DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ロビンソン

この間の日曜日の夜にテレビ朝日の「関ジャム」をふと見たら、出演者の方たちでスピッツの「ロビンソン」という曲のセッションをやっていました。聴き終わって、改めて名曲だなあと思いました。

「ロビンソン」は1995年4月5日にスピッツの11枚目のシングルとして発売されました。スピッツはロックバンドなんですが、1987年に結成した当初はパンク・ロックをやっていて、THE BLUE HEARTSの影響を強く受けていたそうです。ただ、ボーカルの草野マサムネさんは、ハンドマイクで暴れたり、観客を煽ったりするスタイルは自分に似合わないと思い始め、スコットランドのフォークロックのアーティストである、ドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch)を意識して、アコースティック・ギターを持つようになり、現在のポップ・ロックのスタイルを確立していきました。そもそも「スピッツ」というバンド名は、ドイツ語の「spitz」に由来しており、「尖っている」とか「辛らつな」という意味を、草野さんが気に入ったそうです。どこか尖った音楽を標榜しているんだろうなと思います。

メジャーデビューしてからリリースした曲がチャートインせず、プロデューサーに笹路正徳さんを迎え、7枚目のシングル「君が思い出になる前に」が初めてチャートインしました。笹路さんは、草野さんの作詞は文学的だと評価し、それまで草野さん自身がいいと思っていなかった高音の声をもっと主張するように、プロデュースをしていきました。自分の声の魅力って、自分ではわからないところがありますし、まして高音は好きじゃないと思っていたら、なかなかその魅力には自身では気づかないですね。他人の目から見てもらって、自分の魅力を見つけるのも大事だと思います。

さて、「ロビンソン」について、草野さんは当初、この曲の音楽性がポップすぎると思っていたため、シングル化には乗り気ではなかったそうです。そして、「ロビンソン」はスピッツのいつもの「地味な曲」の1つであるという考えを周囲に示していて、テレビ番組のテーマ曲として1ヶ月オンエアされたことを除けば、さしたるプロモーション活動はしなかったそうです。製作サイドもそんなに売れないだろうと予想していたのに、発売直後のオリコンに9位で初登場し、オリコン最高4位ながらも、3か月間10位以内をキープし、その後も36週チャートインしたため、年間9位のセールスとなり、160万枚を超える大ヒットとなったのです。草野さんは「ロビンソン」が売れた理由については、その後の回顧録でも「答えはわからない」と話していますが、「自分が作った地味な曲に、三輪テツヤさんがアルペジオのイントロを入れてくれて、あれがなければそんなに売れなかったと思う」とも話しています。

ぼくが初めて「ロビンソン」を聴いたとき、このイントロが幻想的で歌の世界に導いてくれるような雰囲気を感じさせてくれました。そして、今までのバンドにはなかったというか、フィクションな空想の世界を演奏できっちりと表現してくれて、そこに草野さんのボーカルが歌詞とメロディーを調和させているように思えます。「誰も触れない二人だけの国」が手に届くところにあるような気がして、「大きな力で 空に浮かべたら ルララ宇宙の風に乗る」みたいに、自由にどこでも飛んでいけるような開放感を感じました。スピッツの音楽って聴いていると、日差しが差し込むようなキラキラ感を感じるんです。そしてそこに主人公たちの息遣いを感じます。日常を歌っているのだけれど、そこから生まれる愛の深さは宇宙のように無限に広がるみたいな、そんなユートピアに、多くの共感が得られたのだと思います。

草野さんも「俺は歌上手いんだぞ」みたいな歌い方はしていません。でもまっすぐに歌を伝える姿勢が貫かれていて、そういうところはロックだなあと思います。


スピッツ / ロビンソン


Spitz - Robinson