DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

指輪

カラオケ大会の楽しみの1つは、自分が歌わない多くの曲を、出場者の方の歌で聴くことができることです。昨日もそういう多くの曲に出会えて、いい曲だなと思った曲が何曲もありましたが、その1曲が、navy&ivoryの「指輪」という曲でした。

navy&ivoryは、ボーカル担当の下地正晃さんと、キーボード・コーラス担当の吾郷水木生さんの2名による、2000年に結成された音楽ユニットです。2005年にメジャーデビューしたシングル「指輪」は大ヒットし、その年の日本有線大賞を受賞されました。

「指輪」は吾郷さんが作詞・作曲をされています。吾郷さんのインタビュー記事を読みましたが、この曲は、まだデビューも決まっていない時にアルバイト先の社員さんが吾郷さんに「結婚パーティーでオリジナルで何か作って歌ってくれ」って言われたのがきっかけだそうです。吾郷さんはシンガーソングライターになりたいと思った中高生の頃から、ラブソングにこだわって作ってきたそうで、人生の歌とか、あんまり大きい歌のテーマが書けないそうです。でも、この「指輪」の歌詞って、すごく人生を語った歌詞だなあと思いました。最初、この歌詞の冒頭が「約束します 君を残して 僕は死ねません」から始まったので、結婚式当日の歌とはわかりながらも、この新郎さんって重い病気で余命いくばくもないストーリーなのかな、と考えてしまいました。

「白いドレスも 綺麗なメイクも 今日限りだけれど」「明日からは またアパートで”いつもの毎日”です」「だけどそこには リニューアルした”愛”があるのです」っていう歌詞がいいなと思いました。

下地さんのインタビュー記事を読みましたが、「指輪」を歌ってからの反響について、「そうですね。一人歩きというか本当に楽曲のパワーで、僕らの知らないいろんな所で『指輪』が流れていて。もちろん結婚式の歌なので結婚式でかけましたってご夫婦の方がたくさんいらっしゃるんですけど、大好きな人のお葬式でかけましたとか、癌と闘っている方が病室で「大好きな人を残して自分は病気に負けて死にたくない」って思いで最期までこの曲を励みに頑張ったって方もいらっしゃって。最初はウェディングソングっていうラブラブな印象があったんですけど、広がりをみせるうちにこれは究極のラブソングだなって思うようになって、大切に歌っていかなきゃいけない曲だなって意識的にもものすごく変わりましたし、一番歌っている曲なんですけど実はいまだに一番緊張する曲ですね」と語られていたのが印象的でした。

まさに歌の力を持った曲というのは、リリースして長い年月が経っても、色あせない力を持っていると思います。この「指輪」は2005年リリース後も、2008年には着うたチャートで1位を獲得したり、2012年には加藤茶さんが自身の披露宴の演出で「指輪」を使ったエピソードを披露した直後に、レコチョクデイリーランキング(ダウンロードシングル)で初登場1位、iTunesシングルチャートでも7月31日16時現在で3位にランクインしたり、同じく2012年にはシンガーソングライターの沢井美空さんが「指輪」へのアンサーソングとして、オリジナルの歌詞を女性目線に変えて、「指輪~あたし、今日、結婚します。~」をリリースしました。

navy&ivoryは2013年から無期限活動休止となっていて、現在は下地さんと吾郷さんはソロでの音楽活動を続けられています。1回、再結成の意味あいで、テレビで歌ったら、「指輪」はまた新たな反響を呼ぶのではないかと思います。


【PV】指輪 navy&ivory

THE KARAOKE

今日はカラオケ大会に行ってきました。「THE KARAOKE 第4回東京大会」というカラオケ大会で、文京シビックセンターの小ホールで開催されました。

カラオケ大会って全国の各地のどこかで、ほぼ毎週のように行われていて、毎週とか隔週とか毎月とか、カラオケ大会に参加される方って結構いらっしゃいます。ぼくはそういう時間もないですし、参加費用のお金もないですし、カラオケ大会に出るようになって1年経ちましたが、1年目で出場したのは6回だけでした。2年目に入って、6月にカラオケ大会に出ましたけど、次に出られるカラオケ大会はないかなと思ってインターネットで見つけたのが、「THE KARAOKE」という大会でした。

過去6回の出場ではホールで歌ったのは1回だけだったので、次はホールで歌いたいなあと思ってました。文京シビックセンターの小ホールといっても300人程度の収容力はあるホールでしたので、これにしようと思って申し込みました。

カラオケ大会当日のぼくのルーティンとしては、大会会場に行く前にカラオケ店に行って声出しをするというのがあります。午前中営業しているカラオケ店は少ないので、今朝はチェックしていた飯田橋のカラオケ店に行ったところ、店員さんが「ご予約されてますか?」と一言。「してませんけど」と答えると、「ご予約のお客さまで満室でして…」との返しが!土曜日の朝からカラオケする人って多いんですね!すぐに飯田橋から神保町に移動し、チェックしていた神保町のカラオケ店に。運よく空いてましたので1時間声出しをしてましたが、今日は久々に夏の暑さが戻っていたので、汗ダラダラになり、汗を拭いながら歌の練習をする感じでした。

その後、会場の受付にやってきました。歌う順番のくじをひいたら27番。受付の人が「トリですね」と言った瞬間、頭真っ白になりましたが、「あ、トリ前ですね」と言い直され、若干回復したものの、そういう歌の順番は初めてだったので、ちょっとドギマギしました。

つまり28名の参加だったんですが、主催者側から「1コーラスの予定だったんですが、今日は2コーラスに変更します」との衝撃の連絡が!ぼくも1コーラスの大会は1回しか出たことがなくて、1コーラスに絞って何十回も練習してましたので、突然のルール変更に動揺しまくりました。慌てて今日歌う曲の歌詞を見直して、2番まで歌うイメージを作っていきました。

今日の大会は1人が歌い終わると、審査員の先生からコメントがあるという形式でした。この形式も初めてだったので、1番の方から順に審査員の先生のコメントを聞いていると、歌の上手い出場者に対しても何気に厳しめなコメントもあったりしたので、「何言われるのかなあ」と段々心配になってきました。

ぼくが今日歌った曲は、林部智史さんの「この街」という曲でしたが、今回は申し込めば自由に曲が選べる大会でしたので、歌ってみたい!というだけで選びました。でもこの曲は、DAM★ともでフルコーラスで歌っていても、95点を超えることが少ない曲でした。点数だけではなく、歌の中身についても、声が安定しないとか、音程が安定しないとか、リズムがタメすぎとか、表現力が低いとか、課題だらけでした。1コーラスで切るという練習をやってみても、最初は80点台前半ぐらいしか出なくて、これは修正しなければと思い、1回のカラオケで10回は練習してました。精密採点DX-Gの採点アナライザーを見たら、どうやら直近200曲歌った中で、127回歌ってたみたいです。精密採点DXの部屋の時もありましたから、150回ぐらいは歌ったと思います。おかげで点数も上がって、音程とリズムは随分高いレベルになりました。

歌はフルコーラスで歌うのが当たり前と思ってたんですが、この数ヶ月ぐらい、自分としてこういう歌でいいのではないかと思ったことが上手くいかないことがあって、成長するための方法を考えあぐねていたことがありました。そこで次に考えたのは、敢えて点数の低い曲に挑戦して、どうやって伸ばしていこうかということでした。

カラオケではいろいろなタイプの曲を歌うようにしています。その中で、ある曲の歌い方が、点数の低い曲のここに活かせるんじゃないかなという気付きがあったりするんですね。同じ曲だけを歌い続けても飽きてしまうタイプなのと、同じ曲を繰り返すと喉の使い方も同じになるので、歌そのものが疲れてしまう感じだったので、喉を痛めないようには注意してました。

さて、本番まであと3人となったので、楽屋に移動しました。前の3人の方がいずれも個性的ですごく上手な方だったので、だんだん緊張してしまいました。自分のステージになったので歌いましたが、声出しで歌いすぎたのか、声が裏返ってしまった箇所が数箇所ありましたし、音の強弱をつけようとしていたところが上手くコントロールできなくて、一本調子になってしまいました。それでも、今日の関係者のほぼすべての皆さんは、ぼくが歌う曲がどんな曲なのかを全く知らないだろうと思いましたので、こういう歌詞で、こういうメロディーの曲なんですよということは歌って伝えたかったと思っていました。歌い終わって、審査員の先生から何を言われるのかなと不安でしたが、いくつもお褒めの言葉を頂けたのが驚きでした。そして、予想どおり一本調子な点を指摘されたのは納得でした。ステージから降りて、主催の皆さんにもお褒めの言葉を頂けたのが嬉しかったです。

今日の大会は超歌うまな方が何人も参加されるのは知っていましたので、もともとどんな賞があるのか見てもいませんでした。悩んでいたこともあったので、ただホールで歌いたい、それだけでした。審査発表で審査員特別賞に自分の名前が呼ばれたときは、本当にびっくりしました。賞を頂けるなんて本当に思ってもいなかったです。そして、これからも「この街」を歌っていくことについて、少し自信が持てたのが嬉しかったです。練習したことは無駄にはならないんだとつくづく思いました。

ハタラクワタシへ

9月に入りました。ヨーロッパは6月から8月までが「バカンス」の時期で、9月に入るとバカンスから戻った人々は、仕事に学校にと「日常の生活」へ戻っていきます。日本も子供たちの夏休みが終わって、やや空いていた通勤の電車やバスにも、学生さんたちが徐々に戻ってくる頃です。学生にとっても、通学ってお仕事みたいなものですよね。久しぶりに行く学校に、ちょっと気持ちが緊張している子たちもいるかもしれません。大人もそういう気持ちは同じで、日曜日の夜はちょっと憂鬱な気分があって、月曜日の朝になれば、通勤へと向かっていくわけで、また1週間が始まる感じです。

先日、テレビから聞こえるコンサートのCMで、アーティストが「おつかれさま」って歌うのでふと画面を見たら、三浦祐太朗さんが映っていました。三浦さんは、母である山口百恵さんの曲をカバーしたアルバム「I'm HOME」が2017年にヒットして、このアルバムは同年の日本レコード大賞企画賞を受賞しました。祐太朗さんは2008年に、同級生で結成したバンド「Peaky SALT」でメジャーデビューし、現在はソロ活動を行っていますが、バンド時代の曲は正直印象には残っていませんでした。何かの歌番組で百恵さんの「さよならの向う側」を歌う祐太朗さんを見て、すごく歌と気持ちが一体となっているなあと感じましたし、他人には真似できないというか、DNAの遺伝子を継承している歌声には味があるなあと思いました。


MBZZ02 さよならの向こう側② 三浦祐太朗 170707 vL FC HD

祐太朗さんは2019年は47の全都道府県でのツアーを実施されていて、ぼくが見たCMもその宣伝だったようで、百恵さんのカバー曲を歌うシーンもあったんですけど、ぼくが気になったのは「おつかれさま」って歌っていた曲の方で、調べてみたらその曲は、「ハタラクワタシへ」という曲でした。この曲は2018年4月18日に祐太朗さんの配信シングルとして発売されました。ユニクロのwebCMにも使われたようです。作詞は山上陽介さん、有元沙矢香さん、福岡万里子さんの共作、作曲は前山田健一さん、つまりヒャダインさんが提供されました。


ハタラクワタシへ*三浦祐太朗

この曲を初めて聴いたときに、ヒャダインさんってこういうしっとりした曲も書くんだと意外感もありつつ、祐太朗さんの歌は歌詞をしっかりと伝える姿勢が出ているなあと感心しました。ユニクロとのコラボ企画ということもあるので、30代のビジネスパーソンがテーマのようで、ヒャダインさんもこの曲は「がんばれって励ます応援歌ではなくて、リスナーと同じ目線で「一緒にがんばろうね」っていう歌」だと説明していました。そういう場面って、日常でも割にあるというか、今は「努力だ」「根性だ」「やる気があればできる」と鼓舞するだけでは、日本人は動かないんですよね。隣に座って、悩んでいる同僚の話をしっかりと聞いて、「その気持ちわかるよ」って寄り添ってあげて、気持ちを切り替えてあげられるっていうか、仲間の繊細な感情を大事にしていく姿勢が求められているのかなって思います。でも、そういう自分に同じようにしてくれる人は誰もいなかったりする。芸能界もそういう世界のようで、祐太朗さんもヒャダインさんも30代になって「褒められる」ことは全くないそうです。だからこそ、自分を一番わかっている自分が褒めてあげることは恥ずかしいことではなくて、むしろやった方がいいと思うそうです。

ラソン有森裕子さんが、アトランタ五輪で銅メダルを取ったときの「自分で自分をほめたい」という名言を聞いていたこともあり、ぼくは自分で自分を褒めてあげるっていうのは時々やってます。誰も褒めてくれませんから。亡くなられた樹木希林さんも、「自分を俯瞰して見るって大事よ。そして、自分で自分の頭をなでてやるの」って話されていたことがありました。今の世の中って、昔ほど安穏ではいられない空気があって、人々の考え方も多様になった分、違う考え方への寛容さが薄れているというか、そういうのは日常の仕事や生活の中でも、小さな対立や軋轢を生みがちになっていると思います。だからこそ、優しく語りかける、人に寄り添うっていうのは価値があると思いますし、盛り上がる歌とは別に、自然体で歌う歌もまた必要だと思うのです。

楽園都市

ぼくがこの1年ぐらいお気に入りなアーティストに入っているオーイシマサヨシ大石昌良)さん。8月21日にオーイシさんのニューシングル「楽園都市」が発売になりました。9月2日付けのオリコン週間シングルランキングでは初登場28位となっています。

ぼくが大石さんの歌を初めて聴いたのは2018年3月頃、深夜の音楽番組で「パラレルワールド」という曲をギター1本で歌っている大石さんを見て、「この人かっこいいな」と印象に残ったのがきっかけでした。


「パラレルワールド」大石昌良  D:川崎亮

その大石昌良さんが、アニメ・ゲーム系の歌を歌っている「アニソン界のおしゃべりクソメガネ」こと「オーイシマサヨシ」さんと同じ方であると気づいたのはしばらく後になってからでした。また、大石さんが、Sound Scheduleというバンドのボーカルの人だったと気づいたのもしばらく後でした。大石さんって、サウスケの時より若く見えるのは気のせいかもしれません。

さて、オーイシマサヨシの名前を高めたのは「ようこそジャパリパークへ」の作詞・作曲・編曲の提供で、星野源さんや平井堅さんが絶賛したというコメントも見ました。ぼくは、「ようこそジャパリパークへ」はそれほど聴いてなくて、むしろ2018年5月に発売された「オトモダチフィルム」の方がお気に入りな曲で、DAM★ともでもよく歌っています。オーイシさんはMVで踊りながら歌っていて、「星野源みたいだな」と思っていたら、オーイシさんが「星野さんの「恋」を意識した曲を作ってみた」と話しているコメントを見て、合点がいきましたね。

何となく、オーイシさんの作る曲ってポップスの王道がベースになっているのかな、とうっすら感じていたところに、今回発売となった「楽園都市」を聴いたら、歌謡曲テイストが十分染み込んだサウンドで、ちょっとジャジーなおしゃれ感も含んでいて、いっぺんで好きな曲になってしまいました。

イメージでいうと、筒美京平さんが作りそうな感じでもあり、郷ひろみさんが歌っていた曲(「マイ・レディー」「セクシー・ユー」「お嫁サンバ」的な)の雰囲気もあり、一方でポルノグラフィティの曲っぽい雰囲気(「ネオメロドラマティック」「Love,too,Death,too」)との共通感も感じました。でも似て非なるサウンドなんですよね。ある意味、昭和も平成も令和も感じられる作品って、時代を越えたかっこいい歌だと思いますし、こういう感じの曲がもっともっと世に出て欲しいと思います。

この「楽園都市」って、歌ってみたら、むちゃくちゃ難しい。Aメロ冒頭の「100万ドルを望むシティライツ」から、短い音符で、音階がコロコロ変わるので、音程が安定しづらくて、さらっと歌って、力を入れて歌うところに繋げないといけないから、声のコントロールがまだうまくいってないです。

DAM★ともで歌詞を見ながら歌っていると、その歌詞を見て思うことってどの曲でもあったりしますけど、「街は作って壊して忙しいや」とか「人の欲望のカタチに姿を変えて」って歌詞を見ると、今の東京の都心の町の状況かなって思います。東京五輪のためなのか、今まで穏やかに生活していた街に、急に道路の拡張工事が決まって、お店や住宅が1軒、2軒と消えていって、あちこちで工事が行われている様子に、街が勝手に壊されている気がして、なんだかこの歌詞とシンクロするものがありました。「楽園都市」って、誰かの欲望で鉄のオブジェを作ることじゃないよな、その街に生きている1人1人の存在を認めることだよなって、オーイシさんもそんな思いを感じて言葉に乗せてくれたのかなと思っています。ちなみに、歌詞の最後を締める「パライソ」はポルトガル語のparaisoで、天国・楽園を表すキリシタン用語だそうです。


オーイシマサヨシ「楽園都市」 Official Video

星の砂

青い空や青い海の絵や写真を見ると、沖縄で見た青い空や青い海を思い出します。そして、沖縄県八重山諸島にある竹富島で出会った星の砂を思い出します。それでふと思い出したのが、小柳ルミ子さんの「星の砂」という曲でした。

この作品は1977年4月25日に小柳さんの22枚目のシングルとして発売されました。作詞は、現在は司会者としておなじみの関口宏さんが、作曲は「ヒデとロザンナ」で活躍した歌手の出門英さんが、編曲は森岡賢一郎さんが提供されました。

この作品が生まれたきっかけは、テレビ番組で、プロの作詞家・作曲家ではない芸能人が、オリジナルの作詞・作曲を作って、それをプロの歌手に歌ってもらうという企画でした。ぼくも当時子供だったんですけど、この番組を見た記憶がおぼろげに残っています。ここで関口宏さんが作詞し、出門英さんが作曲した歌を、由紀さおりさんが歌って、番組で優勝となったのですが、その歌は「八重山哀歌」という曲名でした。

歌詞の内容も、関口さんが八重山諸島を訪れた際に知った、八重山に伝わる悲恋の伝承をモチーフにしたものと言われています。ぼくも観光で石垣島竹富島西表島を訪れましたが、ガイドさんの説明を聞いていて、想像を絶する苦難の生活の歴史があったことを知り、沖縄本島周辺とは全く違う文化がここにあることを知りました。

さて、由紀さおりさんの「八重山哀歌」を聴いた小柳さんが、是非自分の新曲として歌いたいと熱望したことから、この歌は「星の砂」と曲名を変え、作詞も一部変更されて発売されることになりました。この曲はオリコン週間最高2位、年間13位を記録する大ヒット曲となり、この年のレコード大賞候補曲10組にも選ばれました。作詞の関口さんはこの年の日本作詞大賞作品賞を受賞しました。

小柳さんの代表曲というと、デビュー初期の「瀬戸の花嫁」や「わたしの城下町」といった「ディスカバー・ジャパン」路線の曲や、1980年代の「お久しぶりね」や「今さらジロー」のような歌って踊って魅せるエンターテイナー路線の曲の印象が強いです。そのため、小柳さんの他の多くのヒット曲は印象が薄くなり、「星の砂」も久方ぶりに思い出しましたが、改めて聴くと、曲の構成に華があるというか、冒頭に高音部のサビを持ってきたり、曲の最後の前のフレーズの「風よ吹け 波よ打て それであなたに つぐなえるならば」を入れたことによって、クライマックスが引き締まった感じがしました。そして、原曲の「八重山哀歌」がおそらく土地の伝承に即した内容であったと思うのに対し、「星の砂」は小柳ルミ子の作品としてのデフォルメを施されていて、島の悲恋と情景を残した歌謡曲へと変貌したのだろうと思います。そこは、小柳さんの作品を多くアレンジした森岡さんが決めていったように思います。

由紀さんの「八重山哀歌」はレコーディングはされませんでしたが、ヒデとロザンナが後に「星の砂」をカバーしましたが、その曲にある歌詞には、「嫁ぐ日 娘は 於茂登(おもと。於茂登岳のこと)に登り」「君住む多良間(たらま。多良間島のこと)に別れを告げる」と地名が入っており、おそらくこれが原曲なのではと思います。


小柳ルミ子 星の砂s


「星の砂」(八重山哀歌) ヒデとロザンナ コラボcover:流奈&numa

夏休み

最近ぼくがDAM★ともで歌っている曲に、林部智史さんの「この街」という曲があります。この曲は吉田拓郎さんが作曲しました。メイキング映像の中で林部さんがこの曲に出会ったとき、「吉田拓郎さん節というか、それをデモ音源ですごく感じて、今日歌ってみるまで、実際どういうふうになるかわからなかった」と感想を言われていました。吉田拓郎節ってどうだったかなと思い、吉田拓郎さんの曲を聴いてみた1曲が「夏休み」という曲でした。

この曲は1971年6月7日に発売されたライブアルバム「よしだたくろう オン・ステージ ともだち」で初めて収録されました。このアルバムは拓郎さんのMC部分も含めてまるまる収録したのが、当時としては先駆的な試みでした。

日本の歌謡曲やポップスにおける拓郎さんの功績の1つは、歌詞の「字余り」「字足らず」という手法で、今では珍しくなくなりましたが、当時の曲は1つの音譜に1つの文字という型ではまっていましたから、言葉を自由にメロディーに載せるというのは、インパクトが強いものでした。それと同時に、「1音1文字」という縛りを取ったことがその後の日本のサウンドをよりフレキシブルにしていくきっかけを作ったことが大きかったのかなと思います。

さて、「夏休み」は「字余り・字足らず」ではなく、「七・五調」をアレンジした「八・五調」の歌詞で、1コーラス3行の歌詞が、5コーラスまである、シンプルなスタイルです。

「麦わら帽子は もう消えた たんぼの蛙は もう消えた それでも待ってる 夏休み」で1番が終わってしまうんですけど、1フレーズ聴いただけで、子供の頃の夏休みの情景が浮かんでくる歌です。余り力を入れない感じで歌っているような「吉田拓郎節」の歌い方も感じることができます。

拓郎さんのメロディーは、割と音階の上下があって、離れた音へ飛ぶフレーズも多いので、歌うときにはどうしても声を張ってしまうことになりがちなんですが、拓郎さんはそこを同じトーンでさらっと歌えてしまうのが、上手さを感じるところです。

拓郎さんは「夏休み」について、「ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏もすべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ」とコメントし、一部で伝えられているような、「反戦歌などでは断じて!ない!」と否定しています。

作家さんは得てして、本当の真意は語らないことが多いですけど、拓郎さんが言うとおり、子供の頃の日常を歌ったのは本当だと思います。そして、反戦歌ではないのかもしれませんけど、この曲を聴いた多くの方が、広島の原爆のことを思い起こしてしまう、それも歌を聴いた感じ方なのだろうと思います。

「夏休み」の短い歌詞の中には、喪失を表す歌詞が割と目につきます。麦わら帽子やたんぼの蛙は消えて、姉さん先生やきれいな先生はもういなくて、畑のとんぼはもういなくて。主人公は、そういう目の前からいなくなったものを待っている。鹿児島から広島に引っ越した拓郎少年の時代環境を思うと、1つの言葉についてメタファー(暗喩)が込められているのだろうと解釈しています。

拓郎さんの歌のバックボーンにあるものは、自然体とか自由とかである気がしています。拓郎さんがギター1本で自分の音楽を発表できることを知って人生が変わったそうです。そこには、自分が歌いたいものを歌うという素地があったと思います。歌で有名になりたいから、レコード会社にプロモーションを行いました。ところが当時のフォークは学生運動と連動していて、フォーク歌手の姿勢も反体制、反商業主義的な流行があったので、拓郎さんの行動は業界やフォークファンからは奇異に移ったそうです。でも拓郎さんは自分のスタイルを貫いて、フォークを大衆的な音楽として浸透させたとともに、しがらみを取っ払って、従来の「型」だけではない音楽の広がりへと繋げていったわけです。「夏休み」は、そういう拓郎さんのスタイルを体言した1曲であると思いました。


夏休み 吉田拓郎

かもめが翔んだ日

日本の歌謡史を振り返ると、ターニング・ポイントとなった年が何回かありますが、その1つは1978年(昭和53年)であったと思います。日本レコード大賞ピンク・レディーの「UFO」が受賞し、アイドル歌手が初めて受賞しました。NHK紅白歌合戦のトリは、紅組は当時19才の山口百恵さんが抜擢され「プレイバックPART2」を歌唱、白組は沢田研二さんが「LOVE(抱きしめたい)」で初の大トリを務めました。従来、演歌歌手が務めていた紅白のトリを、アイドル歌手である百恵さんと、歌謡曲のスターであったジュリーが務めるのは、ある意味歴史的な大変革でもありました。また、ニューミュージックが社会的に浸透してきたことを受け、この年の紅白では、紅組から庄野真代さん、サーカス、渡辺真知子さんの3組、白組からツイスト、さとう宗幸さん、原田真二さんの3組、計6組が初出場となり、当時の演歌不振を埋める形で、新しい音楽の波が寄せてくるようになりました。この年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞したのが、「かもめが翔んだ日」を歌唱した渡辺真知子さんでした。

渡辺さんは高校生の頃からヤマハポピュラーソングコンテスト(通称「ポプコン」)に参加したり、ソロとしての音楽活動を始めていたようですが、1977年11月1日に「迷い道」でデビューし、ベスト10入りする大ヒットとなりました。これに次いで2枚目のシングルとして1978年4月21日に発売されたのが、「かもめが翔んだ日」でした。作詞は伊藤アキラさん、作曲は渡辺さん、編曲は船山基紀さんです。冒頭のイントロの「ハーバーライトが朝日に変る その時一羽のかもめが翔んだ」は、作品の原案ではなくて、後から追加されて作ったものだそうです。このイントロ部分が強烈な印象が残っているだけに、ここがあるとないとでは大違いだったかもしれません。この曲を聴くたびに、海とか潮の香りが感じられるというか、それはきっと渡辺さんの出身地である横須賀や三浦の海かもしれないと想像しますけど、渡辺さんのパワフルな歌唱力と、ドラマチックなメロディーが盛り上がる歌だなあと思いました。編曲の船山さんが歌謡曲的なアレンジを加えたのも、ニューミュージックが親しみやすく受け入れられた要因の1つであったと思います。また、当時はニューミュージックのアーティストはテレビへの出演を事実上拒否していましたが、渡辺さんはテレビにどんどん出演をするタイプだったというのも、ニューミュージックがお茶の間に近づいた要因ではないかと思います。1978年の大ヒット以降も、渡辺さんのパワフルな歌唱力は今なお維持されているのもすごいことです。名曲はいつまでも色あせないと思わせてくれる1曲です。


、・カモメが翔んだ日 ・。・、


渡辺真知子 かもめが翔んだ日