DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

聖橋で

新しい企画のカラオケ大会が全国で次々と開催されていますが、2月11日に兵庫県洲本市で開催された「第1回阿久悠杯歌謡祭2019」もそのような大会の1つです。

阿久さんは、兵庫県警巡査であった父親の仕事の関係で、兵庫県津名郡鮎原村(現在の洲本市五色町鮎原)、ざっくりいうと淡路島で、幼少期から高校生までの時期を過ごしました。このカラオケ大会を主催した阿久悠を歌い繋げるプロジェクトin SUMOTO」は、「同郷の大先輩が残した偉大な功績を、阿久さんが育ったこの地で讃えたい」という思いで企画を立てられたそうです。参加者を応募したところ、全国から850名の応募があり、予選を通過した119組が当日の大会に出場しました。

歌う曲は阿久悠さんが作詞した作品に限るということで、阿久さんのヒット曲が出場者によって次々と披露されました。グランプリに選ばれた方が歌われた曲が、あさみちゆきさんの「聖橋で」という曲でした。

ご存知の方もいるでしょうが、「聖橋で」は阿久さんの生前の遺作になります。あさみちゆきさんは、「あさみ」が苗字で、「ちゆき」が名前の女性歌手で、デビュー前の2001年頃から井の頭公園でのストリートライブを始めたことから、「井の頭公園の歌姫」として話題になりました。古きよき昭和の香りがする歌をテーマに歌ってきた活動に、阿久さんも注目したのだと思います。2007年2月1日に発売されたあさみさんの3枚目のアルバム「あさみのうたⅢ-青春のたまり場-」は全11曲が阿久さんの書き下ろしによるもので、「聖橋で」はその1曲として収録されました。その後、2007年8月22日に「聖橋で」は6枚目のシングルとして発売されました。

阿久さんは洲本高校を卒業し、明治大学に入学しますが、聖橋(ひじりばし)は明治大学駿河台キャンパスの最寄り駅であるJR御茶ノ水駅の横を流れる神田川に架かっているアーチ橋です。

初めての東京で学生時代を過ごした阿久さんにとっては、駿河台界隈は多くの思い入れがあるんだと思います。阿久さんは1983年には狩人にも、同じ「聖橋で」という題の作詞を提供しています。あさみさんの「聖橋で」の歌詞は、売れない小説家の彼を、主人公の女性が、頑張って欲しいという願いから鬼の心になって、彼を見捨てて出て行き、二年二ヶ月二日目に、聖橋で逢いましょうという内容で、かつて小説家になることを夢見ていた阿久さんの自伝的内容とも言われています。現在、明治大学アカデミーコモン地階には阿久悠記念館が開設されています。

さて、ぼくが阿久さんの作品を歌うとしたら、どの作品を歌おうか。沢田研二さんの「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「LOVE(抱きしめたい)」とか、西城秀樹さんの「若き獅子たち」「ブーメランストリート」「ブルースカイブルー」あたりかな。


あさみちゆき 聖橋で~シングルバージョン~ 演歌百撰

スワンソング

2月11日にNHKFMで「今日は一日”松本隆ソング”三昧」という番組が、12時15分から21時15分までの9時間にわたって放送されました。ぼくはまったく聴けなかったんですが、Twitterのトレンドで「松本隆三昧」というワードが上昇してました。ラジオ番組でトレンド入りするのも最近では珍しいと思います。

ぼくにとって、DAM★ともで歌っている松本さんの作品というと、KinKi Kidsの作品が多いです。その中でも好きな作品が「スワンソング」という曲です。発売直後にこの曲を聴いて「今度の新曲、すごくいいじゃん」と思い、DAM★ともでも何十回も歌った思い出があります。

この作品は2009年10月28日にKinKi Kidsの29枚目のシングルとして発売されました。作詞は松本隆さん、作曲は瀬川浩平さん、編曲はha-jさんです。この作品は曲が先に作られたところで、「この曲に命を吹き込んでもらいたい」と、光一さんと剛さんの2人から松本さんに直接作詞を依頼しました。

松本さんはデビュー曲「硝子の少年」の作詞を提供したということで、KinKi Kidsの「生みの親」になったわけですが、同時にこの曲がミリオンセラーになったこともあり、その後のKinKi Kidsの歌の世界観に影響を与え続けているとも思います。

松本さんの光一さんと剛さんへの思いも、ある意味変わっていなくて、「繊細で壊れやすい面もあるけど、苦境を乗り越える強さも持っている、そういう相反する美しさを持っている2人を表現したい」というところで、提供する作品についても、リリース時の歌だけに注目せず、歌手として歌い続けて、「10年経ったらどんな歌になるのか楽しみ」という目で見ているのが印象に残りました。

スワンソング」(swan song)は、「白鳥は生涯鳴かないが、死ぬ間際に美しい歌を歌う」というヨーロッパの伝承があって、転じて、人生最後に披露する舞台や演奏や戦い、あるいは人生の最後に事を成し遂げることを意味しています。松本さんは、ロシアのバレリーナであったアンナ・パヴロワがバレエで踊った「瀕死の白鳥」の演技を思い出し、全身で表現された死にゆく白鳥の美しさを歌詞に込めたそうです。当時の光一さんと剛さんは30才になり、ご本人たちも「アイドルという気持ちは既になかった」そうですが、30代としての新たなステージを進む思いはあったと思います。松本さんは「スワンソング」で「もっとも美しいものをやってみたかった」と語られていましたが、それは、青春の壊れやすさも、別れても生きていく強さも、美しく表現できるテーマだったのかなと思います。

スワンソング」の歌詞の世界は、遠距離恋愛が続けられなくなった2人が別れることを決めて、彼女は手を振ってくれたけど、ぼくは青空に目を伏せて船に乗り込むシチュエーションです。2番の歌詞にある「聞いて私たち 生きてる重みは 自分で背負うの 手伝いはいらない」は、前を見据えての決意だと思いますし、1番のサビにある「桟橋の端に立ち 手を振っていたけど 潮騒の中 無声映画のように ひざを折って泣いた」のは、やっぱり別れるのは辛かった気持ちが上手く表現されているなあと、カラオケで画面を見て歌っていては、常にひっかかるこの2箇所です。それにしてもこの「スワンソング」の歌に出てくる町って、松本さんが現在住まわれている神戸の町を連想してしまいます。


KinKi Kidsスワンソング

若き獅子たち

最近ぼくが気になっているアーティストの林部智史さん。林部さんが歌っている動画を見ていて、いいなと思った1曲が西城秀樹さんの「若き獅子たち」という曲でした。

この作品は1976年9月5日に西城さんの18枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿久悠さん、作曲は三木たかしさんです。当時の西城さんは、阿久さんと三木さんのコンビによるシングルを相次いで発表していました。1976年2月25日に発売された16枚目のシングル「君よ抱かれて熱くなれ」から、1977年9月5日に発売された22枚目のシングル「ボタンを外せ」までの7作品になります。

これらの作品は、西城さんのヒット曲の中では、今ひとつ印象が薄かったです。「ブーメラン・ストリート」だけは印象が強かったですけど、阿久さんと三木さんが作られたというのが意外な感じでした。当時の阿久さんは1976年に都はるみさんの「北の宿から」を、1977年に沢田研二さんの「勝手にしやがれ」を提供し、2年連続で日本レコード大賞受賞曲となりました。三木さんも1977年に石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」を提供し、日本レコード大賞中山晋平賞を受賞していますし、2人とも他のアーティストの印象が強いです。

若き獅子たち」はサビの部分だけ聴いたことがあって、西城さんが壮大なスケールでシャウトして歌っていたというのが、子供の頃に見た印象でした。

いま改めて、「若き獅子たち」を見ていて気づいたのは、西城さんは本来音程とかリズムを厳しく管理して歌っていたということ。それと、常にシャウトしていたわけではなく、Aメロ、Bメロからサビに進んでいく中で、相当歌い方を練った上で、サビの盛り上がりであのシャウトする歌唱に繋げていったということ。

阿久さんは、そういう西城さんの歌唱力の高さの根本には、歌の理解力と構成力が優れていると見ていたそうです。当時の歌番組が歌をフルコーラスで歌わせず、1コーラス程度でカットするという不満を話したときに、「だったらカットできない曲を作ればいいじゃない」と言われ、「だったら(三木)たかしに頼もう」と思い、西城さんの「ジャガー」ができたそうです。


西城秀樹 若き獅子たち

さて、西城さんを偲ぶ歌番組で、林部智史さんがベイビー・ブーと一緒に、「若き獅子たち」を歌いました。西城さんの歌い方とは違いますけど、林部さんのまっすぐな歌い方にも好感を持ちました。そして、たぶんリアルで聴いたことがない世代の林部さんが、この作品を理解した上で歌っているのが感じられたのもさらに好感が持てました。

カラオケで歌う曲には、何となくその曲のイメージを持ってしまっていて、そこから歌いに入ってしまいますけど、いったんそういうイメージを取っ払って、原曲を見つめてから歌ってみたら、自分の歌もまた違った歌になるのかもと思いました。


若き獅子たち 林部智史&ベイビー・ブ-

ジェネステ2018 DAY-2 東京第一会場大会

2月2日、ぼくはジェネステ(NEW GENERATION LIVE STAGE)というカラオケ大会のDAY-2(地方予選)東京第一会場大会に行って、歌ってきました。

ジェネステはまずDAY-1(音源審査)がありますので、自分の歌をCDに録音して送りました。現役のシンガーの方やボーカルトレーナーの方など6名の審査員の方が審査をしてくださり、詳細な寸評を返していただきました。

どの曲を選ぶかというのが第一の関門ですが、日頃のDAM★ともで、素点が95点以上取れている曲の中から、点数が伸びてきていた、林部智史さんの「恋衣」という曲を選びました。ぼくはもともと高い音が出ないこともあって、最高音はファルセットを使いますので、どうしてもファルセットから地声への切り換えが必要なんですが、そこがうまくいったりうまくいかなかったりという繰り返しでした。安定して高得点が取れている他の曲で安全パイを取る方法もあったんですが、プロの方の寸評が戴けるのはありがたいと思い、DAY-1を通過しなくても構わないと思い、この作品でエントリーしました。

エントリーから3週間後に審査結果が届き、音源審査を通過して、DAY-2に進むことができました。ファルセットと地声への切り替えについては失点の指摘を頂きましたが、それ以外の箇所についてはお褒めの言葉を頂けたので、「それならDAY-2でも無事に歌えるかも」と思い、DAY-2も同じ曲でエントリーしました。

その後はビッグエコーに行っても、時間の半分以上は「恋衣」を歌って、失点部分についての改善方法のコメントを受けて、ファルセットの練習とか地声への切り替えの練習をしてました。この歌い方ならいいかもしれないと光明が見えたのが本番2日前の1月31日でした。

東京第一会場は歌舞伎町にある「新宿Motion」というライブハウスでした。ジェネステはDAY-1の審査基準や、事務局のツイートなどを見て、初心者からすごく上手い方までを幅広に集めるのかなと思っていましたが、本番前日に発表された歌唱者と歌唱順の表を見たら、上手い方のお名前があちこちにあり、「出るんじゃなかった…」という思いがしました。そして、本番当日の皆さんの歌を聴いていて、「ここには上手い人しかいないんだ」ということを実感しました。いつもそうなんですけど、ぼくには他の上手い方の歌を真似ることはできないので、結局はぼくの歌をお届けするしかないというところに行き着きます。ただ、上手い方の歌やステージングを生で見るのは学ぶことが多いですし、細かい仕草も含めて、自分の歌に生かしていけると思うことがいくつもありました。

過去のジェネステの大会映像をYouTubeで見ていて、会場のノリが悪いというか、雰囲気が冷たそうな大会なのかなと心配していましたが、今回はその逆でいい雰囲気でした。ジェネステの事務局である社長さんや司会の方やスタッフの方が、温かい空気感を作ってくださったこともあり、イベントとして楽しめましたし、会場も終盤にかけて盛り上がっていったと思います。

休憩の時間を使って「採点チャレンジ」というコーナーがあり、カラオケの高得点を競い、全国1位となった方はDAY-3に進めるという特典もあるんですが、むしろ真の特典は、本番以外にもう1曲ステージで歌うことができることにあるのだと思います。ぼくは最初は「採点チャレンジ」に出るつもりはなかったんですけど、せっかくのチャンスであることに気づいたので、本番で「恋衣」を歌った後に申し込みました。そのときに、ジェネステの社長さんに「素敵な歌唱でしたね」とお声かけを頂けたのが嬉しかったです。ぼくもいつもは一人カラオケですから、人に自分の歌を褒められるということがないので、褒められることには慣れてないんです…。その後、「採点チャレンジ」では竹島宏さんの「月枕」を歌って、95点は超えたのでほっとしましたが、司会の方が歌いやすいようにMCで2,3の会話をして頂けたのも歌う気持ちが楽になって良かったです。

出場された皆さんが僅差なのだと思いますが、3位から7位までは決めるまでに審査員の間で議論があったそうでした。ぼくもカラオケ大会が今回で4回目となり、緊張することはなくなりましたけど、もっと歌が上手くなりたい、もっとステージングを工夫したいという思いは一層強くなりました。入賞にはまだ届かないレベルなんですけど、会場を出た後から初めて「悔しい」という思いがじわじわとこみあげてきました。他の出場者の上手い方のツイートでも「悔しい」という言葉がありました。

何十回も歌えば、歌は上手くなると思います。今回の「恋衣」も、初めて歌ったときは88点でしたけど、今は99点も取れるようになりました。だから、できないことはないと思っています。この後、ジェネステから寸評が頂けるということですので、失点箇所の改善をしたいと思います。そして、いつかは入賞したいですね。

だってしょうがないじゃない

年末から風邪をひいてしまって、喉は痛くないんですが、咳がひどい状況が続き、1月の終わりを迎えてしまいました。こういう体調の時は、カラオケで歌っていても、微妙なところが上手くいきません。声を張り上げすぎて歌うと、その音程や音量を維持できなくて、声が裏返ってしまったり、ひどいと咳が出て歌えなくなったりとかしました。

何となく、力んで声を張って歌ってしまっている習慣を振り返りつつ、逆にもっと喉を楽にして、つぶやくように、語るように歌うことがてきる曲もあるだろうと思いました。そんな時に思い出した1曲が、和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」という曲でした。

この作品は1988年4月25日に和田さんの47枚目のシングルとして発売されました。作詞は川村真澄さん、作曲は馬飼野康二さん、編曲は矢島賢さんです。川村さんというと、久保田利伸さんの初期の作品である「Cry On Your Smile」や「You were mine」、渡辺美里さんの「My Revolution」への印象があったので、この作品での提供は意外でした。馬飼野さんは和田さんへの作品提供は多いんですが、有名な作品では、作曲では「古い日記」、編曲では「コーラスガール」や「今あなたに歌いたい」です。

矢島さんのお名前は初めて見たんですが、どういう方か調べてみたら、セッションギタリストとしての名声を高めた方で、長渕剛さんが「ソロギタリストで唯一頭が上がらない人物」と公言するほどだったようです。また、日本の数あるヒット曲のサウンドをまさに支えてきたともいえ、あの曲も、この曲も、矢島さんのギター演奏によるものです。山口百恵さんの「プレイバックPART2」、沢田研二さんの「憎みきれないろくでなし」、近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」、中森明菜さんの「少女A」、「十戒1984)」、「サザン・ウインド」、長渕剛さんの「とんぼ」、布施明さんの「シクラメンのかほり」、野口五郎さんの「私鉄沿線」、「グッド・ラック」…。

さて、和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」は、作家の皆さんの上に挙げた他の作品とはイメージが異なる、都会の大人のポップスに仕上がっていて、ぼくはイントロのアレンジを聴くと、都会の雑踏とか交差点とかを想像しました。当時の渋谷駅前のスクランブル交差点とか。ただ、この作品の歌詞には関西弁が入ってます。「何度ほれてみたって 恋だけはアホやね」とか、「ずっとこのままなんて あかんと思うでしょ」とか。それなら心斎橋あたりか本町なのかも。

和田さんのイメージというと、「あの鐘を鳴らすのはあなた」みたいな、パワフルに歌い上げるイメージが多いと思いますけど、バラードではない和田さんの作品にも隠れた魅力があると思います。この作品は押し付けがましくなくて、言葉とサウンドがすっと心の中に入っていく感じがしたので、ぼくはこの作品がヒットする前から何となくカラオケで歌うことがありました。ぼくと年代も違うし、女性の歌なんですけど、周りの人からは「いい曲だね」という印象だったようです。

この作品はオリコンでは最高25位ですが、1988年から1989年にかけてのロングヒットとなり、100位以内に52週登場するロングセラーとなりました。NHK紅白歌合戦でも、和田さんは1988年・1989年と2年連続でこの作品を歌唱しています。こういう路線の作品を歌い続けていたら、越路吹雪さんの後継者となっていたかもと思います。


だってしょうがないじゃない・和田アキ子ベストコレクションlyrics VideoCrip

東京流れもの

懐メロ番組を見ていると、昭和の歌手は今の歌手と歌い方が違っていて、それぞれの歌手が個性的であると感じます。

歌手になるきっかけも、昭和初期は藤山一郎さんや淡谷のり子さんのように音楽学校を卒業してから歌手になった方が多く、こういう方はクラシックの素養がありますので、スタンドマイクから離れていても、歌詞も明瞭で、朗朗とまっすぐ通る発声で歌っています。

戦後になると、笠置シヅ子さんや倍賞千恵子さんのように松竹歌劇団に入ってから歌手になった方は、歌って踊れる歌手のさきがけとして、踊っていても声も乱れず、パワフルな歌声で歌っています。

その後、昭和30年代以降になると、米軍キャンプ、ジャズ喫茶、キャバレーで歌っていて歌手になった方が多くなりました。

先週19日放送のテレビ東京系「出没!アド街ック天国」で「赤坂」を特集していたなかで、プロレスラー力道山さんの話が出た中で思い出した1曲が、竹越ひろ子さんの「東京流れもの」という曲でした。

この作品は1965年に発売されました。「東京流れもの」の原曲は伝承歌であったため、作曲者は不詳であり、桜田誠一さんが採譜をした上で、永井ひろしさんが作詞をしました。

また、1966年には鈴木清順監督の映画「東京流れ者」が公開されましたが、この映画に主演した渡哲也さんも、竹越さんとの競作で「東京流れ者」を歌いましたが、テイチク盤では作詞が高月ことばさん、クラウンレコード盤では作詞が川内和子さんで作られています。

竹越さんの歌声を懐メロ番組で見ましたが、男勝りのドスのきいたパワフルな歌声が強烈でした。発売当時はもっとパワフルだったんだろうなと思いました。

竹越さんにとっての恩人は力道山さんと三橋美智也さんだそうです。竹越さんがクラブでジャズを歌っていたところ、たまたまそのお店に来ていた力道山さんにスカウトされて、彼が経営していたナイトクラブ「クラブ・リキ」の専属シンガーになったそうです。(力道山さんはプロレスラーだけではなく実業家としても成功し、赤坂に「クラブ・リキ」や、当時としては豪華な仕様の「リキ・マンション」を経営していました。先週の「アド街」を見たら、「リキ・マンション」は今もありました。)

また、竹越さんがビクターレコードでデビュー後、キングレコードに移籍し、歌手の三橋美智也さんに民謡の節回しを一から教わりました。(三橋さんは民謡で鍛えた声で歌手になり、その後に「民謡三橋流」を創設しました。細川たかしさんは「三橋流」の弟子として有名です。)これがきっかけでジャズから歌謡曲に転向するきっかけを作ってくれたそうです。

歌が個性的になるには、いろいろな素養が必要なんですね。


東京流れもの 竹越ひろ子さんの歌唱です。

花が咲く日は

1月6日から1月20日まで、東京の明治座で「由紀さおり50周年記念公演」が上演されています。第一部はお芝居で、第二部は歌、という構成ですが、ぼくが目を引いたのは、第二部の「日替りゲスト」で、6日~8日が林部智史さん、9日~14日がパク・ジュニョンさん、川上大輔さん、中澤卓也さんの3人、15日~17日が松原健之さん、18日~20日中川晃教さんというラインナップです。因みに、由紀さんは「誰と歌いたいか」と聞かれて、「最初は林部くんがいい」と言われたそうです。そして、ジャンルも異なるこの6人を選んだ由紀さんの着眼点が鋭いなあと思いました。歌唱力の高い歌手、個性の強い歌手、ポピュラーやポップスが歌える歌手を選んだのだろうと思います。ぼくはカラオケで、林部さん、中澤さん、松原さんの曲を歌っていることもあり、親しみがありましたので、「由紀さん、いいセレクトしてる」と思いながら、Twitterにもそんなことをつぶやきました。若手の歌手にとっては、大先輩の歌手の公演で共演する貴重な活躍の場を与えられますし、今後の活動にもいい影響を与えるだろうと思います。また、公演の興業としては、彼らのファンが明治座に来て、由紀さんの歌を聴く機会にもなりますので、関係者にとってはお互いに良い相乗効果があると思いました。

さて、「日替りゲスト」ではなく、この公演に毎日出演しているのが、ボーカルグループのベイビー・ブーです。ぼくも彼らがBSの歌番組で歌っているのを見るようになったのがこの数年ですが、2002年にメジャーデビューしていますので、今年18年目を迎えます。彼らがメジャーデビューして初期の頃、NHKの「ポップジャム」に出ている動画を見て、当時見たことがあったかもと思いましたが、同じグループとは気づきませんでした。

彼らは2011年から新宿の「うたごえ喫茶ともしび」に出演するようになり、2013年から「うたごえ喫茶アルバム」を何枚も発売しています。最近は「歌声喫茶発信のボーカルグループ」として紹介されています。

歌声喫茶」はぼくも行ったことがありませんが、お客さんが全員で合唱することを想定している喫茶店で、1950年代~1960年代にはブームとなり店舗数も多かったそうです。1970年代には「カラオケスナック」が登場し、1980年代には「カラオケボックス」が登場したことにより、店舗数は激減したものの、今でも「歌声喫茶」は全国に多くあるそうです。

新宿の「ともしび」はその代表格の店舗ですが、その「ともしび」でのリクエストランキングで毎月1位となっているのが、ベイビー・ブーの「花が咲く日は」という曲です。この作品は2017年11月22日に発売された彼らのシングル「ごめんね…ありがとう」のカップリング曲となっています。2曲とも作詞は松井五郎さん、作曲は都志見隆さんです。このコンビは、竹島宏さんの「月枕」や「恋町カウンター」のコンビでもありますが、ぼくのブログでの松井先生の登場率が多くなってます。毎月1位になるというのは、ベイビー・ブーが営業でお店に来てくれているからではなくて、「花が咲く日は」の歌詞やメロディに「歌ってみたい何かがある」ということだと思うんです。由紀さんの公演でも活躍をされていますし、もっと多くの皆さんに彼らの歌声が広まっていく1年になればいいと思います。

DAM★ともでも、「花が咲く日は」は歌うことができます。


ベイビー・ブー / 花が咲く日は(リリックムービー・Short Ver.)

おまけ。若き日のベイビー・ブーをNHKの「ポップジャム」で発見。当時は6人だったんですね。ぼくもこれは見た覚えがあります。


ポップジャム Baby Boo 出演 「loveknot」2002.5.18