DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

勝手にしやがれ

カラオケに色々な世代の人たちが集まったとき、誰でも知っている曲というのは、みんなで歌って盛り上がることができますが、その1曲というと、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」です。「出ていってくれ ああ ああ」のところでみんなで両手を上げてやるのもお約束のところではないでしょうか。

この作品は1977年5月21日に沢田さんの19枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿久悠さん、作曲は大野克夫さん、編曲は船山基紀さんです。阿久さんと大野さんは「時の過ぎゆくままに」をはじめとして、当時の沢田さんのシングルを多く提供しているコンビです。船山さんも「コバルトの季節の中で」から、当時の沢田さんのシングルに関わるようになっていった方です。

沢田さんも「勝手にしやがれ」ではクリーム色のスリーピースを着て、歌いながら帽子を投げるパフォーマンスを行い、これがその後のビジュアル路線への契機となった気がします。当時はアイドル新御三家と呼ばれた野口五郎さん、西城秀樹さん、郷ひろみさんが活躍していたわけですが、彼らのパフォーマンスとはかぶらない路線で、少し大人の色気も備えた、魅せるステージを披露していました。沢田さんの声は強くて太めなので、観客へ向けて声が通っていたように思います。

ご存知のとおり、この作品は大ヒットとなり、沢田さんは1977年の日本レコード大賞を受賞しました。「勝手にしやがれ」はその後もカバーするアーティストが多いこともあり、沢田さんの活躍をリアルに知らない世代もこの作品は知っていることが多いです。

ただ、稲葉浩志さんのカバーも結構頑張って歌っているんですが、やはりオリジナルの影響力が大きすぎて、やっぱりこの曲はジュリーが一番似合っていると思います。

ぼくは歌詞は2番の方が好きで、「さよならというのも しらけた感じだし あばよとサラリと送ってみるか 別にふざけて困らせたわけじゃない 愛というのに照れてただけだよ 夜というのに派手なレコードかけて 朝までふざけよう ワンマンショーで」というのが、女性に出ていかれてしまう男のカッコつかなさを、少しでもリカバリーしようとしてしまう男の弱さ、男の淋しさがじわじわ出ていると感じる一節です。

今はソロのアーティストが少ないです。もっとJ-POPのシーンで、グループのパフォーマンスだけではなく、歌で訴えてもいいですし、パフォーマンスで魅せてもいいんですが、1人で観衆に訴えるアーティストさんたちをもっともっと出会いたいです。今から40年前にこんなに素晴らしいステージができていたんですから、進化しないと、ね。


e勝手にしやがれ

 

 

 

 

コーラス・ガール

Youtubeで往年のアーティストの初期の曲を聴いたりすると、ぼくにとっては新たな発見があって面白いものです。和田アキ子さんの初期のヒット曲を聴いている中で、いい曲だなと思ったのが「コーラス・ガール」という曲でした。

この作品は1978年3月5日に、和田さんのデビュー10周年記念のシングルとして発売されました。作詞は竜真知子さん、作曲は川口真さんです。歌詞は、同じコーラス・ガールの仕事仲間の女性が結婚することになり、仕事を離れることになり、主人公の女性が結婚する女性へメッセージを送る内容となっています。竜さんは割とおしゃれなポップスの作品の歌詞を書かれるイメージがありましたので、ちょっと意外な感じもしました。こういう内容だと、阿久悠さんかなと一瞬思いました。作曲は、基本に忠実で、無駄のないメロディーの展開がされているように思います。同じ1978年に川口先生は、由紀さおりさんには「トーキョー・バビロン」を提供し、和田さんには「コーラス・ガール」を提供しています。「トーキョー・バビロン」は東京の大都会の華やかさの中で女性が生きていくことをテーマにしたさきがけのような歌で、「コーラス・ガール」はアメリカの女性コーラスシンガーたちが、全土を渡り歩いて、歌っている様子を思い起こさせるような歌です。どちらの作品も発売当時はヒットせず、由紀さんも和田さんもそれぞれの作品を1978年の紅白歌合戦で歌唱しましたが、2人とも翌年の紅白歌合戦には落選してしまい、以後8~9年紅白から遠ざかることになりました。

ただ、1970年代後半の和田さんの作品は独自の世界に挑戦していて、R&Bの歌手としてのパフォーマンスを示していたように思います。「コーラス・ガール」を歌う和田さんは真摯な歌い手のように感じました。この作品は歌う歌手によって生まれる世界も変わってしまうと思います。普通の歌手が歌ったら、いわゆる歌謡曲としてできあがると思いますが、和田さんの歌は、どこかにソウルフルな味わいを残しているので、コーラス・ガールの強さも表現してくれたように思います。「ゴッド姉ちゃん」のキャラクターは微塵も見せず、当時は今よりも繊細で研ぎ澄まされた声が、歌の世界を引き締めていたように思いました。1986年に「もう一度二人で歌いたい」で紅白歌合戦に復帰されてからの和田さんの作品は、パワフルな歌を歌う方向に変化されましたが、1970年代後半の路線を我慢して続けていたら、R&Bの世界がもっと広がっていたかもしれないなと思いました。でもヒットを出さないと歌手は続けられないから、難しいところです。


コーラスガール 和田アキ子

最愛

一昨日は福山雅治さんの「最愛」について感じたことを書いてみました。歌詞を見返して読んでいたら、「最愛」の世界はまるで、市川海老蔵さんと小林真央さんの日々を言い当てているように感じてしまいました。さて、「最愛」というと他にもう1曲思い出したのが、柏原芳恵さんの「最愛」でした。

この作品は1984年9月5日に柏原さんの21枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は中島みゆきさんで、柏原さんへの提供は「春なのに」、「カムフラージュ」に次いで3作目となりました。中島みゆきさんの作品を歌うアーティストというと、研ナオコさん、桜田淳子さん、工藤静香さん、TOKIOも「宙船」がありました。これらの歌手の皆さんの歌い方は、どこかに中島さんが歌ったデモテープの余韻や残骸を感じるんですが、柏原さんの場合は良くも悪くも、歌い方に中島さんの片鱗を感じさせない、あくまでも柏原芳恵の歌を歌っているように思いました。

歌詞の世界は失恋です。港を出ていく船には、誇らしそうな最愛の彼と、彼にふさわしいきれいな女性が乗っていて、主人公の女性は港でペンを持って泣いています。その女性がデッキに出ている間に、女性は船にメッセージをお願いします。ブルーのメッセージランプは、「私には好きな相手が沢山います だからその人を幸せにしてください」という意味をこめています。「二番目に好きな人 三番目に好きな人 その人なりに愛せるでしょう でも一番に好きだったのは わたし誰にも言わないけど死ぬまで貴方」という女性の心というか情念は、男にはちょっとわからない世界かもしれません。
誰にも言わない、自分だけの「最愛」のカタチを携えて生きている女性もいるんでしょうね。ぼくは柏原さんの作品の中では「最愛」は好きな曲です。


柏原芳恵 最愛live

 

最愛

ぼくがDAM★ともでお気に入りにしているアーティストの福山雅治さん。福山さんの作品はシングル曲以外でも歌うことが多いですが、その1曲が「最愛」という曲です。

この作品は2009年6月30日に発売された、福山さんの10枚目のオリジナル・アルバム「残響」の中に収録されました。2008年10月1日に「KOH+(コウプラス)」という、柴咲コウさんと福山さんのユニットで「最愛」をシングル発売していますので、そのセルフカバーと言えるかもしれません。

福山さんのPVでは愛するご主人を亡くしたおばあさんが、ご主人への愛する思いを募らせているシーンが描かれています。そのご主人役は若い福山さんなんですが。コーヒを入れたカップを自分の分ともう1つ、テーブルに置いて、正面を見つめたり。2人で踊っているかのように、部屋でダンスを踊ってみたり。ベランダに出て、星空を一緒に眺めていたり。過ぎ去りし愛の日々は、甘くそして切ない気がします。

福山さんが書いた歌詞も、今まで歌っていた時はそれほど深くは感じていませんでしたが、一節一節をいま読むと、グッと来る気持ちになりました。
「夢のような人だから 夢のように消えるのです
 その定めを知りながら 捲られてきた季節のページ
 落ちては溶ける粉雪みたい 止まらない想い」
「初めてでした これまでの日々 間違ってないと思えたこと
 陽だまりみたいな その笑顔 生きる道を照らしてくれました
 心の雨に傘をくれたのは あなたひとりだった…」

「愛さなくていいから 遠くで見守ってて 強がってるんだよ
 でも繋がってたいんだよ あなたがまだ好きだから」
「もっと泣けばよかった もっと笑えばよかったのかな バカだなって言ってよ
 気にするなって言ってよ あなたにただ逢いたくて」

今度、DAM★ともで歌うときは、今までと歌うときの気持ちが変わるだろうなと思いました。愛し合う心はどこにいたとしても永遠に繋がっていると思います。


福山雅治 最愛 PV

 

怨み節

2015年8月8日にNHKで放送された「第47回思い出のメロディー」。懐メロ番組なんですが、「夏の紅白」と言われるだけあり、出演者は豪華な顔ぶれです。この年は北島三郎さんが司会を務めたほか、田原俊彦さんが華麗なステージで「ごめんよ涙」と「抱きしめてTONIGHT」の2曲を披露、高田みづえさんが1日限りの復活で「硝子坂」と「私はピアノ」の2曲を変わらぬ歌声で披露するなど、話題も盛りだくさんでしたが、ぼくが最も強い印象を持ったのが、梶芽衣子さんが歌った「怨み節」という歌でした。

この作品は1972年に梶さんが主演した映画「女囚さそり」シリーズの挿入歌として発売され、1973年3月には最高6位となるヒット曲となりました。この映画は海外でも公開され、映画監督のクエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)さんは梶さんにゾッコン惚れたらしく、2003年に彼が制作し公開となった映画「キル・ビル」(Kill Bill)の「vol.1」では、梶さんが歌った「修羅の花」を挿入歌に、「怨み節」をエンディング・ソングに起用しました。梶さんの映画を知らない世代の人たちから、「あの歌は誰が歌ったのか」と反響になったそうです。

ぼくはこういう経緯も知らず、思い出のメロディーで怨み節を歌う梶さんの凛とした立ち振る舞いを見て、「この人カッコいい」と思いました。歌詞は1番から6番まであり、楽曲はいわゆる「数え唄」のようなもので、任侠映画の主題歌でもよくあります。

 花よ 綺麗と おだてられ 咲いてみせれば すぐ散らされる
 馬鹿な バカな 馬鹿な女の 怨み節

梶さんは、「馬鹿な」は音階どおりに歌いますが、「バカな」はセリフのようにつぶやいて、その一瞬の一言がさすが女優だなと思わせてくれました。

Youtubeを見ていて驚いたのが、外国人の女性も、そして外国人の男性も、この「怨み節」を歌っているんです。「馬鹿な バカな」のところも忠実に再現しています。どこで「怨み節」を知って、気に入ってしまったんでしょうか。

ぼくたちが外国人アーティストの曲をかっこつけて歌っていても、当の外国人から見れば、「この日本人、ヘンテコな歌歌ってるよ」と思われているのと一緒かもですね。


Japanese Songs - Urami Bushi (怨み節) - By Meiko Kaji (梶 芽衣子) + Lyrics + translation in Subs


Urami Bushi- Fabiola Simac (Meiko Kaji -cover)


Music Idol Bulgaria - Stefan - Urami bushi

俺たちに明日はある

DAM★ともでぼくがお気に入りにしているアーティストのSMAP。今朝、SMAP稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんがジャニーズ事務所との契約を更新せず、退所することが発表されました。昨年1月の解散騒動以降、契約を1年更新した頃から、いずれジャニーズを離れることはわかっていましたので、今回の退所発表も既定路線の1つに過ぎないと思います。

そんな彼らの新たな芸能活動に向けて、思い出した曲が「俺たちに明日はある」です。この作品は1995年11月11日にSMAPの19枚目のシングルとして発売されました。SMAPの作品の中ではワイルドなナンバーです。

「一度きりの人生だから 当たり砕け散ったかけら達 抱きしめ今夜は眠ろう」
「時代遅れのオンボロに乗り込んでいるのさ だけど降りられない 転がるように生きてゆくだけ」
「陽が昇ればやり直せるさ 照れや弱さ全部承知だよ この世にお見舞いしてやれ」

この歌詞のように、デビュー直後なかなか上手くいかなかった活動を、今までのアイドルがやらなかったバラエティーにも挑戦して、徐々に知名度を上げていき、そのうちに単なるアイドルではない、日本を代表するエンターテイナーに成長したSMAP

干されるなんてことは、きっとないと思っています。むしろ、事務所に最大限の貢献をしたタレントを、自分の好き嫌いだけで潰した事務所の経営者の一連の行動は、事務所の経営そのものを揺るがそうとしているように思います。エンターテイメントは一般大衆からの人気なくしては成り立ちません。エンターテイメントを潰すような経営者に従っているタレントの映画やドラマの成績が今一つなのも道理ではないかと思います。


SMAP [俺たちに明日はある](SMAP ベストアルバム『SMAP 25 YEARS』収録曲)[カラオケ練習用メロディ(歌詞付きフル)]

 

むさし野詩人

ぼくがDAM★ともでお気に入りのアーティストにしている野口五郎さん。子供の頃は野口さんの作品には関心がなかったんですが、DAM★ともでいろいろな曲を歌っていく中で、初めてめぐり会った曲もあり、「むさし野詩人」もそんな1曲です。

この作品は1977年1月15日にシングルとして発売されました。作詞は松本隆さん、作曲は野口五郎さんの実兄である佐藤寛さんです。歌のテーマとしては地味なんですが、オリコンでも最高2位となり、1977年の年間チャートでも33位となる大ヒットとなりました。

松本さんが書いた歌詞の世界は、情景が目に浮かんできます。「繁華街から 静かな道へ あなたの涙 たどって行くよ 灯りの浮かぶ 公衆電話 今はあなたの 影も見えない」と、ぼくも「むさし野公園」に歩いて入っていくような錯覚を感じます。でも、たどったのは彼女の涙ではなくて、主人公の涙なんだと思います。電話で長話するときは、公衆電話のある場所に行って、小銭をたくさん用意して、ゆっくり相手と話してたことを思い出しました。今はスマホの時代、こういう歌詞は出てこないでしょうね。

「20才(はたち)の春は はかなくて 生きてる事は 哀しい詩(うた)だ 15行目から 恋をして 20行目で 終ったよ」と、失恋したら凹みますけど、これだけ読むと、15才で恋に落ちて、20才で別れたって、1年は1行分だけなのかと突っ込みたくもなりますが、こういう歌詞はほとんど見たことがありません。

一方、佐藤寛さんのサウンドは、イントロのギターチューンがかっこよく始まって、畳みかけるようなアレンジが、「むさし野詩人」の籠った気持ちをうまく表現しているように思いました。筒美京平さんほど難解なメロディーではありませんけど、サビの部分は結構続けて高音で歌わせるようにしています。野口五郎さんの作品は、歌詞も楽曲もちょっと捻っているところが今聴いてみると新鮮に感じられますし、カラオケで歌うと歌いがいがあるなあと思います。


野口五郎 むさし野詩人 1977