DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

違和感の正体

ぼくがカラオケ大会に出るようになってから、今月で3年が経ちました。出場しても入賞することはほとんどなくて、手ぶらで帰ることばかりでしたが、今年に入ってから、参加したリアル大会もオンライン大会も、何らかの賞を頂けるようになりました。嬉しい半面、自分の中では何だかすっきりしないというか、疑問や違和感が残っています。

自分ではその日の全力で歌っても、結局は手ぶらで帰ることが多かったので、ぼくは優勝とか入賞とか無理だろうと思って、そこに執着する気持ちはすっかりなくなりました。一種の諦めみたいなものです。だからたまに入賞したときは、運が良かったというか、審査員の先生の印象がすごく良かったんだろうと思うようになりました。

また、カラオケ大会では審査員の寸評を頂くことが多いんですが、入賞しなかった時の寸評を見て、「そんなに酷かったかなあ」と首をかしげたくなるようなこともあります。逆に、入賞した時の寸評を見て、「評価が低い項目がいくつもあるのに、何で総合評価が良くなるのかなあ」とか、「1人の審査員は高く評価してくれてるけど、他の4人の審査員はそれほどでもないのに、何で入賞できるのかなあ」とか、不思議に思うことがあります。

審査員の寸評は、自分の成長のために勿論参考にはしますけど、良くても悪くても、いつまでも引きずられないようにしようと思いました。その上で、どんな曲を歌うにしても、自分の軸とかベースとかを決めて歌おうと考えるようになりました。この「自分軸」っていう言葉は、ぼくが初めてカラオケ大会に出たときに、審査員の方が総評として言われた一言なんですけど、やっとその意味がここで腹落ちできた感じでした。

それと、この1年余り、コロナの影響で、リアル大会が僅かしか開催されないこともあり、せっかくの機会である1つの大会にこれまで以上に向き合うようになったと思います。オンライン大会は逆にものすごく増えましたけど、ぼくはどのオンライン大会も何でも出られる状況ではないので、大会の趣旨を読んで、出てみようかなと思ったものだけ応募することにしました。

それで、大会で歌う曲を練習するときも、結構細かいところに拘って歌い方を決めていくようになりました。でも、なかなか自分が決めたようには歌えないことが多くて、オンライン大会の動画を提出したときも満足のいくものではありませんでした。リアル大会は歌う前の緊張感がどうしてもあって、それでも舞台で心のスイッチが入ると、緊張するよりも、自分が選んだ歌をここで示そうっていう気持ちが強くなるので、思ったことをやり切れるようにはなってきたかなと思っています。

こうやって自分を振り返ってみると、ぼくも心の持ち様がしっかりしてきたのかなと思います。そして、いつも歌っているから、歌は確かに以前よりも上手くなったと思います。でも、まだどこかに残っている疑問や違和感を、最近参加した大会の審査員の「辛口講評」を頂いて、その姿が見えてきました。その大会でもぼくは「最優秀歌唱賞」という、5位から8位程度の賞を頂きましたが、「辛口講評」では、その曲に合ったビブラートの型になっていない点を指摘され、ビートに乗った歌い方ができていない点を指摘されました。DAM★ともでぼくはいろいろな曲を歌っているんですけど、ビブラートの型が2種類ぐらいしかないことに気づきました。リズムには気をつけていたので、リズムは98点ぐらい取れているんですけど、歌を覚えることに必死すぎて、伴奏を聴く注意力が不足していたことに気づきました。例えば、ドラムのリズムに焦点を当てて聴いてみると、いつも聴いている曲が新しい切り口で聞こえるから不思議でした。でも、伴奏に合わせて歌ってるだけでもいけなくて、自分はその曲について思うリズムで歌った上で、伴奏とシンクロしなきゃ、本当の演奏にはならないんだってことが、実は音楽についてのいろいろな方のツイートを読んでいる中でハッと気がつきました。違和感の正体が見えてきたところで、当分はその謎解きに時間をかけていくことになりそうです。