DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ミ・アモーレ

1980年代後半、日本の歌謡界の「歌姫」であったのが中森明菜さんです。1985年3月8日に中森さんの11枚目のシングルとして発売されたのが「ミ・アモーレ」です。作詞は康珍化さん、作曲は松岡直也さんで、この作品で中森さんは1985年の日本レコード大賞を受賞しました。「リオの街はカーニバル」とあるように、歌詞の世界はリオのカーニバルの雑踏の中で、恋人を探し追い求める女性の姿を描いていて、それはカーニバルやサンバのイメージと相俟って、情熱的な恋の世界を連想させます。中森さんの低音の声質と冷静な歌い方が、逆に歌の世界を一層際立たせているように思います。

ご存知の方もいるように、元々は松岡さんの曲に付けられた康さんの歌詞は「赤い鳥逃げた」という題名でした。歌詞の内容は恋人が砂漠の国へ旅立ってしまい、それはかごの中にいた赤い鳥が逃げてしまったようだけど、いつか2人が一緒になる場所を探して欲しいという女性の気持ちを描いています。ただ、どうも歌詞の内容が内向きで、康さんは当時のワーナーパイオニア研音の人にダメ出しをくらって、「もっとインパクトの強い歌詞にして」とでも言われたんでしょうね。それで、砂漠の国から情熱の国へ転じて、「ミ・アモーレ」ができたんですね。その後「赤い鳥逃げた」は1985年5月1日に12インチシングルとして発売されました。

ところでこの「赤い鳥」って実際にあるのかなと思って調べてみたところ、「ベニスズメ」という赤い鳥を発見しました。もともとは熱帯に生息していた鳥ですが、寒い地域でも生息できる力があって、日本でも野生化して生息しているようです。

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さて、「ミ・アモーレ」の作曲者である松岡直也さんは、日本の代表的なラテン・ミュージシャンであり、ジャズ・ピアニストでありました。もともと作曲家のいずみたくさんの元で色々な音楽の仕事をされていたこともありますので、青い三角定規の「太陽がくれた季節」の編曲とか、人気報道番組「ニュースステーション」のテーマソングとか、作品も幅広く手掛けていました。本職のインストゥルメンタルでは、1982年に発表したアルバム「九月の風」がオリコン2位を記録する売上を残したことが挙げられます。そして、松岡さんのインストゥルメンタルによる「ミ・アモーレ」はその演奏の音質の高さもさることながら、どこか心地よい夏の日を思わせてくれる世界を奏でているように感じました。

こうして1つの曲から、3つの作品が生まれているわけです。


中森明菜 赤い鳥逃げた ~12インチ45回転EP~

 


中森明菜 - ミ・アモーレ-3-1

 


松岡直也  ミ・アモーレ