日本の8月という時期は、お盆という昔からの風習でご先祖様や故人を偲ぶということもありますし、第二次世界大戦で広島と長崎に原爆が投下され、1945年8月15日に終戦を迎えたこともあり、戦後の苦難を振り返る時期にもなっています。ぼく自身はお盆らしい風習を特にやってきたわけでもなく、戦争の話を父母や祖父母からも聞いたことがないので、その時代の歴史や起こった出来事を勉強する中で知ったり、歌の世界では懐メロ番組を通じて戦後の苦難を知り、そんな時代を背景に生まれた戦後の歌謡曲には味わいと深みがあると思います。
NHKの「思い出のメロディー」は今年で第49回を迎えましたが、往年の歌手が代表作品を発表する場であると同時に、戦後を歌で振り返る番組でありました。しかし戦後72年も経ち、昭和20年代から活躍していた歌手はほとんどが物故者となり、昭和30年代から活躍していた歌手も物故者が多くなり、戦後は本当に遠くなっています。幸い、インターネットの時代になって、昭和初期以降の歌謡曲がさまざまな形で音源や動画を見聴きすることができるようになったのは、いい環境だと思います。
ということで、昭和の時代であれば、終戦直後を代表する歴史的な歌謡曲といえば、「リンゴの唄」と「青い山脈」でした。「リンゴの唄」は作詞がサトウハチローさん、作曲が万城目正さんによるもので、1945年12月に歌が録音され、1946年に発売され、戦後の暗い世相に明るい歌声が国民の共感を呼び、戦後第1号のヒット曲となったことから、「戦後復興の象徴」の1つとなりました。懐メロ番組では並木路子さんが歌われていましたが、オリジナル盤は霧島昇さんと並木路子さんのデユエット曲でした。霧島さんが万城目さんの所に行って、「この曲は必ずヒットするから、新人の並木君と一緒に歌わせて欲しい」と頼み込んで実現したそうです。ただ、レコード会社の日本コロムビアは並木さんを売り出したかったので、発売直後の後は並木さんのソロということになったということです。
「青い山脈」は、小説家の石坂洋次郎さんの小説「青い山脈」が映画化され、その主題歌として、作詞は西條八十さん、作曲は服部良一さんにより、1949年に発売されました。こちらも藤山一郎さんの代表曲として有名ですが、オリジナル盤は藤山一郎さんと奈良光枝さんによるデュエット曲でした。奈良光枝さんは古賀政男門下の歌手で、1953年から1960年までの紅白歌合戦に9回出場した人気歌手でしたが、1977年に53才で亡くなられています。
戦後を代表する2曲がデュエット曲だったのは意外でしたが、実はこの2曲はDAM★ともでは歌って公開することができないんですね。著作権はJASRACがまだ持っているようなんですが、よくわかりませんでした。