最近、カラオケアプリで歌うようになってから、いろいろなジャンルのいろいろな曲を歌うようにしています。カラオケアプリは、ぼくはタブレットにイヤホンマイクを挿して歌っていますが、まだ始めたばかりなので、イヤホンマイクと音量とエフェクトの調整がまだうまくきません。歌ってみて、録音した声を聴いてみて、相性がいいかもと思った曲を投稿しています。
このブログもなんですけど、ぼくはあらかじめブログの原稿を書き貯めているわけではなく、閃きとインスピレーションだけで、「この曲のことを書いてみよう」と書き始めます。歌も同じで、「こんな歌があったなあ」と思いついたら、歌ってみようと歌ってみる。まあ、いい加減なやつなんです。
そんな1曲が西城秀樹さんの「眠れぬ夜」でした。でも、そのカラオケアプリには西城さんバージョンの音源はなくて、オフコースの音源しかありませんでした。その音源をベースに、歌い方は西城秀樹さんをイメージしながら、ぼくは歌ってみました。
この「眠れぬ夜」について調べてみると、様々な恩讐を経て作られた経緯がありました。原曲は1975年12月20日にオフコースの7枚目のシングルとして発売されました。当時のオフコースはまだブレイクしていない時期で、メンバーも小田和正さんと鈴木康博さんの2人体制でした。この曲は当時オリコン48位に入るスマッシュ・ヒットとなりますが、楽曲については、当初バラード調の曲で小田さんが作ったのに対し、プロデューサーの武藤敏史さんがミディアムテンポのロック調に変えてしまったので、小田さんは相当作品の仕上がりに不満を持っていたと言われています。
その後、1981年3月、西城さんはフォークやニューミュージックの曲をカバーしたアルバム「HIDEKI SONG BOOK」を発売し、オフコースの曲では「眠れぬ夜」と「愛をとめないで」が収録されましたが、このうち「眠れぬ夜」については、1980年12月16日に西城さんの先行シングルカットとして発売されることになりました。「絶唱する男性アイドル歌手」のイメージが強かった西城さんの作品の中では異質な作品でありますが、西城さん側の制作サイドでも「眠れぬ夜」のシングル化については賛否両論が巻き起こったそうです。
そして、オフコース側もそれは同様でした。1980年11月、小田さんがコンサートで「西城秀樹くんが眠れぬ夜を歌うことになった」と言った途端、客席には非難の声が巻き起こったそうです。でも、小田さんは続けました。「でも、そういう皆さんの声も含めて、ぼくが決断をくだしました。出来上がったものを聞いたら、僕に遠慮してか、地味なものに出来上がってました。楽しみにしてください」と。オフコースのメンバーの中でも意見は別れました。大間さんと鈴木さんは否定的で、ぼくたちの歌を西城秀樹が歌って、イメージが壊れるんじゃないかと。これに対し松尾一彦さんは、それは視野が狭すぎて、歌がいったん生まれた以上、誰がどう歌ってもいいじゃないかと。作者の小田さんは承諾したものの、上の発言をみると多分に嫌味やアイロニーが醸し出されています。
ぼくは西城さんの「眠れぬ夜」から入りましたので、秀樹さんってこういう歌もサラッと爽やかに歌える人なんだと感心しました。今でこそ西城秀樹というシンガーの凄さを理解している方が増えていると思いますけど、芸能界や音楽番組の現場では「西城秀樹はどんな歌もこなせる歌唱力の持ち主」と知られていたのに、「絶唱する男性アイドル歌手」のイメージが先行してしまったことによる誤解の連鎖が、当時はあったと思います。編曲は船山基紀さんが作られましたけど、西城さん自身の歌い方も、オフコースの原曲を踏まえて、忠実に原型をイメージしようという姿勢は窺えます。そこはシャウトに逃げを求めない真摯なものであったと、今振り返っても思います。西城さんや制作サイドの人が、なぜ当時のオフコースの、それもブレイク前の「眠れぬ夜」に着目したのか、なぜ西城さんに歌わせようとしたのか、その真相はわかりませんけど、音楽好きの人が、売れなかった曲を探してきて、歌手に歌わせてヒット曲にするという手法は結構使われていました。今だって、同じように、埋もれている名曲を探し当てて、光を当てて欲しいと思います。
最近、動画がアップできないんですけど、オフコースの「眠れぬ夜」、西城秀樹さんの「眠れぬ夜」、是非聴き比べて頂きたいと思います。