DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

さいざんすマンボ

2016年の後半、世界中でも話題となったピコ太郎さんの「PPAPペンパイナッポーアッポーペン)」(PPAPPen-Pineapple-Apple-Pen)。ぼくは2016年の10月頃にYoutubeで初めてPPAPの動画を見ました。見た後思ったのが、「これって、トニー谷さんをフィーチュアしてる?」ということでした。そう思ったのは、以前からYoutubeトニー谷さんの「さいざんすマンボ」の動画をよく見ていたからです。それで周りにも「ピコ太郎って、トニー谷だと思わない?」と同意を求めたりしたんですが、何かその当時は反応が薄かったです…。今じゃビートたけしさんがピコ太郎さんを、「現代のトニー谷」と賞賛してますが。

トニー谷さんは戦後、カタコトな英語とソロバンを駆使した個性的な芸風で一世を風靡したボードビリアンで、歌も数多く歌われていました。「さいざんすマンボ」は1953年に宮城まり子さんとのデュエットでヒットした曲です。作詞はトニー谷さんと宮川哲夫さんの共作、作曲・編曲は多忠修(おおの ただおさ)さんです。宮川さんは宮城さんの大ヒット曲「ガード下の靴みがき」をはじめ、フランク永井さんや橋幸夫さんのヒット曲を提供した方で、この作品の作詞を共作したというのが実に意外です。多さんはジャズミュージシャンの方ですが、雅楽の家に生まれて、自身も宮内庁式部楽生になったんですが、ジャズの道に進んだ変わり種の方で、バンドリーダーとしてトニー谷さんのバックバンドを指揮し、トニー谷さんの歌のほとんどを手がけた方です。

トニー谷さんとピコ太郎さんは、英語で遊んだ歌を歌ったということと、芸風としては道化に徹していることが似ていると思います。一方、トニー谷さんは芸風も毒を放ち続けたのに対し、ピコ太郎さんはそこまで芸に毒があるとはいえないように思います。

むしろ晩年のトニー谷さんは昭和50年代、ハナモゲラ語でデビューし、音楽の素養も持ち合わせ、当時は毒を利かせた芸風だったタモリさんに、自分とのシンパシーを感じていたようで、タモリさん司会の人気番組「今夜は最高!」でも、意気の合ったトークをしていました。

昔の歌手の方も芸人の方も動画を見ていると、自分の芸に徹していて、プロだなあと感心します。ピコ太郎さんはその素養があるように思います。それと年末年始のMCが意外に普通に上手に回していらしたので、歌番組の司会とか適任じゃないかなと勝手に思っています。


トニー谷 さいざんす・マンボ