DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

高校3年生

ぼくがNHK「みんなのうた」で初めて聴いて、何かいい歌だなと思ったのが、森山直太朗さんの「高校3年生」という曲でした。森山直太朗さんは当初、森山良子さんの息子であることをオープンにせず、「直太朗」の名前でインディーズ活動をしていました。2001年3月7日に発売されたインディーズアルバム「直太朗」に収録された1曲が「高校3年生」でした。

実はこの作品は、直太朗さんが初めて作った曲とのことで、実はお母さんである森山良子さんに歌ってもらいたいと思って作ったものでした。そのデモテープを自宅の、良子さんが目につきそうな場所に置いていたそうです。それを聴いた良子さんが、「年代を考えても、声の感じを考えても、これはあなたが歌いなさい」とアドバイスしてくれたそうです。そのことがきっかけで、直太朗さんは音楽の道に進むことを決意したそうです。

そして、これも有名なエピソードですが、直太朗さんがストリートライブをしていた時、買い物帰りだった俳優の斎藤工さんがそのライブに出くわして、直太朗さんの歌声を「衝撃的な美しい声だった」と感じて、買ったのが「高校3年生」のシングルだったそうです。おそらくこの当時は2001年だと思いますので、斎藤さんも俳優デビュー前後の頃だったんですね。

youtubeでこの「高校3年生」の雰囲気に、うまくアニメのシーンを合わせた作品を見つけました。「たまこラブストーリー」というアニメだそうです。京都が舞台のようで、京都駅、京都タワー、鴨川が登場しています。残念ながらその映像はここでは掲載できませんでした。弾き語りをしている方の映像で曲の雰囲気を感じていただければと思います。


森山直太朗 高校3年生 弾き語り

I Want It That Way

DAM★ともでは洋楽を歌うユーザーさんも多いですが、ぼくがよく聴いているユーザーさんが歌っていて、最近覚えたのが、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)の「I Want It That Way」です。

Backstreet Boysはアメリカの5人組ポップ・アイドルであり、世界で1億3,000万枚のセールスを築いたスーパーグループです。1995年にデビュー、「I Want It That Way」は1999年に、アルバム「Millennium(ミレニアム)」の先行シングルとして発売されました。20か国以上の国の音楽チャートで1位を獲得し、今では彼らの代表曲の1つになっています。ただし、アメリカのBillboard Hot 100では最高6位なんです。アメリカの歌手なんですけど、アメリカよりもヨーロッパでの受けが良いグループです。

彼らは1972年から1980年までの生まれで、日本でいうとSMAPとほぼ同年代なんですね。これを書くと「SMAPと比べるな」と言われる方もいますが、日本のエンタテイメントにおけるSMAPの活躍は別に卑下するものではなく、日本の代表的ポップ・アイドルとして、ワールドワイドなBSBと比べたって別に構わないと思います。


Backstreet Boys - I Want It That Way

「犬神家の一族」より 愛のバラード

犬神家の一族」は1976年(昭和51年)に公開された映画で、小説家の横溝正史さんの長編推理小説犬神家の一族」を映画化しました。制作した角川春樹事務所の第1号の映画でもあり、この映画の大ヒットにより、「角川映画」の隆盛の時代が続くことになりました。薬師丸ひろ子さんや原田知世さんも「角川映画」から生まれたスターです。

さて、「犬神家の一族」の音楽を担当されたのは作曲家の大野雄二さんです。「愛のバラード」というインストロメンタルを作られたんですが、この「愛のバラード」はいくつかのバージョンが作られていて、その一つがこのインストロメンタルに、作詞家の山口洋子さんが歌詞をつけて、シャンソン歌手の金子由香利さんが歌っているバージョンがありました。

本職のシャンソンでは語るように、ささやくように歌う金子さんですが、この作品では割に朗々と歌っています。金子さんの低くふくよかな歌声を聴いていると、田舎道を走る金田一幸助や、湖でさかさまになって死んでいる助清(の偽物ですが)や、一堂の中で犯人とわかってしまった松子夫人が煙草を吸って自殺してしまう最後のシーンなど、映画のさまざまなシーンが浮かんできます。


犬神家の一族 愛のバラード 金子由香利

残念ながら、DAM★ともにはこの作品は収録されていません…。

広がりだすんだ僕らの未来は

SMAPへの楽曲提供で有名になった林田健司さんは、ご自身のオリジナルの作品もファンキーでダンサブルでかっこいいものが多いです。林田さん自身も歌っている姿がとてもかっこいい方です。

ぼくも林田さんの作品を歌ってみたいと思って、youtubeで探してみたのが「広がりだすんだ僕らの未来は」という作品です。この作品は2010年12月1日に発売された林田さんのアルバム「GOLD」に収録されています。DAM★ともで歌える曲は「GOLD」の中ではこの作品だけです。林田さんにしては珍しくバラードっぽい曲で、ファンキーではなく普通に、僕らの未来に向かって進んでいこうという、壮大なスケールを感じさせる作品に仕上がっています。林田さんのファンの方にとってはこういう作品は凡庸に感じてしまうらしいですが、ぼくはたまに林田さんが作ってくれる、「歌謡曲っぽさ」をどこかに残しているバラードが割と好きです。こういう曲ならぼくも歌えそうかなと思うからでもありますが。そもそも、DAM★ともで歌える林田さんの作品が少ないんですね。ぼくは「夜空かけて」という林田さんの作品が結構好きで、kinki Kidsに提供した作品らしいんですが、残念ながらDAM★ともには入っていません…。

一般の方にはあまりにもマイナーな作品だと思いますので、林田健司さんの作品を聴いていただければと思います。


広がりだすんだ 僕らの未来は


夜空かけて

甘い十字架

現在の日本の歌謡界で、高い歌唱力を持った男性ボーカリストというと、ぼくは布施明さんを挙げたいと思います。年齢を感じさせないパワフルなボイスと、時には激しく、時には包み込むような歌の表現力は、後輩の歌手たちが見習うべきことが多々あると思います。

そんな布施さんも若い頃はアイドル歌手のような扱いをされていました。1973年(昭和48年)の紅白歌合戦で、布施さんは7回目の出場でしたが、白組のトップバッターとして「甘い十字架」(作詞は安井かずみさん、作曲は加瀬邦彦さん、編曲は馬飼野康二さん。)を歌われました。当時の持ち時間は2分弱で、男性歌手が歌いながら何かをすること自体に抵抗感があった当時に、布施さんは衣装の早替えとか、紅白で何かと試していた頃でした。今から見るとまだ初々しさが残っています。布施さんのアイドル時代はこの年あたりで終わります。昭和49年には「積木の部屋」がヒットし、昭和50年には「シクラメンのかほり」で日本レコード大賞を受賞し、一気に歌唱力のあるアーティストとしての道に入っていくことになります。


布施明 甘い十字架

 

Heart

福山雅治さんは1995年10月にシングル「Message」を発表したあと、2年半ぐらい歌手活動を休止していました。そして1998年4月30日にシングル「Heart」を発売し、歌手活動を再開しました。

この2年半の間もドラマには出演していましたし、「オールナイトニッポン」や「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」のラジオDJも毎週されていたので、あまり休んでいる印象はなかったんですが、当時も「なんで歌わないのかな」とは思っていました。

この作品は、福山さんが主演したドラマ「めぐり逢い」の主題歌にもなりました。作詞と作曲は福山さん、編曲は富田素弘さんで「Peach!!」や「Squall」の編曲もされています。

福山さんが歌手活動を再開されたときの曲だという印象が強いので、この作品を歌うときは、ぼくも前向きになれるような気がします。「あきらめなかった 僕を 見つけることを この街の中で やがて 昇る朝陽のように」で歌詞は始まりますが、そのあとは、君を探して、愛を探して、ふたりの明日を刻もうと結んでいく内容です。ただよく読んでいくと、歌詞がありふれた言葉なので、何だか意味がわからなくなってきます。福山さんは2年半の間にきっと探していたものを見つけられたんだろうと思っています。それは歌手としての方向性だったのかもしれません。久しぶりに「Heart」のPVを見ましたが、2年半前の「Message」に比べると、声質が太くなったようにも感じました。


福山雅治/Heart 【PV】

フライディ・チャイナタウン

泰葉さんが1981年9月21日にデビュー・シングルとして発売した「フライディ・チャイナタウン」。セールス的にはそれほどヒットしたわけではないんですが、林家三平師匠の娘ということと、もともとクラシックを目指していたという異色の経歴が話題を呼びました。作詞は荒木とよひささん、作曲は海老名泰葉さんご本人、編曲は井上鑑さんという異色の組み合わせでした。荒木さんは仕事は幅広いですがやはり演歌をメインにされていますし、井上さんは今では福山雅治さんの作品を長年サポートされています。楽曲は、クラシックを勉強した方らしくというか、どこかに独創性を求めたくて、音階の高低を広げてみた感じというのが、この作品の面白さに繋がっていると思います。

発売から27年後の2008年、春風亭小朝師匠(「金髪豚野郎」はけだし名言でした。)と離婚した泰葉さんは歌手活動を再開しました。2008年のNHK「第40回思い出のメロディー」に初出場し、この作品を歌唱しています。

歌詞を見て気付いたんですが、「It's So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN 真夜中の人ごみに」とあるように、「フライディ」は金曜日(Friday)ではなく、飛ぶ日(Fly-Day)だったんですね。「飛んでる女性」って言葉が一時期流行っていました。


泰葉 フライデー・チャイナタウン