DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

ごきげんだぜっ!~Nothing But Something~

本日、第69回NHK紅白歌合戦の出場歌手が発表されました。出場歌手の陣容については相変わらず芸能事務所の意向が色濃く反映されたものとなっていて、正直なところ、「この面々が2018年に活躍した歌手ですか?」と疑問を持っています。その出場歌手の中で、出場に納得できる数少ないアーティストの1組が、今年「U.S.A」が大ヒットしたDA PUMPです。

DA PUMPは、沖縄アクターズスクール出身のISSAさん、YUKINARIさん、KENさん、SHINOBUさんの4人で結成され、1997年6月11日にシングル「Feelin’ Good-It's PARADISE-」でデビューしました。デビュー当初はm.c.A.T(富樫明生)さんがプロデュースを行い、ダンサブルでファンキーな作品が次々とヒットしました。

NHK紅白歌合戦には1998年に初出場し、2002年まで5回出場しました。今年の紅白は16年ぶり6回目の出場となりました。最近の紅白は往年の大ヒットがあった歌手を10年~20年ぶりに出場させることをしますが、今年の大ヒット曲を出した上で16年ぶりに再出場というのは極めて異例だと思いますし、彼らの継続的な努力の成果だと思います。

今のDA PUMPは7人で、ISSAさん以外の6人は2009年に加入したメンバーです。ISSAさんは「6人のメンバーには、自分が経験した高みのステージを味あわせてあげたい」という強い思いがあったそうです。6人にしても加入してから9年が経っているわけで、ブレイクするまでよく我慢ができたなあと思います。「U.S.A」って、ISSAさんにとっては新境地なんだと思いますけど、わかりやすいユーロビートとわかりやすい振付けがヒットの要因だったように思います。

さて、久しぶりのDA PUMP。ぼくは初期の4人の時代に、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に出演し、ダウンタウンと面白いトークをしていた彼らを思い出します。当時、ジャニーズ事務所に敵視されていた彼らは、ジャニーズのタレントが出演する歌番組には出演ができず、この番組は彼らを見ることができる貴重な番組でした。思い出の1曲が、1998年4月に発売された4枚目のシングル「ごきげんだぜっ!~Nothing But Something~」。あんまり売れなかったんですけど、PVもノリノリでファンキーで、4人の歌も振付もキレがいい感じでした。彼らの歌を見ているお客さんたちもノリノリでしたし、1990年代の後半はまだJ-POPに勢いとかパワーの裾野が広かったように思います。今の音楽シーンに欲しいのはこういった弾けてる音楽だと思います。

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DA PUMP ごきげんだぜっ!〜Nothing But Something〜 【PV】

春待ち草

9月25日にTBS系で放送された「演歌の乱」。演歌歌手がJ-POPの大ヒット曲に挑戦するという企画の歌番組でしたが、演歌歌手がJ-POPを見事に歌いこなしたその歌唱力に対して、ネットでの反響が非常に大きいものがありました。

特に、若者世代にとっては、日頃見たこともない歌手が、自分が知っている曲をオリジナルとはまた違った味わいで歌ってみせたことへの驚きが強かったようです。

彼らは正直に、それぞれの歌手のSNSに、「初めてお名前を知りました。歌が上手いのに感動した」とか「いっぺんでファンになりました」といったコメントを多く寄せました。

一方、視聴者の反応を受け取った歌手の側も、「お褒めの言葉ありがとう。もっと頑張ります」とか「嬉しくて泣きそうになりました」と刺激があったようです。

「演歌の乱」は、最近20年位の世代間や音楽のジャンルで細分化された日本人の音楽の志向に対し、他世代の歌やジャンルの異なる歌に目を向けさせる機会を提供した意味でさまざまな相乗効果があったと思います。

「演歌の乱」でAIさんの「Story」を見事に歌った走裕介さん。この番組への出演の反響が大きく、コンサートも急遽追加席を設けたり、ファンを増やされたようです。そして、10月31日に発売した新曲「春待ち草」は、11月12日付けの週間演歌・歌謡シングルランキングで初登場1位を獲得、総合のシングルランキングでも29位に入る快挙となりました。

「春待ち草」の作詞は石原信一さん、作曲は田尾将実さんです。石原さんは森昌子さんの「越冬つばめ」が有名ですけど、吉田拓郎さんの作品への作詞提供が多かったり、ビューティーペアの「かけめぐる青春」や太川陽介さんの「Lui-Lui」など、演歌系ではない印象も強いです。田尾さんは最近では中澤卓也さんの師匠というイメージがありますが、この「春待ち草」を聴いて、中澤さんの「彼岸花の咲く頃」を彷彿とさせるところがあるなあと感じました。

走裕介さんの歌を聴いて上手いなあと思うのは、一貫してご自身のトーンで歌を歌っていることだと思います。素人のぼくがカラオケで歌っても、サビの所はやたら張り上げて、そうでないところは淡々と歌ってしまうと、歌のトータルとしてはバラバラになっているんですよね。それと、声を張り上げがちなフレーズも敢えて抑え気味に歌っているので、「時がやさしく 昔に戻す」というサビ前のフレーズですが、音程にものすごく安定感があると思いました。歌をコントロールできるからこそ、J-POPも歌いこなせるんだなということをつくづく感じました。カラオケで歌っている者にとっては勉強になる歌だなと思いました。


走 裕介 「春待ち草」

Hey Hey おおきに毎度あり

「平成」も来年の4月で終わるわけですが、日本の歌謡史において「平成」を代表するアーティストを挙げるならば、それはやはりSMAPであると思います。

SMAPは1988年(昭和63年)に結成され、1991年(平成3年)9月9日にシングル「Can't Stop!!-LOVING-」でデビューしました。2016年(平成28年)12月31日をもって解散となるまで、28年間の長きにわたりトップアイドルとして活躍しただけでなく、NHK紅白歌合戦では6回もトリを務めた(うち5回は大トリ)ことはアイドルグループとしては極めて異例であり、もはやアイドルを超えた「国民的グループ」にまで成長したその功績は、賞賛すべきものであると思います。

そのSMAPは、デビューした1991年からNHK紅白歌合戦には出場したものの、CDの売上はデビュー以来「1位を取れない」状態が続き、コンサートでは空席が目立ち、ジャニーズ事務所における後継アイドルとしては、人気が今一つ出ない不振きわまりない状況が続いていました。

1991年のNHK紅白歌合戦に出場したジャニーズ事務所の先輩アイドルは、少年隊と光GENJIでした。田原俊彦さんのブレイク以降息を吹き返したジャニーズ事務所は、男性アイドルのかっこよさを前面に出したプロモーションを展開してきましたが、当時はアイドル歌手そのものが飽きられ始めてきた頃でもあり、SMAPのデビューから初期のプロモーションが上手くいかなかった原因もそういう時代の変わり目があったと思います。

SMAPの初期の作品にもいい曲はいくつもあって、彼らの強い武器である「親しみやすさ」もパフォーマンスからは滲み出ていたと思いますが、当時ジャニーズ事務所の事務職員であった飯島三智さんはSMAPの人気打開策として、これまでのアイドルが立ち入らなかったバラエティー路線に売り込みます。1992年からフジテレビで放送された「夢がMORIMORI」で、キックベースをする彼らの姿を見て、ぼくは初めてSMAPの人たちを知りました。当時のSMAPはお笑いをやるときも、アイドル番組のコントレベルではなくて、吉本のお笑い芸人と同じように「笑われる」対象に徹していたと言われます。いま思うと、事務所のお膳立てどおりに動けば自然とスターになれるビジネスモデルは終わっていて、たとえジャニーズの人気アイドルであっても、愚直に自分の歌を聴いてもらえるために、様々な活動を通じて名前を覚えてもらうという、本来の芸能活動に立ち返らないと生き残っていけない状況が当時はあったのだと思います。

SMAPのそういうプロモーションは、作られたスターの偶像を捨てて、親しみやすさを前面に出すものであったと思います。ショーアップした歌唱スタイルであった少年隊や、ローラースケートを駆使した華やかなステージであった光GENJIとは明らかに異なる路線でした。

そのSMAPが初めてシングルで1位を取ったのは、1994年3月12日に発売した12枚目のシングルである「Hey Hey おおきに毎度あり」という曲でした。SMAPの6人は全員関東地方の出身であるのに、歌詞はすべて関西弁、浪速の商人がテーマで、サビ以外のメロディーはほぼセリフ(今ならRAPのようでもありますが)という異色の作品でした。作詞・作曲を提供した庄野賢一さんは、その後に続く「がんばりましょう」、「たぶんオーライ」、「どんないいこと」などの作曲を提供し、SMAPの成長を支援したお1人です。

ぼくがこの曲を聴いて思い起こしたのは、第二次大戦後に「ブギの女王」として一世を風靡した笠置シヅ子さんでした。こてこての大阪弁を軽妙にパワフルなステージを披露した笠置さんなら、「Hey Hey おおきに毎度あり」って言いそうだなと思ったんです。

ジャニー喜多川さんも笠置さんの一連の作品はお好みだったようで、所属の男性アイドルにカバーを歌わせることが多いです。ジャニーさんは舞台で芸を披露するのは役者も歌手も芸人も同じであるという持論があり、アイドルが歌と踊りに加えて、お笑いをやれるのはエンターテイナーとしてなお良いことだと考えていたのも、SMAPには幸運だったと思います。

ぼくはDAM★ともSMAPをお気に入りのアーティストにして、SMAPの作品も数多く歌ってますけど、この曲は難しくて歌えないなあと思います。ある意味、自分の中でこり固まっている「歌の型みたいなもの」を捨て去って、いっそ全然違う人になって歌ってみないと歌えないのかなあって思います。当時のSMAPもおそらくそんな気持ちだったのだろうと思います。でも、「Hey Hey おおきに毎度あり」の1位を契機に、SMAPはブレイクへの道を歩み始めたわけです。何がきっかけで、人生が好転するかわからないですね。


Hey Hey おおきに毎度あり SMAP

涙そうそう

「平成」も来年の4月で終わりますが、「平成」の大ヒット曲を挙げるときに思い出す1曲が、夏川りみさんの「涙そうそう」(なだそうそう)です。

涙そうそう」の作詞は森山良子さん、作曲はBEGINによるものですが、この作品が生まれたのは、森山さんがライブで共演したBEGINに曲を依頼したのがきっかけでした。BEGINから森山さんに届いたデモテープには「涙そうそう」というタイトルが付いていました。「涙そうそう」は沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味だと聞いた森山さんは、若くして亡くなった森山さんのお兄さんのことを思ってこの曲の歌詞を書いたそうです。

涙そうそう」は1998年に発売された森山さんのアルバム「TIME IS LONELY」に収録されました。


森山良子(Moriyama Ryoko) - 涙そうそう(nada sousou)

その後、作曲者であるBEGINも2000年にシングルとして「涙そうそう」を発売しました。


BEGIN/涙そうそう

2000年7月21日~23日に「沖縄サミット」(第26回主要国首脳会議)が開催された時のテレビ中継で、レセプションか歓迎イベントかはわかりませんが、BEGINは「涙そうそう」を歌いました。このテレビ中継を見た夏川さんは「私もこの曲をカバーしたい」とBEGINに依頼し、2001年3月21日に夏川さんの「涙そうそう」がシングルとして発売されました。

発売と同時に沖縄では週間チャートの1位を獲得し、2001年の年間チャート1位も獲得しましたが、この作品が全国へ浸透するまでは時間がかかったそうです。ぼくも当時を思い出すと、初めて聴いたのはFMだったかと思います。知らない歌手の歌だけど、綺麗な歌声だし、心が洗われるいい曲だなあという第一印象でした。CDショップに買いに行ったんですが、「な」行の所に目立たなく置いてあった「涙そうそう」を買いました。その後、この作品が大ヒットしたのでとても嬉しく思ったものです。

涙そうそう」が売れてきて、夏川さんの姿をNHKの歌番組で初めて見ました。どこかで見たことのある顔だなあと思っていたら、夏川さんは、1989年から1996年まで「星美里」という芸名で演歌歌手をしていたことがあったそうです。何かの演歌番組で見た覚えがありました。「夏川りみ」としては再デビューだったんですね。

夏川さんは2002年のNHK紅白歌合戦に初出場し、「涙そうそう」を歌唱しました。また、2003年のNHK紅白歌合戦では森山さん、BEGIN、夏川さんで一緒に「涙そうそう」を披露しました。


夏川りみ 涙そうそう

 

ちっちゃな時から

ぼくは基本的に歌が好きなので、日本の歌手の曲も昭和戦前の懐メロ曲から今のJ-POPまで、何となく色々なジャンルを聴いてきましたが、ぼくの中でも謎に包まれている歌手もいて、その1人が浅川マキさんでした。

浅川さんを形容する言葉が「アンダーグラウンドの女王」であり、テレビ全盛の時代にテレビ出演をせず、最後までステージを主体とした音楽活動を行いました。

浅川さんは音楽への美意識、それは自分の作品への信念や哲学だと思いますが、徹底していたそうです。浅川さんのライブに参加したミュージシャンが、錚々たるメンバーで、若き日の吉田建さんや坂本龍一さんのお名前もありました。優れた音を聴く耳に長けていたのだと思います。

ぼくが初めて浅川さんの曲に接点があったのは、ちあきなおみさんが歌った「朝日のあたる家(朝日楼)」で、この日本語詩を書いたのが浅川さんでした。浅川さんのオリジナル曲を初めてYouTubeで聴いたのが「ちっちゃな時から」という曲でした。

この作品は1970年2月5日に浅川さんのシングルとして発売されました。作詞は浅川さん、作曲はむつひろしさんです。このむつひろしさんという方、実は隠れたヒットメーカーの方で、ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」、石川セリさんの「八月の濡れた砂」を作曲されたほか、和田アキ子さんの「どしゃぶりの雨の中で」を「小田島昭彦」名義で作曲されています。

「ちっちゃな時から」を初めて聴いたとき、浅川さんの説得力ある声質と存在感ある歌唱に納得してしまいました。それと演奏の音に完璧さを求めている感じがしました。オーケストラの演奏に指揮者がレベルを上げていくようなものと同じようなものを感じました。

浅川さんは自身の歌について「時代に合わせて呼吸をする積りはない」と語っていました。そして、「私は詩にこだわる。だから売れないのよ」とも言っていました。私は、私の場所で、私の歌を歌う。私を探し当てた者だけが、私の歌を聴いて欲しい。自分の哲学を貫いた浅川さんの音楽は、まだまだ奥が深いようです。

翻って今の音楽シーンは、メジャーの商業音楽も頭打ちの様相で、インディーズの音楽にもビジネスチャンスはあるんじゃないかと思ってます。CDが売れなくなっている中、求められているのはライブであると思うんです。そういう中でいろいろなジャンルの音楽が生み出されてこそ、説得力のある歌い手は生まれてくるのだと思います。


♪ 浅川マキ - ちっちゃな時から

秋冬

DAM★ともでそろそろ秋の曲を出そうと思っていた9月の頃はまだ酷暑の名残があったのに、ここ数週間の吹く風は秋晴れなんですけど、僅かに冬の気配を感じてきました。ぼくも秋の曲を出し損ねている、そんな「季節の変わり目」に思い出したのが「秋冬」(しゅうとう)という曲でした。

この作品は多くの歌手が歌っていますが、テレビでよく見た高田みづえさんの「秋冬」は1984年1月1日に発売されました。同年のNHK紅白歌合戦で、高田さんはこの作品を感極まって歌唱したシーンは今でも記憶に残っています。当時、大関若嶋津関と交際していて、結婚する話も出ていた高田さんにとっては、歌手の引退を既に決意し、これが最後の紅白出場になるとの思いがあったのだと思います。


高田みづえ 秋冬 19841231

「秋冬」の作詞は中山丈二さん、作曲は堀江童子さんですが、オリジナルは、1980年に亡くなられた中山さんが遺したデモテープの中に入っていました。中山さんと親交のあった関口宏さん、峰岸徹さん、カルーセル真紀さんの協力により、同年に自主制作盤としてシングルが発売されました。YouTubeに中山さんの歌声がありました。


中山丈二 秋冬

1983年に橘美喜さんという歌手が「秋冬」を歌ったのをきっかけに、「秋冬」の競作ブームが起こり、高田みづえさんをはじめ、原大輔さん、三ツ木清隆さんの「秋冬」もヒットしました。ぼくが印象深かったのは三ツ木さんの「秋冬」で、テレビ番組でみる穏やかな表情とは一味違う歌声に驚いたものでした。


三ツ木清隆 秋冬

原大輔さんの「秋冬」も当時はじっくりと聴いてませんでしたが、原さんっていい声質をお持ちで、この歌には、ヨーロッパの秋冬も思い浮かべさせてくれる感じもあり、枯葉が舞う季節が思い起こされるものを感じました。


原大輔 秋冬.wmv

同じ作品を歌っても、歌手によってこんなに違うんだということを改めて感じました。どの歌が好きというのは人それぞれだと思います。

ぼくの素人カラオケはとりあえず歌いたいと思った曲を好きに歌ってるだけだったんですが、カラオケ大会に出てから、自分なりの歌のスタイルを決めて歌った方がいいのかなって思い始めてます。あんまり型をはめて歌うのは好きではないんですけど、歌の世界観を表現するためにはそういう面もあるのだろうと言い聞かせてます。

水彩の月

10月20日BS朝日で、9月15日に亡くなられた樹木希林さんの最後の主演映画「あん」が放送されました。ぼくにとって樹木希林さんは、テレビ番組とか、映画の宣伝での舞台挨拶や会見で、面白いことを言ってくれる女優さんであり、それは時に毒舌であったり、時に話をふくらませてくれるサービストークであったり、また時には人生の先輩としての助言であったりしました。視聴者にとっては、本当に見ていてためになるという稀有な方でありました。

希林さんが演じた「徳江さん」を見ていると、生きる糧や生きる喜びを見つけて、自分が生きる意味を問い続けているのが、全身がんの宣告を受けながらも、飄々と映画を何本も出演していく希林さんの生き方とオーバーラップしてしまうものを感じました。

永瀬正敏さんが演じた「千太郎」も、勤めていた居酒屋で暴力沙汰を起こして刑務所に入り、甘党でもないのにどら焼き屋の雇われ店長を凡々と過ごしていた。「徳江さん」はそんな「千太郎」に悲しい表情を見て取り、自分が作り続けた「あん」を食べてもらって、「千太郎」を助けたいと思ったんですね。永瀬さんについて希林さんは「年をとって、良かったことも苦しかったことも受け入れて、俳優という仕事に真面目に向き合っている」と、他の役者へのコメントと比べても高い評価をしています。永瀬さんもなかなか共演しない先輩女優である希林さんに触発されたことが多かったようで、「ぼくにとっては(希林さんは)いつも「徳江さん」なんです」というコメントを舞台挨拶で何度もされていましたが、「あん」の「千太郎」の姿を見ていて、その言葉が何度も思いだされて、やはり「千太郎」にも、どこかに永瀬さん自身がシンクロしていたのだろうと感じました。

テレビ放送ではエンドロールが1分程度でカットされてしまいましたが、そこで聞こえた歌が、秦基博さんの「水彩の月」という曲でした。「あん」の河瀬直美監督は秦さんのファンで、飲み会の席で秦さんに「主題歌を作って欲しい」と依頼したそうです。

秦さんの作品は、「ひまわりの約束」や「鱗」や「朝が来る前に」など、カラオケでもよく聴くことが多いんですけど、「水彩の月」を聴いたとき、その音楽はよく聴く秦さんの作品とは一味違う雰囲気を感じました。

秦さんはこの作品について、「映像を観させていただいたときに、河瀨監督の作品でいつも感じることなんですが、お話はもちろん、街の景色の切り取り方とか、光とか、その美しさがすごく印象的で、そこからインスパイアされて、自分の中でピアノの音色が似合うのではないかというイメージがパッと湧きまして、普段はアコースティックギターと共に歌うことが多いんですが、今回は「ピアノと歌」というものをメインにすえて、新しい秦 基博を届けられるのかな、と思っています。映画『あん』にもきっとマッチする、その世界を一緒に共有出来るような楽曲に仕上がったのではないかと思っています。水彩で描いたような淡さだったり美しさ、その中で自分自身が込めた思い、そして映画が伝えようとしていることを、自分なりにすくい取って歌にしましたので、映画『あん』と共にこの楽曲も楽しみに待っていただけたら、と思います」と述べています。

「水彩の月」の歌詞を読むと、それは「千太郎」の心の叫びにも感じたし、「徳江さん」が話したかったことにも思えます。秦さんの歌からも、「あん」の世界が目の前に現れるように感じました。

ぼくは秦さんの作品は高音なものが多いので敬遠してましたが、「水彩の月」は歌ってみようかなという気持ちになりました。

映画「あん」の余韻をひきずってますが、今度はテレビではなくて映画館でしっかりと見たいと思います。

2015年の「あん」公開時の舞台挨拶の動画がありました。秦さんもここで生歌を歌っています。その後、永瀬さんは希林さんにハグをします。このとき、希林さんは永瀬さんに「幸せになってね」とつぶやいたそうです。永瀬さんはその言葉が「千太郎」に向けてなのか自身なのかわからなかったけど、どちらも幸せになろうと思ったとのことです。


樹木希林、永瀬正敏とハグ!秦基博の生歌に感激 映画「あん」初日舞台あいさつ1 #Motohiro Hata #Sweet Red Bean Paste


秦基博 水彩の月