカラオケ大会はすべて、カラオケのモニター画面が設置されていました。今回、それがないということは、歌詞を暗記しなければならないということでした。元々、大会でもほとんどモニター画面は見ないで歌っていましたが、歌いながらチラッと見るぐらいはしていたので、何も見れないというのはどうなるのかなと心配しました。

何を歌おうかなと思ったんですが、今までの大会では歌っていないジャンルの曲を歌おうと思いました。DAM★ともでは今までよく歌ってきたポルノグラフィティの曲。でもキーが高い曲が多いので、大会での選曲からは外してました。ポルノの曲は有名なヒット曲も数多くあるんですけど、シングルのカップリング曲もお気に入りな曲が何曲もありました。「アゲハ蝶」のカップリング曲に「別れ話をしよう」という曲があって、東京のバーで男性が女性に別れを切り出す失恋ソングなんですけど、発売当時はカラオケでは配信されていませんでした。今も配信されてないのかなと思いつつ、DAM★ともを検索してみたら、「別れ話をしよう」があったので、歌い始めるようになりました。曲への思い入れがあったからかもしれませんが、今までのポルノの曲よりは高得点が取れたこともあり、この曲でエントリーすることにしました。

ライブハウスでのカラオケ大会は経験がありましたが、歌詞が見れないというのが気になってしまいました。カラオケに行っても、画面と反対の方向を向いて、歌詞を覚えて歌えるかを何十回も練習しました。CD音源を持参するのは初めてでしたが、録音した音源が思ったほど音量が大きくなくて、当日音源が小さくなるのかなと心配していましたが、ライブハウスの方がいい音量に調整してくださったので、心配なく歌えることができました。今日の出場者は19組でしたが、いずれも歌うまな方ばかりで、さらにライブ活動をされている方が何組も出場されていました。だから、歌が上手いだけじゃなくて、魅せるステージもできる出場者の方がほとんどでした。一方まったく音楽活動もしていない、純粋カラオケシンガーのぼくとしては、ものすごくレベルとしては低いんですけど、歌詞を間違えずにはっきりと伝えようとか、音程やリズムをしっかりと歌ってメロディーをはっきり伝えようとか、そういうことを固めた上で、やっと目線とか表現力が出てくるものだろうと思っていました。

「別れ話をしよう」という曲は地味な曲で、歌詞は1番、2番、ラストと別れに向けて刻々と進んでいく構成でしたので、声で別れ話の雰囲気を表現しようと思いましたが、課題であるはずの目線は、正直なところ、どういう目線の動きにしていったらいいかまでは考えがつきませんでした。

出場者の皆さんが客席にいるわけですが、歌が上手い方は、他の方の歌を聴くことも上手いと思っています。ぼくは今日ステージで歌っていても、客席の人たちは歌っているぼくのことをしっかりと見て頂けているのがわかりました。だから、今日は特に緊張することもなく、気負わずいつもの歌が歌えたと思いました。一方、ぼくはというと、目線をどうしたらいいのかが決まってませんでしたから、そういう客席の人たちに応える姿勢が示せなかったなあと思いました。自分は歌の世界を作るための目線とか、手振りとかを作っておけばいいと思っていました。やっぱり何かが欠けてました。自分が設定した目標があまりにも低すぎたんだとわかりました。

入賞した方のパフォーマンスを振り返ると、どの方も思いっきり自分の歌をこれでもか!どうだ!っていうぐらい強烈にアピールしていたと思いました。今回の入賞の基準は、審査員のsumioPさんが「ぞわぞわっと感じた順です」と話していました。優勝の方にはsumioPさんがオリジナルソングを提供してくれるんですが、となると、sumioPさんが「曲を書いてみたい!」と思う方が選ばれるわけですよね。

ぼくの歌には「ぞわぞわ」がなかった。つまらない歌だったのかもしれません。ぼくに足りないのって、自己アピールなんだよな、とつくづく思いました。もっと自由に表現しても誰も何にも文句とか言わないはずなのに、この歌はこういう風に歌わなければいけないんだと、根拠もないのに、自然と制約とか線引きをしているのかもしれないなと思いました。

出場者の歌唱、ゲストの歌手の歌唱はしっかりと目に焼き付けましたので、自分に足りないもの、欠けているものを見つけて、もっと自分の歌を成長させたいと思いました。今日は出て良かったと思いました。でもなあ、ぼくにはシャウトするような盛り上がるような歌はとても歌えません。やっぱり自分の個性とかキャラクターを表現できる歌を歌っていきたくて、そこは変えたくはないんですよね。だからだめなのかな…。

木蘭の涙

林部智史さんのコンサートに行って、林部さんが歌った曲の1曲が「木蘭の涙」という曲でした。

この作品のオリジナルは、スターダスト☆レビューが1993年3月10日に発売したアルバム「SOLA」(ソラ)の1曲目として収録されました。作詞は山田ひろしさん、作曲は柿沼清史さん、編曲は三谷泰弘さんです。その後シングルとしても1993年7月25日に発売されました。スタ☆レビの代表曲の1つにもなっています。作詞の山田さんは林部さんに「迷子のお知らせ」を提供しています。柿沼さんはスタ☆レビのベースの方です。三谷さんは1994年までスタ☆レビに在籍し、キーボード兼ボーカル、作曲、編曲を担当していた方です。

多くのアーティストにカバーされる曲であり、ぼくが聴いたのは2016年5月11日に自身のシングルとして発売した松原健之さんのカバーでした。林部さんも、2016年10月12日発売のデビューシングル「あいたい」(スペシャル盤)と、2018年10月3日発売の「カタリベ1」で、「木蘭の涙」を収録しています。

スタ☆レビの根本要さんの歌をはじめ、DAM★とものユーザーさんの歌とか、カラオケ大会に出られた方の歌とか、「木蘭の涙」を聴く機会は数多くありましたけど、ぼくはこの曲は今まで歌ったことがありませんでした。林部さんのコンサートが終わった後、カラオケに行って、この曲を初めて歌いましたけど、死んでしまった相手を思う主人公の歌なんだとわかりました。2番の冒頭の歌詞にある「木蘭のつぼみが 開くのを見るたびに あふれ出す涙は 夢のあとさきに」というのが、たぶんこの作品の原点なんだと思いました。林部さんが「これから歌う曲は、人生をテーマにした曲を歌います」と話して歌った1曲だったんですが、人生をテーマにした曲を歌うというのは、ぼくにはちょっと重すぎる気がしました。それに「木蘭の涙」はやはり根本さんのイメージが強すぎて、プロの方がカバーしても根本さんには及ばないと感じるのに、素人が歌っても難しいなと思いました。DAM★ともヒトカラで歌っているだけなら何を歌っても気になりませんけど、人前で歌うとき、ものすごく覚悟がいるような気がしました。

YouTubeで根本さんの動画をいくつか見てたんですけど、イントロから2つめのフレーズの「いつまでも いつまでも 側にいると 言ってた あなたは嘘つきだね わたしを 置き去りに」のところをなぜか省略して、Aメロに移ってしまっていて、ここがいいのに何でかなと思いました。


STARDUST REVUE スターダストレビュー 「木蘭の涙」

こちらはプロになる前の林部さんが歌った「木蘭の涙」。MCで「歌は点数ではないし、競うものではないと思う。でも、プロになるために、点数を取りに行きました」と当時の思いを話してくれました。そして、4日前に聴いた林部さんの「木蘭の涙」は、この時よりも遥かに、もっと深くて真摯ないい歌でした。


しべさん・木蘭

 

生しべの一日

今日10月9日、ぼくは林部智史さんのコンサート「林部智史~希望~CONCERT TOUR 2019 秋 in 東京」で、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールに行ってきました。

コンサートのチケットをゲットしたのが7月24日でしたから、そこから約2ヶ月半、待ちに待ったこの日でした。

今回のオーチャードホールでの東京公演は2日間で、10月8日は18:30開演、10月9日は14:00開演でした。

久しぶりに渋谷の街を楽しんで、13:20頃、オーチャードホールに到着して驚いたのがお客さんの客層でした。平日の午後の公演ということもありますけど、お客さんの9割以上が女性の方で、それも大半がご年配の女性の方でした。男性はというと、ご年配の女性のご主人が同伴という方がほとんど。ぼくみたいに1人で来ている若い男性は、3階席では他に1人いただけでした。オーチャードホールって、総客席数が2,150席なので、1,900人以上は女性!学生の頃に彼女に無理やり連れて行かれたジャニーズの映画で、同伴の彼氏さん以外は全部女性だったときのことを思わず思い出しました。たぶん10月8日の客層はまた違っていたと思います。

林部さんは「自分のコンサートは聴いていただくコンサートである」という主旨を言われていたように、お客さんたちには親衛隊もいませんし、応援グッズを持った人もいませんでした。公演の演出上、他の歌手ではよくある掛け声などもご遠慮してくださいとの看板もありました。

さて、ぼくの席はというと、3階席4列28番(泣)。発売開始の7月24日にチケットを取ったのに、最後列の前の列だったんです。オーチャードホールは客席の勾配が急で、1階席を平地とすると、3階席はビルの4階くらいの高さで!正面のはるか向こうに林部さんらしい人がいるんですけど、顔はまったくわかりません。歌声を聴いて、「林部さんの声!」ってよくわかりました。演奏の5人の皆さんも同様で、先ほどTwitterを見て、ご尊顔を拝見しました。(笑)

以下は、ネタバレにならないようにしつつも、ぼくが強く感じたことについては、個人の感想ということで書かせていただきます。

14:00過ぎに第一部がスタート。オーチャードホールは映像で風景を映しながら、照明も多彩な使い方ができるのがいいなと思いました。演奏によるアンサンブルの後で、林部さんが4曲を立て続けに歌いました。客席の皆さん、掛け声とか一切なくて、歌のアウトロの最後の最後まで確認して、一斉に拍手ということで、クラシックコンサート並みのお行儀の良さでした。林部さん、MCとかないんだろうなと思ったところで、ご挨拶。しゃべりも綺麗なお声でした。林部さんからは「今回の公演、10月8日も10月9日も完売でしたが、10月9日の方があっという間に完売!でした」と一言。おそるべしおばさまパワー!続けて、「今日は昨日よりも全力で歌えると思います!」と頼もしいお言葉が!その後、6曲を歌って、第一部終了。昨日の公演も全力で歌っていたみたいだったので、最初の2曲あたりは「今日は調子悪い?抑え気味?」と思いましたが、「あいたい」を歌ったぐらいからスイッチが入ったみたいで、第一部のトリの曲も圧巻でした。

ぼくは林部さんのファンというよりは、林部さんの曲をカラオケ大会で歌わせて頂いている1人にすぎなくて、本当に知っている曲は「恋衣」と「この街」だけなので、今日のセトリで聴いた曲はこれから調べようと思ってます。ご婦人の皆さんが林部さんを歌の上手い「泣き歌の貴公子」と見ている見方と、ぼくはちょっと違っていて、林部さんの歌い方や歌の中での力の入れどころはどこなんだろうと思って聴いていました。高いラの音(hiA)を、時にファルセットで、時に力強く、使い分けていたのが印象的でした。

休憩を挟んで、15:20過ぎから第二部。アップテンポな2曲では、珍しく客席から手拍子が。林部さんも「手拍子OK」のサインを出してくれてはいましたけど、やっぱり手拍子はやめておきました。この後で2回目の林部さんのMC。カラオケの番組をきっかけにプロの歌手になれたものの、「歌は本来点数をつけるものではないし、競うものではない。そんな葛藤がありましたが、プロになるために、高い点数を取りに行きました」と思いを語ってくれました。また、プロでデビューしても、最初は「カラオケの人」と言われ、デビュー曲の「あいたい」がヒットすると「泣ける人」に変わったそうです。林部さんとしては、「カラオケの人」から、プロの歌手として、歌を伝える人として、覚えてもらいたかったので、「泣ける人」に変わったことは、とても嬉しかったそうです。そして、オーチャードホールに対しての思いがあったようで、初めてこのホールでコンサートをしたのが3年前のデビューの年の10月だったそうです。そして昨日が2回目、今日が3回目だったそうです。

このMCの後、林部さんの歌声が次第に精魂込めて歌っているように感じてきました。カバー曲も結構難曲なものを選ばれて歌われていました。ぼくが林部さんについて感心することの1つが、オリジナルの作品が持っている原風景をしっかりと読解した上で、ご自身の歌を作りにいっているなあと、どの曲のカバーを聴いても思うことがあります。あくまでも林部智史の歌として披露しているんですよね。そして、最後の曲はもちろん、今回のテーマでもある「希望」でした。CDの音源よりも、気持ちがぐっと入って歌われていたように感じました。その歌前の林部さんのMCで、「プロになる前は、好きな歌を歌いたくて歌っていて、プロになっていろいろな楽曲に出会って、人に寄り添うような歌を歌える歌手になりたいと強く思うようになりました」と言われたのは、グッとくるものがありました。彼は最後に「皆さんにとって、楽しみとか、生きがいとか、心の中に入れる歌い手になりたい」と言ってました。林部さんのこういう真摯な姿勢が好きです。「希望」が歌い終わった後、数分間、拍手は続きました。客席の大半はアンコールを期待したのかもしれません。でも、それは無理だと思いました。特に後半は言葉通り、全力で歌ってましたし、「希望」で締めると決めている林部さんには、それ以上のパフォーマンスをすることはプロとしてやらないと思いました。

コンサートの余韻に浸りつつ、いいなあと思った曲を歌ってみたくて、カラオケに直行しました。「この空を飛べたら」「木蓮の涙」「あいたい」の3曲。ぼくが歌ってみたら、音程は安定しないし、柔らかさは出ない。安定した心地よさを保って歌っている林部さんの歌唱力の凄さを改めて感じました。そして、「生しべ」(林部智史さんの生歌を聴くこと。本人が「生しべ智史です」と紹介したことによる造語)を聴いた思わぬ効果がありました。いつもは低い表現力が、この3曲を歌ったら、なぜか表現力が90点以上取れました。点数も95点以上でした。でもね、林部さんがいうとおりで、歌の良さは点数とは違うんですよね。「あいたい」は本人映像なので、歌いながら3年前の林部さんが画面に現れました。今よりもどこか少年らしさがまだ残っていて、MCでの話を思い出しながら、林部さんのこの3年の努力と成長をまた、じっと感じました。

RIVERSIDE HOTEL

令和に入ってから、再び80年代や90年代のヒット曲を聴いていると、あれから何十年も経っているんですけど、作品に対して古臭さを感じないんですね。だから、最近歌ってみようと思うようになりました。そんな1曲が杉山清貴&オメガトライブの「RIVERSIDE HOTEL」という曲です。

この作品は1984年10月21日に彼らの4枚目のシングルとして発売されました。作詞は康珍化さん、作曲・編曲は林哲司さんです。杉山清貴&オメガトライブとしての活動期間は、1983年4月から1985年12月までの2年9ヶ月と意外に短く、シングルも発売したのは7枚でした。彼らはもともと「きゅうてぃぱんちょす」というアマチュアバンドで活動していましたが、デビューに当たって「プロによる提供楽曲の演奏を行う」という条件を受け、「杉山清貴&オメガトライブ」と改名しました。

そして、ぼくは今まで知らなかったんですが、オメガトライブとは杉山さん以外のバンドのメンバーだけを指していたのではなく、実は彼らの音楽プロジェクトの名前でした。つまり、音楽プロデューサーである藤田浩一さんの指揮のもと、林哲司さんの主導で音楽制作を行ったそうです。レコーディングはプロのスタジオミュージシャンが演奏したため、バンドのメンバーはその演奏をなぞっていたそうです。ビジュアルイメージは「海」や「夏」や「リゾート」だったそうです。すべてがお膳立てされているなかで、バンドのメンバーは「オメガトライブ」役を演じ続けなければならなかったわけですが、彼らが目指した「海」や「夏」や「リゾート」をイメージした音楽は一定の支持を得たと思います。ただ、当事者たちがその役を演じる使命感を続けることに疲れてしまったため、1985年の年末で解散することが満場一致で決まったそうです。

ぼくは、今までの歌謡曲にもニューミュージックにもない、都会的な洗練さを感じるメロディーって割と好きでした。ニューミュージックの中でも都会の様相を示していたのはハイ・ファイ・セットであったし、リゾートでのバカンスを表していたのは松任谷由実さんでした。そういった音楽を男性のバンドで表現していった先駆者が杉山清貴&オメガトライブであったと思います。

ぼくは彼らへの音楽のイメージって「夏」だけではないと思っていて、「RIVERSIDE HOTEL」の時期は「白い冬枯れのホテル」というとおり2月頃なんだと思いますし、杉山さんのボーカルは、夏の歌を歌うときは青い海を感じさせてくれるし、秋や冬の歌を歌うときは都会の街を感じさせてくれる、そんなふうに感じていました。この曲も別れ話を切り出す場面で、主人公の男女のやるせなさみたいな感情が歌詞には如実に出ているんですけど、そういった傷ついた心を、杉山さんが透明感のある声で歌うと洗い流してくれているようにも感じられました。


RIVERSIDE HOTEL [Live] 杉山清貴

ロビンソン

この間の日曜日の夜にテレビ朝日の「関ジャム」をふと見たら、出演者の方たちでスピッツの「ロビンソン」という曲のセッションをやっていました。聴き終わって、改めて名曲だなあと思いました。

「ロビンソン」は1995年4月5日にスピッツの11枚目のシングルとして発売されました。スピッツはロックバンドなんですが、1987年に結成した当初はパンク・ロックをやっていて、THE BLUE HEARTSの影響を強く受けていたそうです。ただ、ボーカルの草野マサムネさんは、ハンドマイクで暴れたり、観客を煽ったりするスタイルは自分に似合わないと思い始め、スコットランドのフォークロックのアーティストである、ドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch)を意識して、アコースティック・ギターを持つようになり、現在のポップ・ロックのスタイルを確立していきました。そもそも「スピッツ」というバンド名は、ドイツ語の「spitz」に由来しており、「尖っている」とか「辛らつな」という意味を、草野さんが気に入ったそうです。どこか尖った音楽を標榜しているんだろうなと思います。

メジャーデビューしてからリリースした曲がチャートインせず、プロデューサーに笹路正徳さんを迎え、7枚目のシングル「君が思い出になる前に」が初めてチャートインしました。笹路さんは、草野さんの作詞は文学的だと評価し、それまで草野さん自身がいいと思っていなかった高音の声をもっと主張するように、プロデュースをしていきました。自分の声の魅力って、自分ではわからないところがありますし、まして高音は好きじゃないと思っていたら、なかなかその魅力には自身では気づかないですね。他人の目から見てもらって、自分の魅力を見つけるのも大事だと思います。

さて、「ロビンソン」について、草野さんは当初、この曲の音楽性がポップすぎると思っていたため、シングル化には乗り気ではなかったそうです。そして、「ロビンソン」はスピッツのいつもの「地味な曲」の1つであるという考えを周囲に示していて、テレビ番組のテーマ曲として1ヶ月オンエアされたことを除けば、さしたるプロモーション活動はしなかったそうです。製作サイドもそんなに売れないだろうと予想していたのに、発売直後のオリコンに9位で初登場し、オリコン最高4位ながらも、3か月間10位以内をキープし、その後も36週チャートインしたため、年間9位のセールスとなり、160万枚を超える大ヒットとなったのです。草野さんは「ロビンソン」が売れた理由については、その後の回顧録でも「答えはわからない」と話していますが、「自分が作った地味な曲に、三輪テツヤさんがアルペジオのイントロを入れてくれて、あれがなければそんなに売れなかったと思う」とも話しています。

ぼくが初めて「ロビンソン」を聴いたとき、このイントロが幻想的で歌の世界に導いてくれるような雰囲気を感じさせてくれました。そして、今までのバンドにはなかったというか、フィクションな空想の世界を演奏できっちりと表現してくれて、そこに草野さんのボーカルが歌詞とメロディーを調和させているように思えます。「誰も触れない二人だけの国」が手に届くところにあるような気がして、「大きな力で 空に浮かべたら ルララ宇宙の風に乗る」みたいに、自由にどこでも飛んでいけるような開放感を感じました。スピッツの音楽って聴いていると、日差しが差し込むようなキラキラ感を感じるんです。そしてそこに主人公たちの息遣いを感じます。日常を歌っているのだけれど、そこから生まれる愛の深さは宇宙のように無限に広がるみたいな、そんなユートピアに、多くの共感が得られたのだと思います。

草野さんも「俺は歌上手いんだぞ」みたいな歌い方はしていません。でもまっすぐに歌を伝える姿勢が貫かれていて、そういうところはロックだなあと思います。


スピッツ / ロビンソン


Spitz - Robinson

通りすぎた風

先日、カラオケ大会の審査員をされた方のブログを読んでいて、ご自身が大切にしたポイントとか、出場者の歌についての感想をわかりやすく書いていました。その中で、「フレージングに関してのみ言えば、ぶっちゃけ、濃すぎる方が多かったように思います。」と、「ワンコーラスでお腹いっぱい!という方は申し訳ないですが今回は高得点をつけることができませんでした。」という感想がぼくの目を引きました。審査員の方が大切にした部分は「もうちょっと聞きたいかどうか」だったそうです。プロの歌手で、濃すぎなくて、もうちょっと聞きたいような歌手の方は多いと思いますが、ぼくが思い起こしたのは高田みづえさんでした。そして、彼女の曲を何曲かYouTubeで聴いているなかで、初めてしっかりと聴いてみたのが「通りすぎた風」という曲でした。

この作品は高田さんの19枚目のシングルとして1983年2月1日に発売されました。作詞は横須賀恵さん。山口百恵さんが引退後に作詞をしたときのペンネームです。作曲は谷村新司さん、編曲は若草恵さんです。原曲は1978年に百恵さんの番組で初めて披露され、1980年には音楽番組「ミュージックフェア」でも百恵さんと谷村さんがデュエットで披露しました。百恵さんでのレコード化はされず、後輩の歌手として親しかった高田さんの作品となりました。話題性が高かった割には大してヒットしなかったんですけど、改めてこの曲を聴くと、歌詞には「山口百恵」のクールさが漂っていますし、メロディーには谷村さんらしい曲のまとめ方というものを感じます。そして、この曲って歌いこなすのが難しい曲なんですけど、それを歌っている高田みづえさんの歌唱力を感じる作品だと思いました。

ぼくがプロの歌手の歌を聴いている中で、「歌が上手いんだぞ」って主張する歌い方ではないけど、実はかなりの歌唱力を持っている歌手だと思い起こしたのは、男性では新沼謙治さん、女性では高田みづえさんでした。お2人とも、難しい歌でもサラリと歌ってしまうように聞こえてしまうんですけど、それができるには相当なテクニックや表現力を持っていないとだめなんですね。

また、山口百恵さんが1980年に引退して、アイドル歌手としての後継は1980年にデビューした松田聖子さんがバトンを受け、山口百恵さんの「阿木 燿子・宇崎竜童作品」的エッセンスを継承したのが中森明菜さんであるとすれば、それ以外の百恵さんの作品のエッセンスを継承したのは、ぼくは高田みづえさんであったと思っています。

濃すぎず、小品の小説のように、深く静かに心に刻まれるような歌は、どこか凛としたものを感じます。そして、歌を聴いて、自分の思い出も俯瞰するようなカタチでその歌に共感するものがあるなあと思います。

「通りすぎた心は美しい 通りすぎた心は優しい 通りすぎた風はもうもどらない」というサビの歌詞がありますけど、ぼくがDAM★ともで歌っている歌も、次々と歌っては、次々と消して、もう100曲は軽く歌ったけど、通り過ぎて消えていってます。でも、ぼくの記憶の中には録音したときのいろいろな思い出が残っていて、歌に向かっているときのいくつもの自分の表情を思い出しています。例えば、昔の自分はピュアだったなあとか。もうちょっと聞きたいと思ってもらえる歌ってどんな歌なのかはわからないんですけど、自分が歌った曲を聴いて、聴いてくださる方がその曲を通じてご自身に返って頂けるような、そういう歌が歌えたらいいなと思います。


高田みづえ 通りすぎた風(フルバージョン)

ミセス マーメイド

9月はカラオケ大会に2回出たり、DAM★ともではお2人のユーザーさんとそれぞれコラボ録音をしたり、今週は歌うまさんたちのオフ会にもドタ参加させて頂いたり、ぼくにとっては歌活動も忙しい1ヶ月でした。仕事もひと段落したところでツイキャスを聴いていたら、チェッカーズの「ジュリアに傷心」を歌っているのが聞こえてきました。そういえば最近、チェッカーズの曲を歌ってなかったなあと思って、この時期に合う曲かなと思い出したのが「ミセス マーメイド」という曲でした。

この作品は1991年9月4日にチェッカーズの26枚目のシングルとして発売されました。作詞は藤井郁弥藤井フミヤ)さん、作曲は鶴久政治さんです。チェッカーズは1983年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしてから、1992年12月31日のNHK紅白歌合戦出場を最後に解散するまで活躍したポップス系のバンドでした。同時に、当時は1980年代前半に盛り上がったアイドルたちの人気が徐々に落ちていくなかで、チェッカーズはアイドルとしても人気を維持し続けた、日本の歌謡史の中でも珍しいバンドであったと思います。

チェッカーズの作品も、1986年までの「初期」のチェックのファッションに身を包んだアイドル的プロデュースから、1989年頃までのチェッカーズのセルフプロデュースを確立した「中期」を経て、1990年~1992年の「後期」を迎えますが、ぼくは「後期」の作品でも「夜明けのブレス」や「さよならをもう一度」は好きな作品で、「ミセス マーメイド」は大好きな作品でした。ファンキーなサウンドが小気味良くて、歌詞はすごくせつなくて、歌っている郁弥さんの立ち姿がかっこよかったのを覚えています。「ミセス マーメイド」はその年のNHK紅白歌合戦でも歌唱されましたが、紅白の中でも一番印象に残ったパフォーマンスでした。

当時はカラオケでこの曲を何回も歌ったと思います。チェッカーズの曲を歌っていると、どうしても郁弥さんっぽくなってしまいます。「ミセス マーメイド」のサビのところの「恋しくて せつなくて 君に会いに来たよ」も、ついつい、「こ~い~しっくう~ってえええええ」とか、「きんみーに あーいーにっきいたあ~よおおおおおお」みたいに、ひたすら語尾を強めにビブラートをかけてしまう、そんな男子が多かったと思います。発売から18年が経ちましたが、夏から秋にかけての季節に合いそうな、今でもかっこいい1曲だと思います。


ミセスマーメイド THE CHECKERS