DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

太陽がまた輝くとき

今年のゴールデンウィークは、毎日他のユーザーさんの歌を聴いて過ごしています。特に、カラオケアプリのKARASTAには、今回の自粛をきっかけに、それまでKARASTAで活動していなかった全国の歌の上手い方が次々と初投稿し始めています。一度は生の歌声をお聴きしたいと思っていた方の歌を、現地へ行かずとも、KARASTAで聴けることになるとは思いませんでした。

それで、休日は時間がありますので、聴きたかった方の歌を何回も繰り返して聴いています。カラオケのようにマイクで大きな声で歌うのとは違い、カラオケアプリは自宅でスマホにイヤホンマイクを挿して歌うのが基本形ですので、歌声も小声になるとか、声を張れないとか、自宅や動画を撮影する場所の環境にも左右されることはあると思います。

ですから、カラオケとカラオケアプリではそもそも歌い方が違うのだと思います。再生回数やフォロワー数の多い歌い手さんの歌を聴くと、敢えてKARASTA向けの歌い方に徹しているのかなと感じた方もいました。一方、最近初投稿を始めた歌の上手い方は、カラオケでの歌い方を踏襲されているので、ぼくはそういう歌の方が聴きやすいと感じています。多くの方の歌を聴いている中で、上手い方の歌い方は、全体の緩急がしっかりとつけられているし、引き締まった歌になっていると思います。音程やメロディーの節回しはキチッと決めて歌っているという感じです。

KARASTAでも、ぼくが知らなかった曲に何曲も出会うことができて、これも楽しみの大きな1つです。その中でも印象の強い曲が何曲かあって、その1曲が高橋ひろさんの「太陽がまた輝くとき」という曲でした。この作品は1994年6月17日に高橋さんのシングルとして発売され、アニメ「幽☆遊☆白書」のエンディングテーマ曲となったこともあり、オリコンでも最高9位となる大ヒットになりました。高橋さんはバンド活動をしていましたが、財津和夫さんに声をかけられ、1987年から1989年までチューリップの第三期メンバーとしてボーカルとキーボードを担当しました。チューリップの解散後、1993年にソロデビューして、「アンバランスなKISSをして」や「太陽がまた輝くとき」などのヒット曲を出しましたが、2005年に病気のため41才で亡くなられました。

「太陽がまた輝くとき」を歌う高橋さんの動画を初めて拝見しました。誠実さが感じられるまっすぐな歌い方は時に優しく、時に繊細で、時に情熱のある、3分余りの時間の中で様々な表情を見せてくれる歌手の方で、良質の音楽を作るタイプの方だったのだろうとお見受けしました。

ぼくがKARASTAで聴いた歌い手さんは、ものすごく歌の上手い方で、高橋さんの歌い方とは異なるパワフルさのある歌い方でしたが、「太陽がまた輝くとき」という曲を愛されて歌っているように、初見のぼくにも感じられました。

阿久悠さんが遺された言葉の中で、「自分は死んでも、自分が作った歌をその後の人たちが歌ってくれれば、最後に残るのは歌だけだ」というものがあり、いい歌はこうやって歌い継がれていくのだということをまた認識しました。

 


太陽がまた輝くとき (カラオケ) 高橋ひろ