DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

オリジナルスマイル

DAM★ともでほくがお気に入りのアーティストにしているSMAPSMAPが解散してから10か月が経ちましたが、彼らの強みは、アイドルでありながら偶像の世界を生きるのではなく、むしろ世の中で生活している人たちの感覚に寄り添って、恋の悩みも仕事の悩みも生活の悩みも受け止めて、そんなテーマを作品に仕上げていったことにあると思います。それと、まだ無名な作詞家や作曲家を起用して、新しい音楽を作って行こうとする姿勢は、最後まで続けられたと思います。ビクターエンターテイメントの方々の努力はものすごいものがあったと思います。そういうSMAPの作品の中でも、とりわけSMAPらしく思える1曲が「オリジナルスマイル」という曲です。

もともとは「オロナミンC」のCM曲として、サビの部分だけが放送されていましたが、雑誌やラジオ番組でも問い合わせが殺到したこともあり、もともと曲名もなく、CD化の予定もなかったんですが、1994年6月6日に13枚目のシングルとして発売されました。作詞は森浩美さん、作曲はMARK DAVISこと馬飼野康二さん、編曲はCHOKKAKUさんです。作詞の森さんはSMAPのデビューから多くの作品を彼らに提供していますが、なかなか売れず苦しんでいた彼らを応援したいという気持ちから、この作品の歌詞を書いたそうです。SMAPが初めてシングルで1位を取れたのは12枚目のシングル「Hey Hey おおきに毎度あり」で、やっと当時の6人のメンバーの顔が世の中に知られてきた頃でした。その歌詞を読むと、森さんがSMAPに手紙でも書いたような内容です。歌詞の中で「だけど便利な近道なんかはなくて 小さくまとまっても面白くないし ゆれる心 鍛えられないぜ」とか「山程ムカつくことあるけど 腐ってたら もうそこで終わり」なんて、芸能界での戒めでもあり、社会で生きる我々にも思い当たることがたくさんあります。森さんはただ元気なだけではなく、反骨精神をSMAPのメンバーに感じたらしく、そこが彼らに合っていると思ったそうです。

「オリジナルスマイル」は2012年の紅白歌合戦でも歌われましたが、SMAPの曲としては初めて、高校の音楽の教科書に掲載されました。授業で歌うなんて、いい時間ですねえ。そして、「SMAP×SMAP」の最終回放送のCMで、ソフトバンクが、過去にSMAPが出演したCMをまとめた「1回限りの特別編」のCMを流し、そのBGMは「オリジナルスマイル」でした。スマスマでは原曲からキーを下げて歌うこともありましたが、その歌が、今の年齢のSMAPに合っているなあと感じ、もし今後SMAPで歌う機会があったとしたら、ぜひ歌ってほしい1曲です。


ソフトバンクCM「SoftBank→SMAP」スマスマ最終回、感動のオリジナルスマイル

Together When…

2000年代の日本の歌謡界を牽引していたボーカリストである浜崎あゆみさん。浜崎さんのヒット曲は数多くありますが、その中でぼくが興味を惹かれた1曲が「Together When…」という曲でした。

この作品は2007年12月5日にデジタル・ダウンロードシングルとして発売されました。デジタル・ダウンロードとは、インターネットを通じて楽曲を配信する方法で、通常のCDシングルによる発売とは異なります。そのためか、この作品は通常のシングル・コレクションとは別になっています。ただ、ジャケットとミュージック・ビデオが作られ、浜崎さんも当時の音楽番組でこの作品を歌唱しています。そして、2007年の紅白歌合戦ではこの作品を歌唱しています。紅白歌合戦での歌唱曲はNHKから事実上決められることが多いんですが、当時最盛期だった浜崎さんは逆にNHKに「この曲を歌いたい」と言えたんだと思います。

作詞は浜崎さん、作曲は多胡邦夫さんで、木山裕策さんの「home」を作詞・作曲されたり、オーディション番組「歌スタ!!」のハンターもされていました。編曲はCMJKさんで、この方は電気グルーヴに加入していた時期もあるので、ピエール瀧さんの弟さんみたいな雰囲気があり、テクノ・ポップス系の方かなと思ってたんですが、色々なアーティストの作品の編曲をされています。ぼくはSMAPの「Mistake!」の編曲をされた方という印象でした。しかし、この「Together When…」はかちっとしたバラード曲で、avexのロック・サウンドの路線とは異なります。ミュージック・ビデオも静的な雰囲気の穏やかな表情を演じる浜崎さんが出てきて、歌詞も離れてしまった大切な人への思いを歌った内容ですね。「僕達は 心に同じ 傷跡を残しながら」とか「いつかまた僕は僕に生まれ変わって」とか、歌詞の言葉が「僕たち」とか「僕」なんですよね。だからこの作品は男性が歌ってもしっくりくるのかなと思って、DAM★ともで公開したことがありました。「愛してると言いたかった 愛してると言えなかった だけどそれは僕の最大の 嘘であり真実だった様な気がする」って、この当時の浜崎さん自身の出来事を言い当てているようなフレーズなのかなとも思いますし、それはおそらく、きっと誰もが経験したことを言葉にして歌ってみて、聴いた人たちの共感を得ていきながら、歌は多くの人に歌われていくものだなということを感じます。


Together When...

初恋

過去の大ヒット曲を、オリジナルの歌手とはまた違った歌い方で、他の歌手がカバーしていることがありますが、作品とカバーした歌手の歌の波長が合ったりすると、その作品がまた息を吹き返すようなものを感じますし、カバーした歌手に対してもその方の新たな魅力を見せていただいたように感じます。演歌歌手の松原健之さんが、たぶん当時のNHK歌謡コンサートだったと思いますが、村下孝蔵さんの大ヒット曲「初恋」を歌ったときも、そういうものを感じました。

村下孝蔵さんは1979年にCBSソニーのオーディションを受け、グランプリを獲得したものの、当時はシティポップス系のアーティストを売り出そうという空気が強く、フォーク系で25才を過ぎていた村下さんのデビューには難色を示す議論もあったそうです。しかし、村下さんの楽曲や声の良さを認める須藤晃さんが「売れるのは村下だ」と押し、彼を見いだした広島の中国放送のバックアップもあり、1980年、村下さんは27才の時に「月あかり」でデビューしました。テレビにはほとんど出演せず、広島でのライブ活動を主体にしていましたが、1983年に5枚目のシングルとして発売したのが「初恋」でした。原曲はバラード仕立てだったそうですが、編曲家の水谷公生さんがポップなアレンジを試み、村下さんも了解したため、この作品ができたということです。その後、プロデュースを務めた須藤晃さんも「フォークにこだわらなくてもいいだろう」と村下さんに進言し、それを受け入れた村下さんを「心の大きな方で、人に委ねられる強さがあった」と水谷さんは振り返っています。だから、村下さんの「初恋」には、村下さんの中低音の強くて包容力のある声が、歌詞の言葉の一つ一つを伝えてくれる感じで、それは村下さんが地道に歌手活動を続けている生き方も伝えてくれているようでした。でも、じめっと重いということは全くなくて、適度な心地よさを保たれているように感じました。

松原さんは村下さんの歌い方とは違って、透明感のある高音を活かした、爽やかな歌声で、「初恋」の歌詞の世界を伝えてくれている感じがします。ぼくも松原さんが歌っている演歌の作品には興味はありませんが、むしろ松原さんには演歌にとどまることなく、ポップスもロックも歌いこなせる歌手なのではないかという新たな可能性をそのとき感じました。その後、松原さんがデビュー曲のカップリングで収録した「もし翼があったなら」を聴いて、そういう印象は間違っていなかったのだなという思いをぼくは持っています。ジャンルにとらわれず、何でも歌ってこそ、歌手自身も大きく成長すると思うんですよね。

村下さんの「初恋」、松原さんの「初恋」、どちらも魅力がある歌だと思います。


村下孝蔵 - 初恋


松原健之~初恋~

ブルースカイブルー

10月10日は1999年までは「体育の日」の祝日でした。「体育の日」の由来は1964年10月10日の東京オリンピックの開会式でした。この日は抜けるような青空の秋晴れの日だったそうです。開会式の日を決める際に「晴れの特異日」は基準になったようですが、晴れの確率が1番高かったのは10月15日、2番目が10月10日だったそうです。結局、10月10日が土曜日だったので開会式の日に選んだそうです。その後、東京オリンピックを記念して、1966年に10月10日が「体育の日」と制定され、1999年まで続きましたが、2000年にハッピーマンデー制度が適用されてからは、10月の第2月曜日になりました。さて、抜けるような青空ということで、秋晴れの季節にも似合いそうな1曲が、西城秀樹さんの「ブルースカイブルー」という曲です。

この作品は1978年8月25日に西城さんの26枚目のシングルとして発売されました。作詞は阿久悠さん、作曲・編曲は馬飼野康二さんです。馬飼野さんは「ちぎれた愛」、「傷だらけのローラ」、「炎」など、西城さんの初期の作品を多く提供されていますが、その後もジャンルを問わず、松崎しげるさんの「愛のメモリー」、和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」、日野美歌さん・葵司朗さんの「男と女のラブゲーム」、SMAPの「オリジナルスマイル」、KinKi Kidsの「愛されるより愛したい」など、今もヒットメーカーであり続けているのが凄いと思います。阿久さんは沢田研二さんへの提供のイメージがあるので、西城さんへの提供というイメージがあまりなかったんですが、実は1976年2月25日発売の16枚目のシングル「君よ抱かれて熱くなれ」から、「ブルースカイブルー」まで、ほとんどのシングルの作詞が阿久さんの提供だったんですね。阿久さんへの西城さんの事務所からの依頼は「西城秀樹を少年から青年に成長させてほしい」というものだったそうです。この間のシングルはワイルドな路線の「ジャガー」や「ブーメランストリート」もありましたが、西城秀樹のもう1つの路線である「スケールの大きな歌」も歌っていくようになり「若き獅子たち」を経て、青年に達した卒業作品が「ブルースカイブルー」だったのかなと思います。翌年には西城さんの最大のヒット曲になる「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が発表されるんですが、「ブルースカイブルー」の方が良質なバラードというか、西城さんがいくつになっても歌える歌だったのではないかと思います。

2006年に河村隆一さんが自身のアルバムでこの作品をカバーしていますが、西城さんの歌に倣って歌われている印象でした。結構歌ってみると難しい歌です。

1978年の紅白歌合戦で西城さんはこの作品を歌いましたが、紅白で初めてドライアイスを使ったのもこの作品です。


ブルースカイブルー  西城秀樹

 

恋のメラギラ

ぼくもDAM★ともでいろいろなジャンルの歌を歌ってみたい、もし声の調子が良かったら、ハイトーンボイスで歌ってみたい…と見果てぬ夢を思っているなかで、見つけたのが、川上大輔さんの「恋のメラギラ」という曲でした。

川上大輔さんは2013年に「ベサメ・ムーチョ」でデビューした演歌歌手で、何といっても「プラチナボイス」と呼ばれる超高いソプラノボイスが特徴的です。見た目も堂本光一さんの弟みたいな感じです。川上さんの5枚目のシングルとして2015年7月29日に発売されたのが「恋のメラギラ」で、作詞は宮下浩司さん、作曲はコモリタミノルさんです。宮下さんというと、Kis-My-Ft2の派生ユニット「舞祭組」のデビューシングルを、SMAP中居正広さんと共作した宮下兄弟の弟さんですね。コモリタさんはSMAPへの「SHAKE」や「らいおんハート」などの楽曲提供をされてきた方です。そんな2人の作品ですからと期待して聞いたら、「メラメラメラ ギラギラギラ」のイントロで始まり、全然演歌じゃないです。川上さんもルックスはジャニーズ系なんで、全体的には郷ひろみさんが歌いそうな作品で、コンサートでは歌って踊ってみんなで盛り上がれる作品です。ただ、ぼくには余りにも声が高すぎて、原曲キーでは歌えません。

川上さんがデビュー前によく歌っていたのは、平原綾香さんの「Jupiter」だそうです。うん、すごく合ってそうな気がします。演歌や歌謡曲というジャンルにこだわらず、自分の声を活かした作品にめぐりあえたら、ブレイクするんじゃないかなと思います。若手のいわゆる演歌歌手の中には、本当は演歌よりもポップスの方が合っている歌手の方もいて、松原健之さんも村下孝蔵さんの「初恋」を歌うといい歌になっていると思いますし、中澤卓也さんもご自身がNHKのど自慢で優勝した森山直太朗さんの「さくら」とか「愛し君へ」とか歌ってると、これが本来の中澤さんの歌なんだろうなと思いますし。どの方もおそらく歌手になりたくて、何年も練習というか修行をして、歌手デビューの入口がたまたま演歌だったんだろうなと思います。でも入ったらこっちのもの、色々な歌を聞かせていただいて、幅の広い歌手になって欲しいと思います。


川上大輔「恋のメラギラ」

Tomorrow never knows

9月28日に衆議院が解散してから、日本の政界は思わぬ激変の様相を呈してきています。「政界一寸先は闇」とは言ったものですが、既存の立場が一転して危うくなったり、あるいは優勢と見て発言したことが情勢に暗雲を引き起こしたり、10月10日の公示までひと波乱もふた波乱もありそうです。そんな状況を見て思い出した曲が、Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」です。

この作品は彼らの6枚目のシングルとして1994年11月10日に発売されました。1994年10月~12月にフジテレビの「水9」で放送されたドラマ「若者のすべて」の主題歌にもなりました。発売3週目で100万枚を突破し、1995年もオリコン年間4位の売上となり、累計は276万枚のダブルミリオンとなっています。前作「innocent world」とこの作品は、いわゆる「ミスチル・サウンド」を不動のものにしたと思います。ミスチルの作品は、悩んでる人を励まし、元気にしてくれるようなテーマのものが多いと思っていますが、この作品の歌詞は、人は欲求にかられるもの、人はそんな欲求も忘れてしまうもの、「心のまま僕は行くのさ 誰も知ることのない明日へ」という人間の生きざまを、結構俯瞰して見ている内容で、これを書ける当時24才の桜井さんは大人だったんだなあと思います。「勝利も敗北もないまま 孤独なレースは続いてく」「今より前に進む為には 争いを避けて通れない そんな風にして世界は 今日も回り続けている」という歌詞は、世界史や日本史を勉強した時を思い出しましたが、人類は古代からそういうことを繰り返して生きてきてるんだなあと。先週あたりから、国会議員はいかにして自分が選挙に勝つことだけを考えているのかということが、いわゆる自分ファーストということが、これほど露骨に感じられたのも初めてですが、国会議員はあくまでも国民の代弁者・代議士であるわけで、自分ファーストであったとしても、国民や国民の生活にも思いを致せる人物が選挙に勝って、国会議員として活動していただきたいものだと思います。

Tomorrow never knows」は、「明日のことは何もわからない」という日本語直訳よりは、「明日は明日の風が吹く」というニュアンスでしょうか。悩んだり上手くいかなかったりしていても、明日の自分を作れるのは自分自身しかいないわけで、それなりに何とかしていけば、悩みを解決できる思わぬ何かを見つけることができるかもしれないと思う事、それが大事なのかもですね。

この作品のPVも当時の流行の「崖」でした。歌手が壮大な崖で歌っていると、PVに迫力が増していました。桜井さんが歌っていた崖はオーストラリアの南東にあるグレート・オーシャン・ロードの断崖絶壁だそうです。


Mr.Children - Tomorrow never knows

都会の天使たち

DAM★ともではユーザーさんが公開した歌に、他のユーザーさんが歌をコラボしたものを公開するコラボ録音やコラボ動画も多く公開されています。デュエット曲で、常に公開されている曲の1つが、堀内孝雄さん・桂銀淑さんによる「都会の天使たち」です。

堀内さんは、ドラマ「はぐれ刑事純情派」のエンディングソングを、このドラマが始まった1988年に発売された「ガキの頃のように」から、2005年に発売された「ふたりで竜馬をやろうじゃないか」まで、18年連続で任されてきました。「都会の天使たち」はドラマ5年目の1992年3月11日に発売されました。作詞は荒木とよひささん、作曲は堀内さん、編曲は川村栄二さんです。荒木さんも川村さんも共通して、堀内さんや桂さんの作品を多く提供していましたので、堀内さんと桂さんのデュエットは自然な形で決まったのではないかと思います。

1981年にアリスが活動停止してからの堀内さんを「演歌歌手に転向した」という説明がありますが、堀内さんの一連の作品を聴いても、ぼくはあまり演歌とは感じなくて、やはりフォーク・ニューミュージックの範疇かなと思います。だから、「都会の天使たち」においては、いわゆる純粋の演歌歌手である桂銀淑さんの個性的な歌声は活かしつつも、演歌臭さを抜き取ったと思います。これが結果的には幅広い世代に受け入れられ、オリコンでも100位以内に44週ランクインするロングラン・ヒットにつながったのだと思います。日頃ポップスの曲を公開しているユーザーさんたちも、この作品を歌って公開しているものは今までも割とあったように思います。

「愛が生まれた日」と同様、「都会の天使たち」も、男女のデュエットがやりやすく、ハモリもやりやすいというのが、今でも歌われている理由の1つではないかと思います。

堀内さんと桂さんは1992年の紅白歌合戦でこの作品を歌唱しました。紅白の歴史では初めて、紅組の歌手と白組の歌手がそれぞれ歌うのではなく、一緒に紅組の歌手と白組の歌手が歌うことになりました。


계은숙 ケイ・ウンスク 桂銀淑 堀内孝雄 - 都会の天使たち