DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ファンタスティポ

日頃は別々に活動している歌手が、「企画物」としてコラボ作品を出してヒットするということは時々あります。ジャニーズも時折「企画物」を出しますが、2005年1月26日に発売された「ファンタスティポ」は、TOKIO国分太一さんとKinki Kids堂本剛さんによるユニット「トラジ・ハイジ」によって歌われました。

ジェイ・ストームが制作した映画ファンタスティポ」の主題歌だったとは知りませんでした。サウンドは1970年代のディスコ・サウンドを思わせる感じで、太一さんと剛さんの振り付けもわざと古臭くアレンジしているのが面白いです。太一さんが歌って踊っているのがやけに新鮮で、本人も嬉しそうに見えました。剛さんはクールに歌って踊ってます。

この作品は結婚式の余興でよく使われたようで、youtubeにも余興の映像がわりとアップされていました。懐かしい作品です。


Toraji Haiji FANTASTIPO

風の色

ぼくがよく歌っているKinki Kidsの作品は、本人たちの歌唱で知るほかにも、ジャニーズ・ジュニアと呼ばれる、デビュー前の練習生のような子たちが、ジャニーズの先輩の作品を歌番組で歌ったりしますが、そういう場面を見て覚えたものもあります。「風の色」という作品は、Kinki Kids本人の歌は聴いたことがなくて、ジュニアの子たちの歌でしか聴いたことはないんですが、ぼくは歌ってみようかなと思い、DAM★ともにも入っていましたので、これまでに数回公開しています。

「風の色」は2007年11月14日に発売されたKinki Kidsの10枚目のアルバム「φ(ファイ)」に収録された作品です。作詞は秋元康さん、作曲は上松範康さんです。秋元さんとKinki Kidsというのは意外な感じですが、「SNOW!SNOW!SNOW!」、「変わったかたちの石」、「夢を見れば傷つくこともある」といった、kinkiの中では地味めなシングルへの提供をされています。作曲の上松さんはアニメ関係の作品の多い方で、水樹奈々さんへの作品提供も多い方で、kinkiとはこの曲ぐらいだと思います。

歌詞は、風にも色があるように、僕たちも色々な色が混ざりながら、一つの風のようにまとまってきた姿を描いています。「吹き抜ける風にも 色はあるけれど あの空は染まらない 僕たちはいつまでも 自分だけの色を持とう」という一節がぼくは気にいってます。カラオケで歌っていると、役者さんたちが一芝居している映像もありますが、「風の色」を歌うときは「崖」や「空」を映し出す映像になるので、歌っていて広々とした気分で歌えるのも、お気に入りの理由かもしれません。

この作品を歌っているyoutuberの方の映像がフル歌唱でいいと思いました。(ぼくではありません。)


風の色 / KinKi Kids (cover) 14/02/26

東京にもあったんだ

ぼくがDAM★ともでお気に入りにしているアーティストの福山雅治さん。福山さんの作品は数多く歌わせていただいていますが、「東京にもあったんだ」は自分にとっても、CLUB DAMの歌唱検定に初めて応募した思い出の曲です。

この作品は2007年4月11日にシングルとして発売されました。作詞・作曲は福山さん自身ですが、編曲は服部隆之さんがされています。福山さんと服部さんの共作って珍しいのかなと思ってましたが、「IT'S ONLY LOVE」や「虹」や「泣いたりしないで」も服部さんが編曲されていたのでちょっと意外だったのと、幅広い仕事ぶりに感心しました。

6分近い曲で、歌詞は東京に出てきた男性が生活にもすっかり慣れた今、故郷にいる君を思って、男性が今の思いを語っている姿を描いています。福山さんがこの作品をリリースした頃の取材で、「長崎よりも東京での生活が長くなった」、そして「チャンスを生かさないと、次の大きなチャンスに繋げられなかった」という趣旨のコメントがありました。「いま以上 自分以上に なりたかったんだよ 急いで 急いで… 勝つために覚えたこと この街のルールに 少しだけ染まったよ」という歌詞には、福山さん自身が投影されている気がしました。

「東京にもあったんだ こんなキレイな月が」「東京にもあったんだ こんなキレイな夜空が」「東京にもあったんだ こんなキレイな夜明けが」と、故郷で見た空の景色と同じキレイな空を、歌詞の男性は見て、うれしい、君に見せたいなと思います。歌謡曲の世界では、内山田洋とクールファイブの「東京砂漠」のようなイメージや、あるいは沢田研二さんの「TOKIO」のようなイメージが「東京」のイメージです。でも東京に住んでいるぼくからみると、それらも東京の1つの景色だけれど、下町もあればおしゃれな町も混ざり合っていて、それに東京は土地の起伏があるので、思わぬ場所から富士山も見えたりしますし、キレイな夜明けも太陽も月も夜空も、都心で見える場所もあります。それまで地方での生活に慣れてきた人にとっては、東京での生活は最初は戸惑いもあると思いますけど、東京は地方から来た人たちが集まっているので、それほど排他的でもなく、何となく東京の雰囲気に馴染んでしまうのかなと思います。

ぼくは自分の歌声が好きではなくて、「東京にもあったんだ」で歌唱検定に応募したときに録音した自分の声を聞いたときも「なんか嫌だな」と思いましたが、審査員の先生から自分のその声質を初めて褒められて意外に感じたのと、他人が聞けば自分の声はそういうものなんだとわかって、自分が歌うことに少し自信を持てるようになったのが一番良かったことです。


東京にもあったんだ【PV】 福山雅治

ジレンマ

ぼくは声質が低めなので、高音でかっこよく歌っているアーティストさんには憧れます。2000年代に活躍していたSURFACE(サーフィス)の作品も結構好きで、うまく歌えないのは承知で、今でも歌っています。最近歌っているのは「ジレンマ」という作品です。

SURFACEは1998年5月に「それじゃあバイバイ」でデビューしました。当時の人気ドラマ「ショムニ」の主題歌だったので、覚えている方もいると思います。2枚目のシングルとして1998年8月に発売されたのが「ジレンマ」でした。セールス的にはあまり売れなかったので、3枚目のシングル「さあ」、その後の「なにしてんの」に比べるとインパクトが薄いんですが、ぼくは、奇をてらった感じがなくて、正面から音楽やってる感じがしたので、結構好きな作品です。歌詞は椎名慶治さんが書いてますが、彼女に好きとなかなか言えなくて、友情と愛情の間で悩むジレンマを描いています。「恋の悩みなど今ここで Ah 持ちかけられても そりゃ困る でも 「誰よりもなんか話しやすい」って 言われりゃ断る理由が出てこない」という一節がぼくは気に入ってます。

「なんで僕は こんなに臆病なんだろう? 友情と愛情の 板ばさみの中で こんな不満 君に言えるはずもない 本当は一番 伝えたいけど」 …男と女の友情は成立するのか?って、この頃は割とドラマのセリフでも使われてました。1996年に大ヒットした「ロングバケーション」もそうでした。瀬名と南もあれから21年も経ったんですね。

椎名さんも永谷さんも若い頃の映像です。


SURFACE - ジレンマ

You And I

1990年代にカラオケでよく歌っていたのが中西圭三さんの作品ですが、ぼくが好きな作品は「You And I」です。作詞は売野雅勇さん、作曲は中西圭三さん、編曲は小西貴雄さんで、当時の中西さんの作品を作っていたコンビです。1993年3月に発売された3枚目のアルバム「Steps」に収録され、8枚目のシングルとしても発売されました。

まずサウンドがかっこいいなと思いました。左右にグルーブしながら歌うのが当時の象徴みたいな感じだった気がします。また歌詞も曲に合っている感じで、歌いがいが一層出てくる気がしました。「淋しさも哀しさも 気持ちの弱さも Just Dream Of You 隠していたい けがれもすべて 受けとめる Wow」のところは、節尾のところを伸ばしつつ、次へと続けなければならないんで、結構このスタイルの息継ぎに慣れるのに大変でした。今では普通に歌えるようになりました。

ところで中西さんが提供した楽曲といえば、1991年のZOOに提供した「Choo Choo Train」です。2003年にEXILEがカバーして更に有名な作品になりました。EXILEのHIROさんは若かりし頃、ZOOのメンバーとして踊っていた記憶があります。HIROさんにとっても中西さんのサウンドは思い出深いものなんだろうと思います。


中西圭三 You And I

青いダイヤモンド

DAM★ともではいろいろなオーディションを紹介していますが、「2017年 日本クラウン 演歌・歌謡曲 新人歌手オーディション」で、「2015年度準グランプリ」として紹介されていたのが、中澤卓也さんです。2017年1月18日「青いダイヤモンド」でデビュー!とあったので、どんな歌なのかyoutubeで探してみました。作詞は田久保真見さん、作曲は田尾将実さん、編曲は川口真さんです。ここで川口先生のお名前を見るとは思いませんでした。演歌というよりも青春歌謡といった感じの曲ですが、中澤さんが伸びやかな声で、無理なく歌っているのに好感をもちました。21才の若者で爽やかイケメンって感じなので、今年の新人賞レースには上がってくる方だと思いました。ぼくもDAM★ともで歌ってきましたけど、歌ってて気分がよくなる作品だと思いました。高音がうまく出せなかったけど、初めて歌ってみて得点が96点でびっくり!日頃なかなか95点の壁を超えられないものですから、この作品、ぼくに合ってるかも…と思ったところです。


中澤卓也 青いダイヤモンド FULL PV

中澤くん自身も歌手の原石みたいな存在だと思いますが、彼はプロ歌手のデビューを目指して、田尾先生の下で歌のレッスンをしてきたほか、いろいろと活動されていたようです。その1コマかもしれませんが、中澤さんが自分で作ったという「トモダチノウタ」という曲を歌っています。5分ぐらいの曲なんですが、聴いていて飽きがきませんでした。聴いている人を飽きさせないって、すごいことだと思うんですよね。ぼくはこちらの歌の方が彼の本来の歌の志向なのかな…と思いました。


中澤卓也 egg!Live 2ndステージ vol.9

人形の家

1969年(昭和44年)の紅白歌合戦は、昭和の歌謡史を語る上でも貴重な番組の一つとなっています。弘田三枝子さんはこの年、「人形の家」(作詞はなかにし礼さん、作曲は川口真さんです。)が大ヒットして、日本レコード大賞の歌唱賞を受賞しました。ぼくが生まれる前から活躍されていた方なのでにわか勉強しましたが、当時は進駐軍のキャンプでジャズやポピュラーを歌っていた少女たちがいまして、弘田三枝子さんをはじめ、伊東ゆかりさん、ちあきなおみさんもそういう経歴を持っています。弘田さんはデビュー当時は洋楽のカバーを歌う元気な女の子というイメージで、強烈でパワフルなボイスというのが何といっても彼女の特徴だと思います。「人形の家」はそんな彼女のイメージチェンジというか、大人の女性になって歌ってみた、歌謡曲の路線なんですが、昔を知らないぼくにとっては、彼女の代表曲という風に受け取っています。今は多くのアーティストがこの作品をカバーしていますが、本家の歌を聴くと説得力が違います。


弘田三枝子さん 人形の家1969

1969年の紅白歌合戦でのハーフタイムショーの映像がyoutubeにありました。弘田三枝子さん、ザ・ピーナッツ伊東ゆかりさんの歌唱に合わせて、金井克子さんが躍動的なダンスを、ワールドダンサーズと共に披露しています。今から48年前になりますが、当時は今より音響技術がなかったにしても、歌やダンスのエンターテイメントや躍動感は今よりも数段優れていたのではないかと感じました。


弘田三枝子さん ポップスメドレー1969