DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

傷だらけのローラ

現在のJ-POPや日本のロックの基盤を作ったパイオニアの1人は、西城秀樹さんだと思います。とりわけ、1974年8月25日に西城さんの10枚目のシングルとして発売された「傷だらけのローラ」は、日本の歌謡史を語る上でもターニングポイントとなった曲です。

西城さんは1972年にアイドル歌手としてデビューしますが、当時のライバルであった郷ひろみさんが可愛い男の子の路線、野口五郎さんが歌の上手い少年の路線というなか、西城さんは恵まれた体格と運動神経を生かした、絶唱型の歌唱路線を進むことになります。デビュー当初はなかなか売れず、郷さんや野口さんの後塵を拝していましたが、1~2年で彼らに追い付きます。当時は山本リンダさんのような激しいアクションを振りつけて歌う歌手が台頭してきたこともあり、西城さんはワイルドな激しいアクションで、絶唱して歌うスタイルでスターダムに乗りました。1974年の紅白歌合戦で西城さんはトップバッターで「傷だらけのローラ」を歌い、初出場とは思えない堂々とした華麗なステージを披露しました。

西城さんを「アイドル新御三家」という枠で括るよりも、その後のJ-POPや日本のロックの後輩アーティストたちに、音楽上の多大な影響を与えている功績を挙げるべきだと思います。いわゆるビジュアル系バンドと呼ばれたアーティストたちの歌唱法は、どこかに西城さんの歌唱法の影響を受けているように感じます。また、エンターテイメントとしては、スタジアムでのソロ・コンサートツアーを初めて開催したのも西城さんです。今ではスタジアムでのコンサートを行うアーティストは数多くいます。それと、洋楽のカバー曲を積極的に取り入れようとしていたのも西城さんで、「YOUNG MAN」や「抱きしめてジルバ」もそういう経緯から発売に至っています。この洋楽カバーを実現するため、スタッフとは結構戦ったようですが、西城さんは独自の音楽についての持論が結構ある方のようです。ポップスとロックを分ける日本の音楽評論には異を唱え、「ポップスもロックも同じで、日本のはまだまだ歌謡ロック」と言い当てています。今の西城さんに、今の音楽シーンを語っていただいたら、結構面白いんじゃないかなと思いました。

ぼくも数年前にDAM★ともで「傷だらけのローラ」を歌って公開しましたが、終盤前の「ローラ…ローラ…ローラ!」と叫ぶところがなかなか西城さんに近づけなくて、どうやって練習したのかなと感心した次第です。


傷だらけのローラ/西城秀樹 (1974年 紅白)