DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

うちで踊ろう

今の日本の音楽業界の一大ムーブメントになっている、星野源さんの「うちで踊ろう」。2020年を代表する1曲になることは現時点で確定していると思いますが、それだけではなくて、音楽を通じて、多くの人たちが「重なり合う」状況を流行として作り上げたことは、日本の歌謡史に残るエポックメイキングであったと思います。

テレビや舞台に限らず、ネットワークに新たな活躍の場を見いだす動きは、ぼくは元SMAP稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんによる「新しい地図」がそのきっかけを作ったと考えています。彼らは活動の場を模索する中で、SNSを中心としたネットワークが新たな活動の拠点になると考えて、その着眼点は見事に当たったわけで、日本の新しい音楽のカタチが世界中に配信可能な体制を作れるかもしれない可能性を広げたのだと思います。

さて、「うちで踊ろう」で歌っている星野さんの表情が、実はそんなに明るくはない表情で歌っているとぼくは思うんです。次々と重なり合うプロの歌手やアマチュアの人たちが、「星野源と同じ画面に入れるぞ」って嬉しさで、楽しく歌ったり、歌ではないパフォーマンスでも楽しんでいるのを見ると、それが元歌の星野さんとのギャップを感じてしまっていたりしていました。

星野さんの真意は何だったのかなと探していたら、Rolling  Stone Japanのインタビューで星野さんの思いや考えを知ることができました。いくつかキーとなるお話があって、1つは「重なり合う」ということでした。人間は生きてから死ぬまで1人だし、世界はひとつみたいな考え方ではなく、思いを重ねることはできるだろうということでした。日本人のメンタリティの1つで「全てが一致しないといけない」みたいなものってまだまだ残ってますけど、人間はそれぞれ個性も異なる違う生き物ですから、時にある1点で「この指止まれ」みたいに同調する者たちが集まって、終わったら解散、みたいなくり返しで生きていくのが21世紀の生き方だろうなって、ぼくは考えています。もう1つ、「うちで踊ろう」は英語では、「Dancing  on  the  inside」だということで、星野さん的には、世の中どうしても外で働かなければならない人はいるわけで、「うち」という中には「家」もあれば「心の内」もあって、「踊る」という言葉は「生きる」と同じであるということだそうです。

「人間が好きなことや楽しいことを奪われると、人は生きていけないと思うんです。なぜなら、人間は余計なことをするために生まれてきたから…というより、余計なことをしちゃう生き物なので。それは想像力があるからですよね。」星野さんは苦しいときや辛いときは楽しいことを考えて乗り越えてきたそうです。想像力は人間を守る武器なのだと。


星野源 – うちで踊ろう Dancing On The Inside