DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

喝采

昭和の歌謡界は、毎年9月以降になると、日本レコード大賞日本歌謡大賞など、いわゆる「賞レース」をめぐって、レコード会社や芸能事務所が鎬(しのぎ)を削って激しく競う時代でありました。日本レコード大賞は前年の11月から当年の10月までに発売された作品が対象でしたから、賞レースに参加するには9月に発売する作品が何とか間に合う感じでしたが、9月リリースであるにもかかわらず、その年の日本レコード大賞を獲得したのが、ちあきなおみさんの「喝采」でした。

「喝采」は1972年9月10日にちあきさんの13枚目のシングルとして発売されました。作詞は吉田旺さんで、ちあきさんのデビューシングル「雨に濡れた慕情」で吉田さん自身も作詞家としてデビューし、ちあきさんのシングル作品を提供してきました。作曲は中村泰士さんで、「喝采」の他に、細川たかしさんの「北酒場」でも日本レコード大賞を受賞しています。

吉田旺さんが「喝采」を作った経緯について、NHKで放送したちあきさんの特集番組で話していましたが、「ちあきさんの路線をデビュー当時の路線に修正しようということで、「禁じられた恋の島」を発表したが、思惑通り売れない。それで次作は思い切って人が死んだ歌を書いてみようと思って作ったのが「喝采」だった」そうです。

「いつものように幕が開き 恋の歌歌うわたしに届いた報らせは 黒いふちどりがありました」「ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ 喪服のわたしは 祈る言葉さえなくしてた」という歌詞に、レコード会社は「縁起が悪い」と猛反発したそうです。でも、吉田さんは「これが作品の核なんだから」と引き下がらず、認めさせたそうです。

中村さんも自身のブログで書かれていますが、「「禁じられた恋の島」で16ビートの楽曲をちあきさんに歌ってもらい、ちあきさんは自分の期待を上回る表現力で歌ってくれたが、売れなかった。そこで自身の力みや時代の読み違えに気づいた」そうです。「喝采」では、音の高低の波が多い方がちあきさんに似合うと考え、音と音の間の跳躍を意識して作曲されたそうです。ちあきさんはレコーディングの際暗幕を張って、姿を誰にも見せずに録音していたそうです。それでも、作曲家が求める以上の作品に仕上げていく、プロの歌手でした。

ぼくが「喝采」を聴いて歌の迫力に驚いたのが、2番の後半の「耳に私のうたが 通りすぎていく」の所と、「降りそそぐライトのそのなか」の所でした。歌詞もドラマチックで、楽曲も音階の幅がありますが、ちあきさんの歌の1音1音に響きがあり、作品の世界を余すところなく音の強弱とプレスで表現できるからこそ、歌がドラマになっていくのだということを強く感じます。


ちあきなおみ/喝采 1972年

美空ひばりさんのものまねをちあきなおみさんが本人の目の前でやったという面白い映像を見つけました。ひばりさんも嬉しそうなのがいいなあと思います。お互いに才能を認め合っているようにも感じられます。


花笠道中 ちあきなおみ(美空ひばりさんの物まね)