DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

音楽のともしび

いま世界は新型コロナウイルスの惨禍の中にあり、各国がそれぞれの状況に応じた対応を模索しています。そういった状況の中でも、特にヨーロッパ諸国は、音楽を含めた文化・芸術については、「平時だけではなく、どんな状況にあっても守られるべきものである」という考え方に、政府も国民も立っていると思います。例えば、感染者数の多いイタリアでは、外出禁止の命令が出ている中でも、アパートのベランダ越しで、住民たちが演奏を行ったりして、それを見ている住民たちも微笑ましく応じているなど、生活の中で音楽を楽しもうとする姿勢が十分に感じられました。そして、音楽も含めた文化・芸術活動で生活ができない国民に対して、金額の多寡はあるものの、経済的支援をほとんどの国が実施すると表明しています。

一方、日本では、残念なことですが、音楽を含めた文化・芸術活動が守られるどころか、逆にスケープゴートのようにされている印象が否めません。たまたま大阪府のライブハウスで新型コロナウイルスの感染者が出たことをきっかけに、「ライブハウスで活動するやつはとんでもない」といった、音楽活動があたかも新型コロナウイルスの病原菌の発生元であるかのようなマスコミの報道がなされました。大阪市の松井市長は「ライブハウスは感染源ではない」などの事実に基づいた発表をしてくださりましたが、こういう話は報道されません。

ぼくもカラオケで楽しんだり、カラオケ大会に出たりしていますから、「音楽やっていて感染しないのか」のようなことを言われました。新型コロナウイルスの主な原因は接触感染と飛沫感染にあると言われていますが、カラオケは基本ヒトカラで楽しんでいますし、カラオケ大会についても、飛沫や接触を避ける一挙一動を厳密に管理して、空気感染の可能性は低いとの見解はあるものの、換気状態を良好な状態に保っていれば、これはどのようなイベントについても、開催可能であると考えています。

一蓮の報道を真に受けて、音楽を無意味に批判する方たちには、おそらく感染への恐怖心が勝っているのだと思います。それは各人の感情のことですから、そうなんだと思いますが、ライブハウスにいったこともなく、カラオケに行ったこともない方々が、現場の状況も確認したことがないのに、見てきたようなことを言わないで頂きたいとは感じています。

ぼくは音楽が好きな人間で、歌うことも好きな人間ですから、音楽の実現を守っていくという考え方に立っています。ですから、どのような状況にあろうとも、その実現の可能性はとことん探っていきます。もちろん、ぼくとは違う考え方の人も多数いらっしゃいますけど、人様に感染の迷惑をかけないという前提があって、自粛する自粛しないの判断はあって然るべきだと考えています。

少なくともカラオケチェーンの店舗を回りましたが、感染防止の対策をしっかりと実施していることが、どの店舗においても感じられましたし、ヒトカラで楽しむ分には安全上の差し支えはないものと思います。

いわれなき槍玉に上げられた音楽業界の人たちはこういった努力を行っています。少なくとも今の日本では、政府も国民も音楽を大事にしていないと感じています。でも、音楽は人間に安らぎや癒しを与えるものであり、それは人間の精神を大いに支えるものであるとぼくは信じています。音楽の好きなひとたちはいま、活動の舞台をSNSに移して、歌や演奏の動画を配信しています。

先人たちは戦禍や惨禍の中にあっても、時には共に歌い励まし、いくつもの危機を乗り越えて生き抜いてきました。それは日本人も同じです。随分前ですけど、兵庫県豊岡市で洪水が発生して、バスに乗っていた乗客たちはバスの屋根に避難して、すぐ下まで水位が上がっている中を、歌って励ましたというエピソードもあったと記憶しています。そして、阪神・淡路大震災のときも、東日本大震災のときも、現地の人たちがいくつもの歌に励まされ乗り越えてきました。音楽のともしびを消してはならず、守っていくためにぼくも小さな力ですけど応援したいと思います。