日本の歌謡界を代表する現役女性ボーカリストの1人として挙げられるのが倍賞千恵子さんであると思います。倍賞さんは今年もNHKの「夏の紅白」と言われる「思い出のメロディー」に出場され、今回披露したのが「さくらのバラード」という曲でした。
倍賞さんは、映画「男はつらいよ」の渥美清さんが演じる主人公・車寅次郎の妹・さくら役として全49作品に出演されましたが、「さくらのバラード」は1975年12月27日公開の第16作「男はつらいよ 葛飾立志編」で1度だけ歌われた「幻の名曲」でした。この作品がその後公で歌われたのは、1996年に渥美清さんが亡くなり、その後開かれた「寅さんとのお別れ会」で、弔辞の後に「献歌」ということで「さくらのバラード」を倍賞さんが歌われました。その後、2012年に「おばちゃん」役で親しまれた女優の三崎千恵子さんの告別式でも、倍賞さんは弔辞の後に、「おばちゃんが好きだった歌」ということで、倍賞さんの持ち歌でもある「忘れな草をあなたに」を、こちらも「献歌」ということでアカペラで歌われました。
「さくらのバラード」の作詞は映画「男はつらいよ」の山田洋次監督が、作曲は「男はつらいよ」の音楽を担当していた音楽家の山本直純さんが作られました。ぼくは初めてこの歌を聴いたんですが、倍賞さんがイントロの「江戸川に雨が降る」と歌い始めた途端、「男はつらいよ」の情景が瞬間に蘇ってきました。「渡し舟も 今日はやすみ 兄のいない 静かな町」と続くと、フーテンの寅さんは今日も日本を旅しているんだろうなと思うのです。「そこは晴れているかしら それとも冷たい雨かしら 遠くひとり 旅に出た 私のお兄ちゃん」で、倍賞さんの歌声は真骨頂に達しています。
倍賞千恵子さんの歌の強みは、SKD(松竹歌劇団)で鍛えた歌と踊りを基礎に、「さよならはダンスの後」のように、華麗に踊りながらも張りのある歌唱ができるかと思えば、「下町の太陽」や「忘れな草をあなたに」のような抒情歌もしっとりと歌え、「さくら貝の歌」や「オホーツクの舟歌」のように、クラシック歌手に負けない歌唱力で堂々と歌える、多才の歌手であることだと思います。NHKで放送されていた「名曲アルバム」という主にクラシックを放送する5分番組があったですが、歌謡曲の歌手でこの番組で歌ったのは倍賞さんぐらいではないかと思います。
迫力のある声量で戦後の歌謡曲をリードした美空ひばりさん、歌の技量の高さで再評価されているちあきなおみさんは日本の歌謡界を代表する女性ボーカリストですが、正統派の歌唱力を持つ倍賞千恵子さんは再評価されるべき歌手であると思います。