DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

聖・少女

西城秀樹さんが亡くなられて、その存在感の大きさを今になって改めて認識し、そして驚かされる日々が続いています。ぼくにとって西城さんは子供の頃のスーパーアイドルというイメージです。西城さんのファンではないのに、この喪失感は何なんだろうと考えると、テレビでいつも見ていた芸能人はその時代のそれぞれの人の生活の日常に溶け込んでいたのかもしれないと思うのです。

今日のDAM★ともの公開曲の中で、西城秀樹さんの曲を録音で公開したのが39曲、動画で公開したのが28曲あったんですが、こういう状況ってSMAP解散騒動の時以来かなと思います。まるでエルビス・プレスリーを追悼するかのように、西城さんを追悼するということで、歌っている人の多いこと。ぼくも「聖・少女」という曲を録音したんですが、隣の部屋の男性は「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を熱唱してるのが壁をぶち破って聞こえてました。

「聖・少女」は1982年6月21日に西城さんの42枚目のシングルとして発売されました。作詞は松本隆さん、作曲は吉田拓郎さん、編曲は瀬尾一三さんという、西城さんの作品にしては珍しいコンビです。そして、曲も軽やかで爽やかな感じで、激しくワイルドな作風を路線にしてきた西城さんにとっても珍しい作品だったと思います。こういう歌も歌えるんだという新境地だったのではないかと思いますし、ある意味で肩の力を抜いて音楽で遊ぼうというリリースだったのかもしれません。

1982年の紅白歌合戦で西城さんは「聖・少女」を歌唱しています。当時の紅白は21時スタートで、歌手の持ち時間は2分30秒程度と決められていました。だから、紅白にとってはお決まりなんですが、原曲よりもハイスピードで演奏されることがあるんですが、西城さんは演奏が早くても自分の歌にして踊ってますし、こういうところでも本当の実力を見せていたのだなあと今更ながら感じました。


西城秀樹 聖・少女 1982

雨がやんだら

女優の朝丘雪路さんが4月27日に亡くなられていたことが、今日報道されました。歌手の西城秀樹さんや、女優の星由里子さんの訃報が相次いだためか、朝丘さんの報道は「11PMで活躍した」程度の内容でしたが、朝丘さんは宝塚歌劇団月組の娘役として活躍したことや、日本テレビの深夜番組「11PM」のアシスタントを務めて人気が出たことや、お嬢さま育ちのおっとりしたキャラクターでバラエティー番組でも活躍したこと、そして日舞深水流家元として深水美智雪の名称も持つなど、多才の人であり芸能の人であったと思います。そして、見落とされがちであるのは、朝丘さんは歌手としても活躍していたのであり、NHK紅白歌合戦には1957年から1971年までの間に通算10回出場しました。最大のヒット曲である「雨がやんだら」は、1966年以来5年ぶりにカムバックした1971年の紅白歌合戦で歌唱されました。

この作品は1970年10月21日に発売されました。作詞はなかにし礼さん、作曲・編曲は筒美京平さんでした。発売当初はそれほど売れませんでしたが、1971年に入ってからオリコンでも最高5位となるヒット曲となり、1971年の日本レコード大賞で作曲賞を受賞しました。筒美さんにとっても1971年の日本レコード大賞では、尾崎紀世彦さんに提供した「また逢う日まで」がレコード大賞を受賞、渚ゆう子さんに提供した「さいはて慕情」が歌唱賞を受賞、堺正章さんに提供した「さらば恋人」が大衆賞を受賞、南沙織さんに提供した「17才」が新人賞を受賞と、その後大作曲家へと進んでいく基盤を作られました。

朝丘さんは宝塚歌劇団の在団中にジャズ歌手としてデビューしたこともあり、「雨がやんだら」の楽曲もジャズのムードを残した歌謡曲になっています。朝丘さんの歌い方も独特で、「ブルーのカーテン ひきましょう」というフレーズの末尾を「ひきいまあ~しょ~うぉうぉ~」のような感じで、個性的な歌だったなあと思います。

ぼくが朝丘さんの「雨がやんだら」を歌っているのを見たのは、2004年のNHK「第36回思い出のメロディー」に出演をされた時だったと思います。70代を過ぎても元気に活躍をされていただけに、晩年は認知症の療養をされていたというのが信じられない思いです。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌


雨がやんだら

サンタマリアの祈り

今日の昼過ぎに突然入ってきた、歌手の西城秀樹さんの訃報に驚き、ショックを受けた方も多いと思います。脳梗塞の再発や両目の手術による後遺症という困難にも向き合って、懸命のリハビリをされてきて、2016年にはFNS歌謡祭で歌を披露し、2017年には中野サンプラザ、相模大野グリーンホール、大阪オリックス劇場の3会場でのコンサートを成功させました。ご家族の力強い支えを受けて「傷だらけのローラが歌えるようになるように頑張る」という目標で生きて来られただけに、63才での逝去はあまりに若すぎ、あまりに早すぎました。

西城さんの日本の歌謡史における貢献は大きいものがあって、日本のエンターテイメントで、激しいアクションとシャウトする「絶唱系」の歌唱により、当時全盛だった演歌やムード歌謡、青春ポップスとは違う、新しいシンガーのカタチを作り上げました。そして、西城さんのパフォーマンスや作品は、後年のJ-POPの基盤を作ったと思いますし、今の日本で活躍しているロックシンガーが影響を受けている歌手もまた西城さんであったと思います。

また、今では当たり前に開催されているドーム・コンサートのパイオニアであり、当時の大阪球場や後楽園球場での野外イベントを初めて実行したのも西城さんでした。色々なことを試そうとするのは、西城さんの音楽観はアメリカのロックの影響を受けていて、アメリカの歌手のようにエンターテイナーであるなら「素敵な遊びをしなきゃ」という思いが強くあったようです。そして、「ポップスもロックも同じ音楽であり、色々な音楽を聴いて、カバーであっても自分のスタイルで歌うことが大事」という持論を持っていたように思います。

西城さんの多くのヒット曲の1つに「サンタマリアの祈り」という作品があります。歌の幕間にセリフを入れながら、絶唱してシャウトするスタイルの作品は1974年の「傷だらけのローラ」、1975年の「白い教会」とありますが、その1つの完成形が1980年の「サンタマリアの祈り」でした。西城さんの歌やパフォーマンスには、神に祈るとか教会とか、キリストをイメージした振り付けとかあって、歌のテーマも壮大なイメージの作品が多かったと思います。それは西城秀樹というボーカリストのスタイルであったからこそなし得たものだと思います。

その割には、「新御三家」と呼ばれる西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんは全盛期には「アイドル歌手」として以上の評価を与えられなかったのが不運であったと思います。今のJ-POPは「新御三家」と沢田研二さんによって表現された一連のヒット曲を子供の頃に見聴きして育った人たちが、制作側のリーダーになっているわけで、彼らが与えたその音楽的影響力については、今後も再評価していく必要があると思います。

1980年の紅白歌合戦で「サンタマリアの祈り」を熱唱している西城さんを振り返り、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌


西城秀樹 サンタマリアの祈り 1980 12 31

僕にまかせてください

ぼくがDAM★ともで、公開曲を出しているユーザーさんたちの歌を聴く時間帯は夜が多くて、23時から25時までが多いです。その傍らで、よく耳にしている番組が「音楽のある風景」という番組です。CDを通販で売る30分のショッピング番組なんですけど、テーマを決めて、クラシック、ジャズ、イージーリスニング、ディスコ、オールディーズ、ロック、J-POP、フォーク、歌謡曲、演歌、叙情愛唱歌など、ほぼすべてのジャンルの商品を交互に紹介しています。往年のヒット曲を紹介してくれるので、今更初めて知った曲というのも多いです。

「音楽のある風景」でフォーク特集をやっていた時、次々とヒット曲が流れるなかで、急にぼくの耳に飛び込んできたのが、「両手をあわせた かたわらで 揺れてる れんげ草 あなたの大事な人を 僕にまかせてください」というフレーズでした。テレビの画面を見ると、クラフトの「僕にまかせてください」というテロップがありました。

この作品は1975年4月10日に、4人組のフォーク・グループであるクラフトの2枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は、当時はフォーク・デュオの「グレープ」のメンバーだったさだまさしさんが提供しました。というグループが歌った思わずゆれてる多岐に渡る商品を扱っている。日本テレビで放送された「ほおずきの唄」の主題歌に起用されたこともあり、当時ヒットしたようです。当初、この作品の題名は「彼岸過迄」だったそうですが、イメージが暗いということで、「僕にまかせてください」となりました。歌詞の内容は、彼女の亡くなったお母さんのお墓参りに、彼氏も一緒に行って、墓前で彼女を僕にまかせてくださいと手を合わせる話です。ちあきなおみさんの「喝采」の歌詞で、止めるアナタ(彼氏)はその後亡くなって、「喪服のわたしは 祈る言葉さえ 失くしてた」という内容は当時衝撃だったこともあり、その後は歌詞で恋人が死ぬという状況が出てくるようになりましたが、さださんの書く歌詞の世界はまた独特で、彼女の母親の墓参りというのもなかなか奇抜な想定です。でもクラフトのメンバーの歌声はすごく素直でまっすぐなんです。歌詞もはっきりと丁寧に歌っているのがかえって切なさを醸しだすという印象です。こういう歌詞の状況を経験したことはないし、43年前の作品なんですけど、いまこの作品を初めて聴いた世代にも伝わる、良質の音楽だと思いました。


クラフト 僕にまかせてください

かもめの街

カラオケでは非常に多くの曲が歌われていますが、オリジナルの歌手の歌があまりに個性的だったり、優れた歌唱技術であったりするために、素人がカバーするには難しすぎる曲があります。日本の歌謡史の中でトップレベルと言われる歌唱力の持ち主であったちあきなおみさん。彼女の作品は「難曲」が多いですが、その1曲が「かもめの街」という曲でした。

ちあきさんは1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューし、1970年から1977年までNHK紅白歌合戦に8回連続出場し、流行歌手としてテレビにも出演していました。ところが1978年に俳優の郷鍈治さんと結婚後は、「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」として、約10年間の充電期間に入りました。この間、ちあきさんはシャンソンやファドを歌ったアルバムを発売していますが、言葉どおり歌にじっくり向き合ったことが、その後のちあきさんの作品に生きたことはいうまでもありません。

1988年、テイチクに移籍したちあきさんは3月1日にシングル「役者」とアルバム「伝わりますか」を同時発売し、流行歌手としての活動を再開しました。「かもめの街」はこのアルバムの1曲目に収録されました。作詞のちあき哲也さん(ちあきなおみさんと縁戚関係はなく、本名は小林千秋さん)と、作曲の杉本真人さんは作品でコンビを組むことが多く、狩人の「国道ささめ雪」、美空ひばりさんの「みれん酒」、歌手の「すぎもとまさと」としての「吾亦紅」などのヒット曲がありますが、飲み友達でもあり、ちあき哲也さんが経営していた渋谷のスナックでよく飲んでいたそうです。そんな2人が夜更けまで飲み明かした帰りの明け方、朝の渋谷の風景を見て、ちあき哲也さんは「かもめの街」の歌詞を思いついたそうです。
 やっと店が終わって ほろ酔いで坂を下りる頃
 白茶けたお天道(てんと)が 浜辺を染め始めるのさ
 そんなやりきれなさは 夜眠る人にゃわからないさ
 波止場に出れば カモメがブイに2、3羽 
 一服しながら ぼんやり 潮風に吹かれて見るのが
 あたしは好きなのさ
都会のカラスを港のカモメに見立てて、渋谷の街を浜辺に見立てて、ちあき哲也さんは歌詞を書いたそうです。ちあきなおみさんの「かもめの街」を聴いたときは地方の小都市の港町を思い浮かべてましたが、言われてみると、金曜日の夜を飲み明かして、土曜日の朝もこういう気持ちがわからないでもないなあと思います。ちあき哲也さんは「かもめの街」の歌詞を書いて、杉本さんに作曲を依頼しました。定型的な歌詞ではなく、語りのような歌詞でしたが、杉本さんはあまり気にせず、スケールの大きな曲をと思い作ったそうです。こうして「かもめの街」が作られましたが、プロの歌手が歌ってもかなりの難曲なので、しっくり来てない思いが杉本さんはあったようです。そこへ、ちあきなおみさんがアルバムを作成する予定という話を聞いたので、杉本さんは「是非アルバムに「かもめの街」を入れてほしい」とテイチクに申し出たそうです。

レコーディングの日、杉本さんのギターに合わせて、ちあきなおみさんが最初の一節を歌った瞬間、杉本さんは鳥肌が立って、ギターを弾く手が一瞬止まったそうです。

ちあきなおみさんの歌の表現力が堪能できる作品です。


ちあきなおみ かもめの街

sub/objective

稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんによるAbemaTVの「世界初のSNSバラエティ番組」である「7.2新しい別の窓」。5月6日は第2回目の放送がありましたが、22:40頃からは、香取さんと草彅さんのユニット「SingTuyo(しんつよ)」に「Kiss is my life.」を提供した、ぼくのりりっくのぼうよみさんをゲストに、「新しい地図」の3人とのコラボライブが放送されました。ぼくりりくんも出演後のTwitter

ぐおおおおお死ぬほど緊張しました!!!!!!!!呼んでくれてありがとうございました!!!!!!!この後もたのしんでください!!!!光栄すぎたし自分の書いた曲をまじで二人が歌っていてやばかった…… 今日歌ってたぼくの曲これです 気になった方はぜひ

と感想をツイートされてました。出だしのトークは緊張してましたけど、1曲目の「sub/objective」は自分の歌を歌いつつ、稲垣さん、草彅さんにも上手く合わせてくれてました。香取さんはぼくりりくんの曲が好きだとラジオで話した3年前、ぼくりりくんのデビューの頃から聴いていることもあってか、歌い慣れていたように感じました。2曲目の「Kiss is my life.」でも、ぼくりりくんはラップ部分をバックでフォローしてました。香取さんに踊りを無茶ぶりされた時、困りながらも一礼してみた仕草がちょっと面白かったですけど。「Kiss is my life.」のPVが配信されて、唇が顔になった「Kiss Man」が登場するんですが、演じていたのがウド鈴木さんだと、「7.2新しい別の窓」の番組内で話していました。

さて、ぼくりりくんが挨拶代わりに披露した1曲目の「sub/objective」は、彼が2015年11月12日に限定シングルとして発売した、メジャーデビュー前の曲です。香取さんもこの作品でぼくりりくんを知ったそうです。題名は「主観/客観」ということで、歌詞の世界はちょっと難解で、高校の現代国語の文節ごとの解説を考えてしまうような深さがあって、日本語の色々な言葉を採り入れて、でもサウンドのけだるい雰囲気にちょっとブラックミュージックが入ってるのかなと思うと、最終的にはポップスとしてまとめたりしていて、プロの仕事人ぶりを発揮しています。アメリカのモータウンMotown)レーベルが1960年代に、ソウルミュージックやブラックミュージックをベースとしながらも、クロスオーバー(Crossover)によって新しいポピュラー音楽を作ったように、ぼくりりくんは、おそらく物凄く読書をされている方のようですが、平成の時代に消えかけていた日本語の語彙力を新たな武器として、トラックに装備しているように思います。そして、「Kiss is my life.」でもちょっと語っていましたが、この曲を聴いてかつてのSMAPの作品を思い起こしたファンの方がいたように、作品を作るに当たっては、新しいものだけを採り入れるだけでは大衆には浸透しなくて、「いつかどこかでこういう音楽を聴いたよね」みたいな既聴感(こういう言葉があるのか怪しいですけど)を歌詞やサウンドのどこかに入れることによって、作品への親和性を高めてもらうというのはやっぱりあると思います。

そして特異すべきは、ぼくりりくんの立ち振る舞いで、ギラギラしてなくて、冷静に歌詞を伝え、メロディーを歌っていて、凛とした感じ。こういう歌手で思い出すのは山口百恵さんでした。10代でありながら、どこかに落ち着きを感じさせる立ち振る舞いは、普通のアイドル歌手としては異色の存在感を放っていました。ぼくりりくんも歌っているときの冷静な立ち振る舞いと、香取さんや草彅さんと一緒にいるときの素直そうな少年の表情のギャップが、可能性を秘めているように思います。


SingTuyo - KISS is my life.


ぼくのりりっくのぼうよみ - 「sub/objective」ミュージックビデオ

きみとぼくのなかで

DAM★ともで自分の歌を採点する機能があるんですが、ぼくがなかなか超えられないのが「95点の壁」。採点機能は音程の他にも表現力、ロングトーン、ビブラート、安定性、リズム、声域、タイプとあるんですが、歌い終わった後、次の曲を何にしようか考えているし、採点機能の判定の意味がよくわからないので、あんまり見てなかったんです。とはいえ最近、もう少し上手くなりたいなと思い始め、最近歌っていた曲の中で、どの曲だったら「95点の壁」を超えられるのかなと試しています。自分の歌声で、多くの曲を競わせるような感じでしょうか。結局は意識と気合なんでしょうか、「95点の壁」は超えることができた曲が最終的に3曲残って、今はそのうちの1曲がどこまで点数を上げられるか試してます。DAM★ともは採点ゲームですから、100点を狙っていく「採点歌唱」をしている方もいますが、ぼくの場合は「採点歌唱」ではなく、普通にガチで歌ってどうかなあということです。

競わせた中で、途中で落ちた1曲がKinki Kidsの「きみとぼくのなかで」という曲です。Kinki Kidsの曲はclubDAM歌唱検定でも選んで歌ってましたが、「95点超え」というと「Anniversary」ぐらいだったと思います。「きみとぼくのなかで」はテレビ番組でジャニーズジュニアの子が歌っているのを聴いて、「これいい曲じゃん」と思って歌い始めました。

この作品は2011年11月9日に発売された彼らのアルバム「K album」の収録曲です。このアルバムでは、今まで彼らに作品を提供したことのある作詞家・作曲家が新しい作品を提供していて、山下達郎さんは「いのちの最後のひとしずく」という作品を、筒美京平さんは「ラジコン」という作品を提供しています。「きみとぼくのなかで」は堂島孝平さんの作詞・作曲・編曲ですが、堂島さんは「カナシミブルー」の印象が強くて、かっこいいサウンドを作るイメージがあります。

このアルバムで「危険な関係」という作品を提供した吉田拓郎さんが、Kinki Kidsの2人の関係を「決して仲良しではなくて、それぞれが違う方向を向いていて、大丈夫なのお前ら?」と感じて、「危険な関係」が生まれたというコメントを見ましたが、作家さんたちは作品を作るに当たっては、目の前のアーティストの姿を見て感じたことから作詞や作曲につながることはあると思います。「きみとぼくのなかで」の歌詞は一件恋の歌に見立てているけど、堂本光一さんと堂本剛くんの関係なんだなって思って読むと、妙に納得がいきます。「いつだって不確かで 硝子のような世界を ずっと歩きつづけてきたふたり」ってそうですし。サウンドは「カナシミブルー」ぼど派手ではないんですけど、冷静で淡々としたメロディーの中にもじわっとした熱を感じるようで。考え方は違うけど、時々同じことを心の中で感じてるようで。堂島さんが感じている光一さんと剛さんの姿が滲み出ているように思いました。

本人たちの音源がないので、youtuberさんの歌声で。


きみとぼくのなかで KinKi Kids