DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

真夜中のドア

カラオケ大会の選曲は出場者が歌いたい曲を決める場合が多いですが、中には主催者が課題曲や課題テーマを決めて、出場者を募集する場合もあります。

一昨日募集の告知があったオンラインのカラオケ大会は課題テーマが2つ設定されて、その1つが「おしゃれでかっこいい曲」というものでした。「シティポップスでもジャズでもアップテンポでもおしゃれでかっこいいと思う曲なら」と言われた主催者の方が「ぼくのイメージは」と挙げた曲が、松原みきさんの「真夜中のドア〜Stay With Me」という曲でした。

1979年11月5日に松原さんは「真夜中のドア」でシングルデビューをしました。作詞は三浦徳子さん、作曲は林哲司さんです。三浦さんは八神純子さんの「みずいろの雨」や岩崎宏美さんの「万華鏡」がヒットし、その後は松田聖子さんや田原俊彦さんの作品などアイドルへの作品提供が多い印象があります。林さんは竹内まりやさんの「September」がヒットし、その後は杉山清貴さんの作品を多く手がけた印象があります。

松原さんはお母さんがジャズ歌手だったこともあり、小さい頃からジャズやピアノに親しみ、高校ではロックバンドのボーカルを務め、歌手デビューを目指して単身状況した頃は、米軍キャンプでの演奏や、六本木のジャズスポットで飛び入り演奏して、世良譲さんに絶賛されたこともあったそうです。

松原さんは当時でいうとニューミュージック系の歌手という立ち位置だったと思いますが、1980年の新人賞レースにも参加されていたと思います。田原俊彦さん、松田聖子さんなどハイレベルな賞争いの中でも、時折新人賞を受賞されていた記憶があります。

シティポップスというと、1970年代から1980年代にかけて流行した音楽で、フォークの薄暗いイメージとは一線を画した、都会の洗練されたかっこよさを追求するニューミュージックという感じでした。その源流を作ったのは大滝詠一さんや松本隆さんのはっぴいえんど山下達郎さん、松任谷由実さん、竹内まりやさん、南佳孝さんあたりだと思います。

松原さんの歌を聴いた時、竹内まりやさんの流れなのかなと思いました。当時オリコンでは28位ということで、大ヒットまではいきませんでしたが、「真夜中のドア」はその後のシティポップスの類型を作ったのかなと思います。

ぼくは松原さんの他の曲では「あいつのブラウンシューズ」とか「ニートな午後3時」の印象が強くて、エッジの効いたかっこいい歌を歌う人だなと思っていましたが、1990年以降は歌手活動を休止し、作曲活動に専念されていましたが、2004年に44才の若さで亡くなられてしまいました。

そして、「真夜中のドア」の曲名をここ数年耳にすることが多くて、それがリアルに松原さんの歌を聴いていない若い世代からなのでなんでかなあと思っていました。ここ数年間、日本のシティポップスが海外で注目されていて、その動きの中で、インドネシアの歌手でYouTuberもされているレイニッチ(Rainych)さんが「真夜中のドア」をカバーで歌ったのがきっかけで、Spotifyグローバルバイラルチャートで1位を獲得し、2021年3月には「真夜中のドア」の復刻版が発売されるに至りました。

今よりもむしろ多種多様な音楽が賑わっていた1970年代から1990年代。この時代の音楽をまた聴いて再評価する動きがあるのはとても嬉しいことで、それをきっかけに今の音楽がもっと多様性を広げてくれたらもっといいなと思います。

 


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