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DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

プレイバックPart2

1970年代後半を象徴するスーパー・アイドルの筆頭がピンク・レディーであれば、もう1人のスーパー・アイドルは山口百恵さんです。

1978年は日本のポップスにおいてターニング・ポイントとなった年でした。ピンク・レディーは1976年のデビュー以来の怒涛のブレイクによって、発売するシングルがすべてミリオン・セラーを記録し、「UFO」で女性アイドル歌手として初めて日本レコード大賞を受賞しました。また、1978年の紅白歌合戦は紅組・白組のトリをいずれもポップスの歌手が務めるという、紅白歌合戦史上初めてのことが起きました。白組は1977年に「勝手にしやがれ」で日本レコード大賞を受賞以来勢いのあった沢田研二さんが、「LOVE(抱きしめたい)」で初の大トリとなりました。そして、紅組のトリは、当時19才だった山口百恵さんが「プレイバックPart2」で初のトリとなりました。百恵さんの最年少トリの記録は現在も破られていません。

山口百恵さんのシングルは1976年から1980年の引退まで、主に作詞家の阿木燿子さん、作曲家の宇崎竜童さんのコンビによって提供されました。一連の作品の中で描かれた女性は、ちょっと意気がって、ちょっとツッパリなところもある、かっこよくて強い女性の姿だったように思います。それは当時の百恵さんの実年齢である10代後半のイメージとは全くかけ離れていて、20代~30代の女性のようでもありました。当時の百恵さんはテレビドラマや映画にも出演していましたが、よく評されていたのが、「1年にいくつも年を取るように感じる」というものでした。それは老けるという意味ではなくて、10代の女性が、大人の女性を見事に演じられているという褒め言葉でありました。

「プレイバックPart2」の女性は「真紅(まっか)なポルシェ」をかっ飛ばす、当時としてもぶっ飛んだ女性でした。「馬鹿にしないでよ そっちのせいよ」と男に啖呵を切ってしまう、何とも勇ましい女性を、百恵さんが見事に演じ切っていました。

百恵さんの楽曲を、阿木さんと宇崎さんに作ってもらおうと思ったのは、CBSソニーのスタッフではなく百恵さん自身のオファーだったそうです。1975年に宇崎さんがリーダーだったダウンタウン・ブギウギ・バンドが「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(作詞は阿木さん、作曲は宇崎さん)を大ヒットさせ、同年の紅白歌合戦に初出場しましたが、横須賀で育った百恵さんはどこから阿木さんと宇崎さんに、自分へのシンパシーを感じたのかわかりませんが、今後の歌手としての自分を作ってくれるだろうと見極めた先見の明があったと思います。この出会いがなければ、時代を象徴するスーパー・アイドルにはならなかったと思います。


山口百恵 ♪プレイバックPart2