DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

Ride on time

平成31年4月30日から令和元年5月1日への「元号またぎ」は、AbemaTVで放送していた「7.2新しい別の窓」を見ていました。稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんが「平成名曲ライブ」で、平成元年から平成31年までのヒット曲を次々と歌われていて、1曲聴くたびに、何となくその当時を思い出すことがあったりして、ぼくなりの平成の振り返りをちょっとしてみました。

さて、「平成名曲ライブ」では、MAXが登場し、平成10年(1998年)のヒット曲「Ride on time」を披露しました。歌って踊るMAXを久々に見ると、1990年代の音楽シーンって色々な音楽で賑わっていて、今よりも面白かったなあと思いました。


MAX Ride on time 1998

この作品は1998年7月22日にMAXの10枚目のシングルとして発売されました。作詞は松井五郎さん、作曲・編曲は横山輝一さんです。最近のぼくの中では、竹島宏さんや山内惠介さんの作品への提供でお見かけする松井先生ですけど、1998年のMAXは、9枚目のシングル「閃光ーひかりーのVEIL」、「Ride on time」、11枚目のシングルのC/W曲「Grace of my heart」と松井さんと横山さんによるシングルが続きました。MAXはこの年にNHK紅白歌合戦に2回目の出場を果たし、人気グループとしての地歩を固めることができたと思います。

横山輝一さんというと、1993年にヒットした「Lovin’ You」の爽やかで、超絶な歌の上手さの印象が強いんですが、何となくMAXや横山さんの動画をチェックしている中で、横山さんがセルフカバーした「Ride on time」を見つけてしまいました。


Ride On Time 横山輝一

ダンサブルなMAXも楽しくて盛り上がりますけど、横山さんのカバーはもっとラテンっぽい感じで、かっこいい仕上がりになっていて、これって貴重な音源だなあと思いました。「Ride on time」って男が歌ってもいい感じになるのかなと思って、令和最初のカラオケでさっそく歌ってみました。

1990年代にヒット曲を出した横山さんのような男性アーティストって多くいらっしゃって、今から20年以上前のヒット曲なんですけど、その当時はチャートの壁が厚くて、最高15位~25位ぐらいにとどまってしまった曲も多かったです。でも今でも作品の質は色褪せてないというか、今リリースしたらもっと売れたんじゃないのかなと思ったりもするわけです。そういうアーティストの作品をもっとfeatureしてみようかなと思いました。

冬の旅

昭和の流行歌は、今もなお日本のポップス・ロック・演歌・歌謡曲のバックボーンであり続けていると思います。平成の時代にも多くのヒット曲が生まれ、音楽の表現方法も広がったと思います。ただ、音楽が洗練されたにもかかわらず、何か物足りなさを感じることがあり、それは何なんだろうかと考えていたら、その1つはストレートに魂を揺さぶる歌手が少なくなったのかなと感じました。日本の歌謡界の中でトップレベルのソウル・シンガーだと思うのが森進一さんです。若い世代の方には、ONE OK ROCKのTaka(森内貴寛)さんのお父さんといった方がわかりやすいかもしれません。

NHK紅白歌合戦に1968年から2015年まで48回連続出場をしており、演歌歌手の大御所であることに異論はありませんけど、森さん自身は演歌歌手と呼ばれるのは好きではなく、「自分は流行歌手である」と言っています。事実、いわゆる演歌のヒット曲だけではなく、1974年に吉田拓郎さんが作曲を提供した「襟裳岬」は同年の日本レコード大賞を受賞しましたし、1982年に松本隆さんが作詞を、大瀧詠一さんが作曲を提供した「冬のリヴィエラ」もヒットし、ポップスそのものなんですけど、見事におしゃれな作品に仕上げているのは、森さんの歌唱力の技巧の高さにあるのだと思います。

森さんのシャウト歌唱って、演歌じゃなくて、ロックだと思うんです。歌が本当に上手い方は、レコードやCDよりも生歌の方が歌に魂が宿っていると感じます。特に初期の森さんがレコード大賞や紅白で歌うとなると、通常以上に迫力ある歌唱に切り替えてくるんです。YouTubeで当時の動画を見ると、憑依を半ば超えて狂信の世界に敢えて入って歌っている感じさえします。この人の息子さんのTakaさん、歌上手いの当たり前だよねって思います。

ぼくが最近聴いていて、DAM★ともでもチャレンジしているのは「冬の旅」という曲です。作詞は阿久悠さん、作曲は猪俣公章さん、編曲は森岡賢一郎さんです。1973年10月10日に森さんの28枚目のシングルとして発売されました。オリコンでは最高3位、1974年度の年間23位に入る大ヒット曲なんですが、他の有名すぎる大ヒット曲の影に隠れています。森さんがサビの「もうあなたのところへは 帰らないだろう」のところで、デビュー以来初めて手の振り付けを入れた曲でもあります。AメローBメロが語るように歌っているのに対し、サビはシャウトしまくった後に、締めは「雪の降る町へ」と再び静かに歌い締めるという、森進一節を堪能できる1曲であると思います。

森進一さんは歌手の最高峰の人という思いが強くて、その森さんの作品をカラオケで歌うのは、世代的に合わないこともあって敬遠してきました。でも「冬の旅」を歌ってみると、森さんのソウルが感じられますし、それとやっぱり歌って難しいです。サビの後半の「ひとり ひとり 旅にたつ」まで声を維持するのが難しいです。

冬の旅はNHK紅白歌合戦では1973年と1998年の2回歌唱されました。1973年の森さんはまだ荒削りながらも、迫力ある歌唱を披露しています。なんと当時26才でこんなに上手い歌が歌えるなんて凄いです。1998年の森さんは歌唱力もテクニックも最盛期にある頃で、歌の迫力も一段と増しています。平成の終わりに昭和の歌もしっくりきます。


冬の旅 森進一 Mori Shin ichi

聖なる海とサンシャイン

2008年12月からDAM★ともをやっていると、前はよく歌ってたのに、今は歌ってなかったアーティストの曲って結構あります。今週はTHE YELLOW MONKEYイエモンの曲を久しぶりに歌って、DAM★ともに2曲公開しました。1曲は「BURN」でしたが、もう1曲は「聖なる海とサンシャイン」という曲でした。

この作品は2000年1月26日に彼らの20枚目のシングルとして発売されました。1999年3月のツアー後、イエモンは休養期間に入り、初めて外部のプロデューサーとのコラボレーションを行いました。この作品と「バラ色の日々」は編曲を朝本浩文さんが手掛けました。朝本さんというとUAさんやSILVAさんのプロデューサーの印象が強くて、UAさんの「悲しみジョニー」は好きですけど、あの妖艶なアレンジをイエモンの作品でも提供されていたとは、今回調べるまで知りませんでしたが、改めて「バラ色の日々」や「聖なる海とサンシャイン」を聴くと、確かにそんな感じだと納得します。自転車事故で転倒したのが原因で若くして亡くなられたのが今でも残念です。

吉井さんは休養明けのシングルは「聖なる海とサンシャイン」にしたかったんですが、スタッフから「休養明けにしては地味」「もっとパッとした曲の方がプレゼンしやすい」との意見が出て、アップテンポな「バラ色の日々」が19枚目のシングルとして1999年12月8日に発売されました。リリースっていろんな事情があるんだなと思います。

ぼくはこの作品に接したのは、DAM★ともイエモンの曲を歌おうかなと、彼らのベスト・アルバム「GOLDEN YEARS Singles 1996-2001」を買って、この作品は9曲目に収録されていました。イエモンの一連のヒット曲とはやや異なる雰囲気を感じたのと、雄大なスケールを感じて、歌ってみたら、思った以上に歌いがいのある曲でした。

歌詞がどこのフレーズを切り取ってもビンビンと響いて来るものがありました。1番の「海の果ての果てに君を連れて 銀の砂浜でこの胸に引き金引かなきゃ」なんてシーンがドラマチックに思えました。ぼくは「聖なる海とサンシャイン」をDAM★ともに公開しようかなとしてたときに起きたのが、2011年3月11日の東日本大震災でした。あの後2ヶ月ぐらいカラオケには行く気になりませんでしたけど、再開してカラオケに行ったとき、この歌を歌うことができなかったんです。

2番の歌詞に「人が海に戻ろうと流すのが涙なら 抑えようないね それじゃ何を信じあおうか… 海の果ての果てで恋も欲望も 波のように砕け散って幻になれば」という一節があって、本来の歌詞の意味とは勿論違うんですけど、震災の被害の映像を数多く見ていたせいもあって、歌う気にはなれず、それから何となく歌わなくなっていました。今週その封印を解いて歌えたことが良かったです。全然地味じゃないし、インパクトのある曲だと思います。


THE YELLOW MONKEY – 聖なる海とサンシャイン

BURN

ぼくがDAM★ともでお気に入りにしているアーティストのCHEMISTRYの堂珍さんは、THE YELLOW MONKEYのファンであることを公言しています。

「俺が16歳のころかな、バンドを組んでカバー曲を演奏するのが、先輩たちの間で流行っていたんですよ。その中でも人気だったのが、THE YELLOW MONKEY。ふだんは特別というわけじゃない先輩たちが、バンドをやることですごく輝く。その姿に憧れたのが、イエモンTHE YELLOW MONKEY)を聴くようになったきっかけです。」

堂珍さんは「太陽が燃えている」からイエモンの道に入っていったそうですが、ぼくも初めてイエモンの演奏を見たのは同じく「太陽が燃えている」だったと思います。たぶんNHKの「ポップジャム」だったかなあ。最初の印象は、グラムロックっぽいけど、多分に歌謡曲のテイストが入っていて、それに歌詞に英語がほとんど入ってなくて、日本語の歌詞として言葉を伝えているのが、何か面白いバンドだなという感じでした。

そういえば最近、イエモンの曲を歌ってなかったなあと思い出し、DAM★ともで久々に歌ってみましたが、その1曲が「BURN」という曲でした。

この作品は1997年7月24日に彼らの13枚目のシングルとして発売されました。この当時はイエモンは安定した人気を保っていた頃で、吉井和哉さんも「デビューしてからのTHE YELLOW MONKEYの頂点が、「BURN」だ」と語っているとおり、「BURN」はイエモンの代表曲です。

DAM★ともで「BURN」を歌っていると、イエモンのPVが流れましたが、ロケ地は山形県の田舎だったそうです。吉井さんは、「BURN」について、「東北とラテンを融合させる楽曲をイメージして、傷付きながらも、前に進んでいく女性をイメージして作った」そうです。PVでは新宿の高層ビル群を合間に入れつつ、田舎の蔵や古民家や原っぱで彼らが演奏しているんですけど、これが妙に合っているんです。炎=BURNなんでしょうけど、日本の原風景が東北というイメージはありますし、一方そこに生きる人たちの心の中に潜む情念っていうのもあって、それは盆踊りとか農村歌舞伎といった、地域の因習を含んだ芸能の中で体現されているような気がします。一方でラテンというと情熱的なイメージばかりがありますけど、哀愁もあるし、人間の思いを伝える意味では世界共通なんであって、融合するし調和するものなんだろうと思います。彼らは日本人として日本のロックを歌うという意識が高かったんだなあと感じます。その中で妖艶さやもどかしさを醸し出しつつ、それを歌の中で爆発させる表現っていうのに長けていたなあと思います。

堂珍さんの「ふだんは特別というわけじゃない先輩たち」が、イエモンを演奏することで輝いて見えたっていうのって、納得できます。普段は大人しそうな人が、カラオケを歌ったら豹変するっていう姿を見ることがまあまああって、そのときって日頃見せない面を、歌を通じて見せてくれるから、見ているこっちも嬉しかったりするんですよね。

歌の世界に入ると、その主人公に憑依するっていうのはあると思います。


THE YELLOW MONKEY – BURN

ジェネステ2018 DAY-2 大阪第三会場大会

4月14日、ぼくはジェネステ(NEW GENERATION LIVE STAGE)というカラオケ大会のDAY-2(地方予選)大阪第三会場大会に行って、歌ってきました。

ジェネステではDAY-1(音源審査)に合格すると、DAY-2(地方予選)では毎回のエントリー手続きを行って、エントリー料を支払えば、全国で開催するすべての会場へのエントリーが可能なシステムとなっています。

ぼくは既に東京第一会場大会、東京第二会場大会で林部智史さんの「恋衣」という曲を歌いましたが、カラオケ大会の場数を踏みたいということと、ライブハウスの環境で歌いたいということと、自分の歌の過程を確認したいということで、もう1回エントリーして歌おうと思いました。ジェネステ2018の残りの開催は、東京第三会場大会、名古屋第二会場大会、大阪第三会場大会の3回。最初は東京第三会場にエントリーするつもりでしたが予定が合わず、名古屋第二会場も予定が合わず、エントリーが可能なのは大阪第三会場だけでした。4月とか5月って、いろいろな予定が入っちゃうんですよね。

どうする?東京から大阪まで本当に行くか?交通費出せるか?宿泊費はどうする?とかいろいろ迷いました。そのとき思い出したのが、東京第一会場や東京第二会場でも岩手県宮城県新潟県長崎県といった遠方から来られた方がいらっしゃったことでした。また、東京第二会場でご一緒した何人かの方が、すでに名古屋第二会場にエントリーしていることも知っていました。やっと、大阪第三会場へのエントリーを決断して、東京から日帰りで大阪に行くことにしました。

東京6:16発の新幹線で大阪に到着。大阪駅近くのカラオケ店で1時間声出しをした後、会場の西天満にあるLIVE HOUSE Lumioへ。会場が開放前だったので、軽く音合わせをさせて頂けました。同日に大阪市内で他のカラオケイベントがあった影響からか、参加者は20名弱と他の会場より少なめでした。しかし、その参加者の大半がジェネステの過去の大会で優勝や入賞をした方とか、音源審査で☆マークが付いた方とか、ハイレベルな歌唱力を持った方でした。また、ぼくの他にも、山梨県福井県、愛知県、高知県からという遠方から来られた方が何人もいらっしゃいました。結局、この会場には非常に強い気持ちを持って来た人しか来ていないわけで、相当厳しい大会になるだろうと思いました。

その予想は見事に当たりました。単に歌が上手いというだけではなく、声に響きや深みを感じる方が続々と歌唱されました。歌だけではなく、ステージングも身振りや手振りが慣れているだけじゃなくて、動きもサマになっていい方も続々と出場しました。ご本人の個性を如何なく発揮されている方も何人もいました。

その点ぼくはというと、一人カラオケで歌ってる感じと変わってなくて、声の響きとかまだ足りないし、ステージングなんて全然やれてないし、こういう風にパフォーマンスしたいなと考えていることがまだ発揮されてないなということを、まざまざと感じさせられました。ジェネステからの寸評を2回頂いていて、ぼくの指摘は、地声からファルセット、ファルセットから地声への切り替えとか、高音の安定感と完成度の高さについて書かれるんですが、なかなか完成度が高い形での表現ができません。今回入賞した方には講評の中に「寸評をよく見て勉強して改善して頂いた」というコメントがあって、そういうのを聴いていて、翻って、そういう改善に達していない自分が歯痒くてならなかったです。

入賞しなかった方の中にも、入賞した方と同じぐらいの非常にハイレベルな歌唱力やステージングを表現した方が多数いらっしゃいました。大阪第三会場大会そのものはアットホームな雰囲気で、歌っていてもしっかりと聴いて頂けているのがわかりましたし、MCをしても反応を返して頂けたのも嬉しかったです。はるばる大阪まで来て、勉強できたことや収穫できたことはいっぱいありました。その代わり、今のぼくにないものもいっぱい目の前のステージで見ることになりました。

果たしてぼくは目の前の人たちのようなパフォーマンスを、今後改善していったら達成できるんだろうか?それってぼくにはそもそも無理なことないんじゃないかな?今のぼくの歌って何も届けられてないのかな?そんなことを帰りの新幹線の中でずっと考えてました。泣きはしなかったけど、気持ちはずっと凹んでました。22:23東京着。ぼくの長い一日が終わりました。また、一からやり直しです。

明日もし君が壊れても

カラオケ大会では、出場する方がそれぞれの「勝負曲」を歌います。いわゆる「大会向きの曲」で、バラードでもロックでも演歌でも、内容的に濃い目な作品が多いです。加えて、出場する方も気合を入れて歌ってますので、全員の歌を聴いた後は、ぼくは何も食べてないんですけど、何となくお腹いっぱいな感じになります。

ところで、大会に出る方って、日頃はどういう歌を歌っているのかなって考えました。DAM★ともをやっている方の公開曲を見つけて聴くと、お気に入りのアーティストの作品だけではなく、結構幅広いジャンルの作品を歌っている方が多いなあと思いました。それと、大会の時とはやや違って、自然体で歌っている印象を持ちました。

また、ツイキャスをやっている方が何人もいらっしゃって、それでぼくもそういう方のツイキャスを最近聴くようになりました。DAM★ともは録音も動画も事前に収録しますけど、ツイキャスでは生歌になりますのでライブ感がありますし、お話を交えながら、歌いたい歌を次々と歌われてますので、聴いていても面白いなあと思います。

ぼくが歌わないアーティストの曲を、他の方の歌で聴くと、新鮮な感覚を与えてもらっています。知ってるつもりだった歌を改めて知ったとか、食わず嫌いだったアーティストに目を向けるようになったとか、ぼくにとっては新しいものを得られた気分になります。

今週のツイキャスを聴いていた中で印象に残ったのが、WANDSの「明日もし君が壊れても」という曲でした。ツイキャスの方も曲への思い入れがすごくあって歌っている感じでしたが、こういうバラード曲ってあったんだって思いました。

この作品は1998年6月10日にWANDSの14枚目のシングルとして発売されました。WANDSは1991年から2000年まで活動したロックバンドなんですけど、在籍メンバーの変遷があって、「もっと強く抱きしめたなら」をリリースした1992年7月までが第1期で、その後一連のヒット曲を出して、プロデューサーの長戸大幸さんとの音楽性の方向違いから、ボーカルの上杉昇さんとギターの柴崎浩さんが脱退した1997年初めまでが第2期、その後ボーカルに和久二郎さんとギターの杉元一生さんが加入して再始動した1997年9月からが第3期となっています。だから、この作品は第3期WANDSの和久さんのボーカルなんですね。

作詞はZARD坂井泉水さんが提供しました。愛した彼女の命がもう長くなくて、大事な人を失う怖さや悲しさと向き合う主人公。坂井さんは2007年に若くして亡くなられたこともあり、この詞を読んで、何か言い当ててしまったのかなと頭をよぎりました。

作曲は大野愛果さんが提供し、この作品が初めての楽曲提供でした。その後は倉木麻衣さんの一連のヒット曲を提供されています。

ぼくもDAM★ともで歌ってみようと思いますけど、キーがものすごく高いので、2つぐらい下げないと歌えないんじゃないかなって思います。


WANDS 明日もし君が壊れても

カーテンコール

4月1日に次の元号である「令和」が発表されました。「平成最後の月」となる今月ですが、そういう時代の変わり目を感じているいま、シンクロする曲に出会いました。浜端ヨウヘイさんの「カーテンコール」という曲です。

浜端ヨウヘイさんは、2007年に「ヨウヘイ」としてインディーズデビューをしてから、仕事をしながらの音楽活動を続けていましたが、2013年からは音楽活動に専念し、山崎まさよしさんのオープニングアクトに出演し注目を集め、2014年に現在の「浜端ヨウヘイ」に改め、1stシングル「結-yui-」でメジャーデビューしました。

「カーテンコール」は2019年1月23日に、おそらく2度目のメジャーデビューということだと思いますが、その1stシングルとして発売されました。作詞がプロデュースを行った寺岡呼人さん、作曲が浜端さん、編曲も寺岡さんが行いました。

カーテンコールとは、演劇・音楽会などの幕切れに喝采して、出演者を再び舞台上に呼び出すことをいいますが、歌詞も、今の時代の変わり目を描いているように感じました。「この時代を彩った人 天国にいった人 この時代にたおれた人も 一同に並んでいる」というのは、いつの時代も歴史は偉人や有名人だけで作られたのではなく、その時代に生きた多くの無名な人たちによって動かされ作られてきたのだということを強く感じます。「多くの過ちも残して バトンを渡すけれど 抱えきれないほどの愛も 手渡せたはずだから」という歌詞も、深い意味を感じて、世の中の課題は常にあるけれども、その中で生き抜いていく遺伝子とか底流にある民族のDNAというのは、古代から綿々と次の世代へと受け継がれていて、いつの時代も変わらないものが我々のどこかにあるんだなというのを感じます。

すごくスケールの大きな歌だなあと思いましたが、歌う浜端さん自身も長身のがっしりとした体格の方で、ある意味今風ではない無骨さを感じる方で、それがボーカリストとして据わっているなあと感じました。大物って感じですね。2019年を象徴するような作品だとぼくは思いました。

カラオケ大会でこの作品を歌われた方がいて、それがきっかけでまたいい曲に出会えたことに感謝したいと思います。

「この”始まりの歌”は、あなたの人生をスポットライトで照らしてくれる。」というのが、「カーテンコール」のキャッチコピーなんですが、1人1人が4月から始まった新しい年度をデザインしていき、新しい時代を作っていくんだと思います。ぼくもそういう1人として、自分の歌の方向を作っていけたらいいなと思っています。


浜端ヨウヘイ「カーテンコール」Music Video Full ver.