DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

うたかた

日本の歌謡史の中で、時代を動かし爆発的なブームを巻き起こしたアーティストの第一人者は、ピンク・レディーであったと思います。ピンク・レディーはデビュー前のターゲット層としては中高年に狙いを定めていたんですが、デビュー曲「ペッパー警部」での今までになかった激しい振付と、個性的でスタイリッシュなステージ衣装が反響を呼び、当時の子供たちが歌と振付を覚えようというムーブメントが広がり、発売する曲が次々とミリオンセラーになる一大ブームへとつながっていき、1978年にはアイドル歌手としては初めて、「UFO」で日本レコード大賞を受賞しました。

しかし、この年のNHK紅白歌合戦の出場辞退を発表(今とは違い、当時出場辞退を発表というのは、前代未聞のことでした。)し、アメリカでの音楽活動を開始すると同時に日本での人気は急落することになり、1980年9月1日に解散を発表し、1981年3月31日に後楽園球場で解散コンサートを開催しましたが、同時期に解散したキャンディーズや引退した山口百恵さんの盛り上がりに比べて、対照的に寂しさを感じる幕切れでした。

当時の芸能界やマスコミは、ピンク・レディーの紅白辞退・アメリカ進出という行動に批判的であったため、テレビから彼女たちを外していく流れが出来てしまい、アメリカ進出も当時は「失敗だった」という論調でした。しかし実際は失敗ではなく、彼女たちが進めてきたアメリカでの活動は順調で、全米デビューシングルとなった「Kiss In The Dark」はビルボード総合37位を記録し、全米三大ネットワークの一つNBCのゴールデンタイムで、自らの名前を冠する番組「ピンク・レディー・ショー」を持つなど確実に実績を積んでいました。ショー・ビジネスのエンターテイナーとしての実力をつけて日本に帰国したにもかかわらず、日本では彼女たちを受け入れようとしなかったのは残念な環境であったと思います。

そんなあまり知られていないピンク・レディーの動画を見ていて、いいなと思った曲が「うたかた」という曲でした。この作品の原曲は、彼女たちが1979年6月1日にアメリカで発売されたアルバム「PINK LADY」に収録された「Strangers When We Kiss」(作詞・作曲:Michael Lloyd)でした。この曲に、三浦徳子さんが日本語詞をつけて、川口真さんが編曲したものを「うたかた」として、1980年9月21日に発売されました。

ミーさんとケイさんも、全米発売のアルバム作成では、ウィスパー的な歌い方など、全体的にそれまでのピンク・レディーの発声法とは違っていて、本人たちも勉強になったし自信に繋がったとコメントしていますし、「うたかた」についても、「特に気に入っている1曲で、自分たちのノリや精神に合っている曲だ」とコメントしていました。しかし、日本では大ヒットはしませんでした。

当時のフジテレビの人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」での動画を見ましたが、歌の完成度が高くて、一連の大ヒット曲のように、元気でフルパワーで歌って踊ってというピンク・レディーとは一味違って、魅せるステージ力がアップしているように感じました。「夜ヒット」では、彼女たちが歌っている後ろには共演の歌手たちが座っているわけですが、1コーラス終わった後から、歌手たちが立ち上がって応援し始めたのが、ある意味パフォーマンスの良さを象徴しています。

実力をつけたのに人気が落ちてしまったら、人気歌手としての彼女たちは立ち位置や将来を悲観したと思います。しかし、1981年の解散後、年月を経て彼女たちは再結成という形で、ブームだった頃よりも歌も振付もパワーアップしたパフォーマンスを披露しました。NHK紅白歌合戦にはその後1989年、1990年、2000年に出場しヒット・メドレーを披露し、2017年、2018年には日本レコード大賞で6分近いノンストップ・メドレーを披露しました。結成して40年以上を経たいまも、あのパワフルな曲を歌って踊れるのはもの凄いことだと思います。その基礎を培ったのは、当時日本では理解されなかった全米での音楽活動で学んだことにあるのではないかと思います。正しいと思って努力した音楽活動は、その後必ず良い結果をもたらすと思います。ぼく自身の音楽活動もそうなりたいと信じて進みたいと思います。


うたかた ピンクレディー