DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

東京流れもの

懐メロ番組を見ていると、昭和の歌手は今の歌手と歌い方が違っていて、それぞれの歌手が個性的であると感じます。

歌手になるきっかけも、昭和初期は藤山一郎さんや淡谷のり子さんのように音楽学校を卒業してから歌手になった方が多く、こういう方はクラシックの素養がありますので、スタンドマイクから離れていても、歌詞も明瞭で、朗朗とまっすぐ通る発声で歌っています。

戦後になると、笠置シヅ子さんや倍賞千恵子さんのように松竹歌劇団に入ってから歌手になった方は、歌って踊れる歌手のさきがけとして、踊っていても声も乱れず、パワフルな歌声で歌っています。

その後、昭和30年代以降になると、米軍キャンプ、ジャズ喫茶、キャバレーで歌っていて歌手になった方が多くなりました。

先週19日放送のテレビ東京系「出没!アド街ック天国」で「赤坂」を特集していたなかで、プロレスラー力道山さんの話が出た中で思い出した1曲が、竹越ひろ子さんの「東京流れもの」という曲でした。

この作品は1965年に発売されました。「東京流れもの」の原曲は伝承歌であったため、作曲者は不詳であり、桜田誠一さんが採譜をした上で、永井ひろしさんが作詞をしました。

また、1966年には鈴木清順監督の映画「東京流れ者」が公開されましたが、この映画に主演した渡哲也さんも、竹越さんとの競作で「東京流れ者」を歌いましたが、テイチク盤では作詞が高月ことばさん、クラウンレコード盤では作詞が川内和子さんで作られています。

竹越さんの歌声を懐メロ番組で見ましたが、男勝りのドスのきいたパワフルな歌声が強烈でした。発売当時はもっとパワフルだったんだろうなと思いました。

竹越さんにとっての恩人は力道山さんと三橋美智也さんだそうです。竹越さんがクラブでジャズを歌っていたところ、たまたまそのお店に来ていた力道山さんにスカウトされて、彼が経営していたナイトクラブ「クラブ・リキ」の専属シンガーになったそうです。(力道山さんはプロレスラーだけではなく実業家としても成功し、赤坂に「クラブ・リキ」や、当時としては豪華な仕様の「リキ・マンション」を経営していました。先週の「アド街」を見たら、「リキ・マンション」は今もありました。)

また、竹越さんがビクターレコードでデビュー後、キングレコードに移籍し、歌手の三橋美智也さんに民謡の節回しを一から教わりました。(三橋さんは民謡で鍛えた声で歌手になり、その後に「民謡三橋流」を創設しました。細川たかしさんは「三橋流」の弟子として有名です。)これがきっかけでジャズから歌謡曲に転向するきっかけを作ってくれたそうです。

歌が個性的になるには、いろいろな素養が必要なんですね。


東京流れもの 竹越ひろ子さんの歌唱です。

花が咲く日は

1月6日から1月20日まで、東京の明治座で「由紀さおり50周年記念公演」が上演されています。第一部はお芝居で、第二部は歌、という構成ですが、ぼくが目を引いたのは、第二部の「日替りゲスト」で、6日~8日が林部智史さん、9日~14日がパク・ジュニョンさん、川上大輔さん、中澤卓也さんの3人、15日~17日が松原健之さん、18日~20日中川晃教さんというラインナップです。因みに、由紀さんは「誰と歌いたいか」と聞かれて、「最初は林部くんがいい」と言われたそうです。そして、ジャンルも異なるこの6人を選んだ由紀さんの着眼点が鋭いなあと思いました。歌唱力の高い歌手、個性の強い歌手、ポピュラーやポップスが歌える歌手を選んだのだろうと思います。ぼくはカラオケで、林部さん、中澤さん、松原さんの曲を歌っていることもあり、親しみがありましたので、「由紀さん、いいセレクトしてる」と思いながら、Twitterにもそんなことをつぶやきました。若手の歌手にとっては、大先輩の歌手の公演で共演する貴重な活躍の場を与えられますし、今後の活動にもいい影響を与えるだろうと思います。また、公演の興業としては、彼らのファンが明治座に来て、由紀さんの歌を聴く機会にもなりますので、関係者にとってはお互いに良い相乗効果があると思いました。

さて、「日替りゲスト」ではなく、この公演に毎日出演しているのが、ボーカルグループのベイビー・ブーです。ぼくも彼らがBSの歌番組で歌っているのを見るようになったのがこの数年ですが、2002年にメジャーデビューしていますので、今年18年目を迎えます。彼らがメジャーデビューして初期の頃、NHKの「ポップジャム」に出ている動画を見て、当時見たことがあったかもと思いましたが、同じグループとは気づきませんでした。

彼らは2011年から新宿の「うたごえ喫茶ともしび」に出演するようになり、2013年から「うたごえ喫茶アルバム」を何枚も発売しています。最近は「歌声喫茶発信のボーカルグループ」として紹介されています。

歌声喫茶」はぼくも行ったことがありませんが、お客さんが全員で合唱することを想定している喫茶店で、1950年代~1960年代にはブームとなり店舗数も多かったそうです。1970年代には「カラオケスナック」が登場し、1980年代には「カラオケボックス」が登場したことにより、店舗数は激減したものの、今でも「歌声喫茶」は全国に多くあるそうです。

新宿の「ともしび」はその代表格の店舗ですが、その「ともしび」でのリクエストランキングで毎月1位となっているのが、ベイビー・ブーの「花が咲く日は」という曲です。この作品は2017年11月22日に発売された彼らのシングル「ごめんね…ありがとう」のカップリング曲となっています。2曲とも作詞は松井五郎さん、作曲は都志見隆さんです。このコンビは、竹島宏さんの「月枕」や「恋町カウンター」のコンビでもありますが、ぼくのブログでの松井先生の登場率が多くなってます。毎月1位になるというのは、ベイビー・ブーが営業でお店に来てくれているからではなくて、「花が咲く日は」の歌詞やメロディに「歌ってみたい何かがある」ということだと思うんです。由紀さんの公演でも活躍をされていますし、もっと多くの皆さんに彼らの歌声が広まっていく1年になればいいと思います。

DAM★ともでも、「花が咲く日は」は歌うことができます。


ベイビー・ブー / 花が咲く日は(リリックムービー・Short Ver.)

おまけ。若き日のベイビー・ブーをNHKの「ポップジャム」で発見。当時は6人だったんですね。ぼくもこれは見た覚えがあります。


ポップジャム Baby Boo 出演 「loveknot」2002.5.18

ビューティフル・サンデー

NHK教育テレビEテレ)で放送されている「おかあさんといっしょ」は子供向けの教育・音楽番組ですが、1959年10月5日の番組放送開始以来、今年で何と60年を迎える「超長寿番組」です。24分という放送時間の中では、たいそうのおにいさん・たいそうのおねえさんがメインの時間もありますが、うたのおにいさん・うたのおねえさんが何曲も歌います。毎回の番組のエンディングでは「べるがなる」を歌います。花田ゆういちろうおにいさんも小野あつこおねえさんも、きっと調子が悪い時もあると思いますけど、同じ歌をいつも笑顔で子供たちに接しながら、立ち位置も考えて歌うのって、結構大変だなあと思いながら、ぼくは週末に見ています。

うたのおにいさんが「おかいつ」に登場したのは1971年11月3日の放送からで、初代のうたのおにいさんになったのが田中星児さんでした。田中さんは1968年の「NHKのど自慢全国大会」(ポピュラーの部)で優勝するなど、歌の大会での優勝や入賞の実績があり、1971年にはNHKの音楽番組「ステージ101」で「ヤング101」のメンバーとしてレギュラーを務めました。「ヤング101」の出身者としては、上條恒彦さん、太田裕美さん、谷山浩子さんもいらっしゃいました。田中さんは「ステージ101」と並行して、「おかいつ」のうたのおにいさんも務めることになりました。

今は「おかいつ」のレギュラーになると、他の番組への出演はおそらく禁止だと思いますが、田中さんは当時色々な番組でも歌っていたようです。1975年9月~1976年9月にTBS系で放送された情報番組「おはよう720」に田中さんも出演していましたが、この番組のテーマ曲に起用されたのが、イギリスのシンガーソングライターであるダニエル・ブーン(Daniel Boone)の「ビューティフル・サンデー(Beautiful Sunday)」でした。この作品は1972年に発売されるとロング・ヒットを続け、全世界での売上が100万枚を超える大ヒットとなりました。日本では1975年の「おはよう720」のテーマ曲起用をきっかけに爆発的な大ヒットとなり、1976年はオリコンの週間シングルランキングで15週にわたり1位を獲得し、年間ランキングでも2位となりました。日本での累計売上は200万枚で歴代28位、外国人アーティストでは今も歴代1位となっています。

さて、田中さんも自身のシングルのB面に「ビューティフル・サンデー」をカバーして発売すると、こちらもオリコンで最高4位となる大ヒットとなり、1976年のNHK紅白歌合戦に初出場しました。また、1997年の「第49回選抜高校野球」の入場行進曲にも選ばれました。

田中さんはA面で収録した「オー・マリヤーナ」という曲に思い入れがあったため、スタッフの勧めで歌った「ビューティフル・サンデー」はあまり好きではなかったそうです。ただ、この曲を歌っていると、お客さんが笑顔になり元気になっていく姿を見てからは、好きになっていったそうです。

田中さんの歌声は第一声の「さわ~や~かなにちよう~」から本当に爽やかですし、ダニエル・ブーン盤よりもポップスの王道的なサウンドになっていると思います。ぼくは年末にYouTubeで久しぶりに「ビューティフル・サンデー」を聴いて、この作品の変わらない新鮮さを改めて感じました。

こちらは、ダニエル・ブーン盤。


DANIEL BOONE - Beautiful sundag.flv

こちらは、大ヒット当時の田中星児さん。


ビューティフル・サンデー 田中星児 (1976)

そして、近年も変わらぬ歌声の田中星児さん。


ビューティフル・サンデー 田中星児

新しい時代になっても歌い続けて欲しい1曲です。

なみだの操

昨年12月31日にテレビ東京系で放送された「第51回年忘れにっぽんの歌」では、懐かしい歌手の久しぶりの曲と変わらぬ歌声に満足しました。殿さまキングスとして活躍した宮路オサムさんが歌われた「なみだの操」もそんな1曲でした。

「なみだの操」は1973年11月5日に殿さまキングスの4枚目のシングルとして発売されました。作詞は千家和也さん、作曲は彩木雅夫さんです。千家さんはこの当時は、山口百恵さんのシングルをデビュー作の「としごろ」から12枚目の「愛に走って」まで連続で提供している頃ですが、ほぼ同時期に殿さまキングスの「夫婦鏡」「恋は紅いバラ」などのヒット作品を、彩木さんとコンビを組んで提供しています。

「なみだの操」はじわじわと売れるようになり、発売後4ヵ月後にチャートの1位を取り、1974年のオリコン年間シングル1位となりました。累計売上は250万枚でオリコン歴代25位のミリオンセラーです。この作品の魅力というか、飽きさせない力は、やはり宮路さんの何とも胡散臭い、癖のあるボーカル力と、そのボーカルを引き立てる他の3人のコーラス、歌詞のどぎつさと作曲・編曲の泥臭さが見事に融合しているところにあると思います。

人気アニメ「ちびまる子ちゃん」のシーンは、作者のさくらももこさんが静岡県で過ごした1974年から1975年の「小学3年生」の頃を投影していますが、まるこが時折愛唱していた1曲が「なみだの操」だったんですね。


小丸子唱日本歌 なみだの操 翻唱 愛苗

お父さんが歌う「なみだの操」を聴いて、まるこは「だめだめ、もっとにやにやしなきゃ」とダメだしをして歌うんですが、これがなかなかいい歌になっているんです。子供は、歌詞の大人な内容はわからなくても、「何か面白そうに歌ってるなあ」というのは直感的にわかっていたということだと思います。子供にもこの作品が受けたからこそ、1974年のレコード大賞での大衆賞受賞につながったのだと思います。

「なみだの操」にまつわるいくつかの記事を読んで知りましたが、宮路さんの本来の歌い方はああいう歌い方ではないそうです。殿さまキングスを売り出すきっかけというのは、音曲漫才出身のぴんから兄弟日本コロムビアから出した「女のみち」を大ヒットさせたことでした。これに対抗馬としてビクターが殿さまキングスを担ぎ出しましたが、彼らはコミックバンドの出身で、洋楽志向が強かったわけで、宮路さんも演歌というよりは、ロックやフォークが好きでしたが、「こぶしが回せる」ことが引き合いになって、あくまでもぴんから兄弟への対抗でできたのが、ド演歌の「なみだの操」だったわけです。

今から見ると、何て癖が強くて、何て下品な…と思ってしまうような歌唱も、作品の魅力を引き出すための、実は練りに練った真面目な歌唱だということがわかりました。

ぼくがカラオケで歌うときはとかく綺麗にまとめてしまおうとしまいますが、そういう素人の歌とは対極にあるのがプロの芸なんですね。


なみだの操~殿さまキングス

さらせ冬の嵐

「第60回輝く!日本レコード大賞」の作詩賞を、作詞家の松井五郎さんが受賞されました。受賞作品として、竹島宏さんの「恋町カウンター」と、山内惠介さんの「さらせ冬の嵐」の2曲が紹介されました。

松井さんの竹島さんへの作詞提供は、2017年の「月枕」や2018年の「恋町カウンター」で、いずれも作曲は都志見隆さんとのコンビによる作品です。また、山内さんへの作品提供は、2011年の「冬枯れのヴィオラ」、2012年の「涙くれないか」、2018年の「さらせ冬の嵐」で、いずれも作曲は師匠である水森英夫さんとのコンビによる作品です。竹島さんと山内さんは作品のイメージも違いますけど、次代を担う好対照な2人の作品を継続的に提供したことも評価されたのではないかと思います。カラオケでも歌っている作品の先生が受賞というのは、ぼくとは全く関係ありませんが嬉しかったです。

松井さんの情報発信Official Twitterである「Goro Matsui Works」を拝見したところ、

レコード大賞終了
山内惠介くんと
竹島宏くんには
改めて感謝
記憶に残るようにと
日々筆を走らせていますが
記録にも残ることも
意味がある
なによりこうして
歌が流れる
観てくれていた皆さん
ありがとう

とのツイート。作詞家の方って、Twitterでの書き方や改行も一味違うものだなあ、詩人だなあと感心しました。

さて、レコード大賞では山内さんが「さらせ冬の嵐」を歌唱されました。歌唱した時が優秀作品賞も最後の大詰めを迎えたところだったこともあったのか、この時の山内さんの表情がいつもと違って、いつも以上に凛としていて、気合が入って歌われたように感じました。


山内惠介「さらせ冬の嵐」ミュージックビデオ(short ver.)

そんな山内さんを見て、今年の初カラオケに行ってきました。年末から風邪をひいてしまって、咳が抜けないんですけど、風邪薬を飲んでも今ひとつなので「歌ったほうが、風邪も治るかな?」という感じで、「さらせ冬の嵐」にも挑戦してみました。リズムを取るのが微妙なところで難しかったです。やっぱり風邪をひいていると、歌の高音に力が入らないです。DAM★ともには公開の申請を出しましたけど、最後のサビがヘロヘロになってしまったので、本調子の時にもう一回歌ってみたいと思います。

あずさ2号

この年末は久しぶりに「日本レコード大賞」をじっくりと見ました。優秀作品賞に選ばれたDA PUMPの「U.S.A.」の大賞受賞にも期待していました。司会者からコメントを求められて、KENZOさんが涙ながらに語った感謝の言葉は、ぼくも感動しました。
「本当に「U.S.A.」という楽曲で、僕たち夢みたいな時間をすごさせてもらえました。7人でずっとやってきてこのステージで皆さんに感謝を届けたいし、21年間ずっと歌ってきたISSAさんと一緒に感謝を届けたいです。」
KENZOさんはこの直後のTwitterでトレンド入りしてましたが、今の日本の音楽シーンにに足りないものは、こういう心からの熱情のある表現を視聴者に伝えることなんじゃないかって思いました。熱気って必要だと思うんですよね。

それから、最優秀歌唱賞を受賞したMISIAさん。あんなに素晴らしい歌唱力を誇る彼女が言った「デビューして20年、やっと今、私は歌手になれたと思います」という言葉もなかなか重かったです。「日本レコード大賞」の会場で生で初めて歌ったのは、彼女なりの心境の変化なのかもしれません。

そして、特別ゲストということで、「U.F.O.」~「S・O・S」~「渚のシンドバッド」~「サウスポー」の4曲メドレーを披露したピンク・レディー。60歳超えとは全く思えない、ミーちゃんとケイちゃんのダンスと歌唱の維持力には敬意を表します。ご本人たちもこの年まで歌い踊るとは全く想像もしてなかったと思います。

12月31日はテレビ東京系で放送された「第51回年忘れにっぽんの歌」をフルで見ました。実際は12月上旬に中野サンプラザで2日に亘って公開収録したものですが、長年大衆に愛された名曲と往年の歌手の維持された歌唱力で、十分に大晦日感を堪能できる内容でした。視聴率は8.1%と前年同様の健闘でしたが、テレビ東京は地方系列局が少ないので、この番組を見ることができない全国の視聴者の方も多いという前提があっての数字です。テレビ東京も、出演歌手についてはセレクトしていたので、声量の衰えた歌手や無名の歌手は出演させてないように感じました。「紅白歌合戦」と対峙する覚悟を決めてきた感じがします。そういうラインナップの中で司会もされていた北島三郎さんの歌声が、随分と衰えたように聴こえたのが際立って感じられました。

紅白歌合戦」は見る気がしませんでしたので、今年も見ませんでした。

さて、「第51回年忘れにっぽんの歌」を見ていた中で、素晴らしいステージを見せてくれたのが、「あずさ2号」を歌った狩人のお2人でした。

この作品は1977年3月25日に狩人のデビューシングルとして発売されました。作詞は竜真知子さん、作曲・編曲は都倉俊一さんです。都倉さんが司会を務めていたNHKの「レッツゴーヤング」に、狩人は「サンデーズ」のメンバーとなったこともあり、「あずさ2号」はオリコンの年間シングルで第15位となる大ヒットとなり、この年のNHK紅白歌合戦にも初出場しました。

ぼくたちがカラオケで歌うときにも、「あずさ2号」は年上の世代の方も若い世代の方も知っているし、2人で歌ってハモりやすいし、歌うと割に盛り上がるんですよね。
昭和の名曲として、いつまでも歌い継がれる1曲だと思います。

「平成最後の」というフレーズが聴かれる割には、年末年始の歌番組には平成の要素が足りなかったと思いました。「年忘れにっぽんの歌」は、平成のヒット曲は若干でした。「紅白歌合戦」は、ぼくは今年のヒット曲をベースにしつつ、今年のヒット曲がない歌手は往年のヒット曲を歌えばいい、「平成最後の」というなら平成のヒット曲を歌えばいいと思ったのに、今年ヒット曲がある歌手になぜか数年前のヒット曲を歌わせて、紅白バージョンというまやかしでお茶を濁していては、歌と時代がクロスしないと思うんですね。平成の時代を代表したアーティストは、SMAP安室奈美恵さんであったと思いますが、もう彼らのパフォーマンスを生で見ることはできません。そうであるなら、過去の映像を流す工夫はあってもよかったのではないかと思います。平成のヒット曲や歌手を懐メロ番組に登場させることが、平成の歌を残していく方法であろうと思います。


あずさ2号/狩人

ORPHEUSカラオケコンテスト

ぼくも2008年12月にDAM★ともを始めてから10年が経ちました。一人カラオケで、カラオケの部屋の中でだけずっと歌ってきたぼくにとって、今年は初めてカラオケ大会に出て人前で歌うようになった、大きな変化の1年になりました。

DAM★ともの録音でエントリーができるので試しに応募してみたら、音源審査を通過してしまい、初めてカラオケ大会で歌うことになったのは、6月の「東京カラオケまつり新宿大会」でした。出場者の皆さんが歌が上手い人ばかりだったので、急に緊張してしまったことを今でも思い出します。でも自分の番になって、角筈区民ホールのステージで歌ってみたら、マイクの性能がいいのかいつもよりなぜか声も出てるし、スポットライトも浴びながら、緊張はしましたけどすごく気持ち良かったです。

それで、他のカラオケ大会も出てみようとインターネットで探していたら、「日本カラオケボックス大賞東京地区代表選考会」というカラオケ大会を見つけました。東京地区代表選考会に出場できるのは10名ということだったので、選ばれるつもりは全くなくて、自分の歌を聴いてもらいたいという気持ちだけで、DAM★ともで録音した曲をCDにプレスして応募しました。9月初めに突然「音源審査通過のお知らせ」が届いた時は驚きました。9月下旬、選考会当日の会場に行ってみたら、他の出場者はカラオケ大会の常連さんばかりでした。どうしてぼくを10名の中に選んでくれたのかなという疑問を持ちながら、カラオケ屋さんのパーティールームで、6月の時よりは緊張せずに歌えました。

その後、年内に歌えるカラオケ大会はないかなとインターネットで見つけたのが、「第1回ORPHEUSカラオケコンテスト」でした。12月26日の夕方~夜の開催なら、仕事が終わった後に行くことができる!音源審査もないので、エントリーすれば歌える!会場は小岩のライブシアターオルフェウス。ライブハウスで歌ったことなど全くないので、わくわくした気持ちでエントリーしました。選曲は、6月と9月はいずれも松原健之さんの曲を歌いましたが、今回は演歌以外の曲にしようと思い、このカラオケ大会も第1回みたいだし、記念日みたいだなと考え、KinKi Kidsの「Anniversary」に決めました。

そして12月26日。「第1回ORPHEUSカラオケコンテスト」は16時開始でしたが、ぼくは仕事が終わって会場に直行し、18時頃に入りました。バースペースのモニターで歌っている出場者のステージを見ていたら、どの方も歌は上手いし、ステージングは慣れた感じで決まっているし、「また場違いな所に来てしまったか」と思いました。ライブハウスの会場に入ると、家族連れのお客さんも多くて、雰囲気はアットホームで暖かい感じでした。観客の中にはTwitterでよく見るカラオケ大会の常連の皆さんがあちこちにいらっしゃいました。すぐに自分の出番が近づいたので、バックステージに入りました。周りは若い女性や小学生の子で、ぼくみたいなおっさんが何でここにいるんだろうなと思いながら、アーティストが壁に書いた多くのサインを見ながら軽く発声練習とかしてました。自分の番になってステージに出て、司会のうみんちさんから、ぼくがお願いした自己紹介文を読んでいただいた後、KinKi Kidsさんの「Anniversary」を歌いました。人前で歌うのが3回目ということもあり、今回は緊張はしませんでした。ぼくの歌声ってお客さんはどういう風に聴こえているのかなとか考えてました。ステージングなんて何もわからないので、剛さんや光一さんの気持ちになってみて歌ってました。

今回の審査員はカラオケ大会でも優勝や入賞の実績をお持ちの平野光市郎さんでした。平野先生が重視したのは「リズムとステージング」との講評でした。「ライブハウスで棒立ちというのはありませんね」と話され、「ぼくのことだな」と思いました。優勝したのはぼくの2つ前に歌われた女性で、バックステージで聞いていても「この人歌上手いな」と思って聴いてました。

帰りに審査表を平野先生から直接受け取って、お話をすることができました。ぼくのステージネームを告げると、「素敵な歌唱でしたね。何かやられてたんですか?」と聞かれたので、「いや、あの、素人です」と答えると、「本当ですか?ライブハウス初めてって話でしたけど、初めてとは思えませんでしたよ」と言われたので、「ステージは気持ちよかったです。いつもはDAM★ともでこの名前で歌ってます」と答えると、「マイクの使い方は一番上手かったですよ」と最後に意外な一言を言われました。

審査表のコメントは「はじめてとは思えないライブハウスのステージでした。あとはステージいしょうを合わせたらとてもGoodでしたね」でした。仕事から直行なので、スーツ姿のままで歌いましたから、ライブハウスには雰囲気合わなかったですよね…。

こうして「第1回ORPHEUSカラオケコンテスト」に出ましたが、気持ちのよい大会で満足度も高かったです。事前のメールのやりとりでも、オルフェウスレコーズの高橋さんから何回も詳細な内容のご案内をいただけましたし、バックステージでもスタッフのらいをんさんがしっかりと仕切っていただけました。うみんちさんの司会も、司会は初めてとのお話でしたが、ナチュラルな進行で出場者としては良かったと思います。第2回の開催も是非お願いしたいと思います。

カラオケ大会は毎回出るたびに学ぶことがあって、自分自身の歌やパフォーマンスの改善するに当たって、他の出場者の方の歌や、歌への姿勢を見て気づかされることがいくつもありました。ぼく自身も成長していってるかも!という感触を味わっています。