DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

夢追い酒

2019年の大晦日、ぼくはテレビ東京系「第52回年忘れにっぽんの歌」を見て楽しみました。生放送ではなく12月中旬に公開収録された番組ですが、生放送の「NHK紅白歌合戦」よりもよほど大晦日感を味わえる番組になっていると思います。

6時間放送しますので出演する歌手も多数であり、いま活躍している歌手の方だけではなく、往年のヒット曲を持つ歌手の方や、日頃歌番組には出演しない俳優の方など多彩です。また、歌のジャンルも演歌・歌謡曲以外からも一定に選ばれているのも、趣向を凝らしているように思います。

ぼくもカラオケ大会で歌うようになったからかもしれませんが、歌番組を見ていても、歌手の歌い方を今まで以上にじっと見て、よく聴くようになりました。感心するのは、ご自身のヒット曲を長年、高い歌唱力と表現力でキープしている歌手の方が本当に多いことでした。一方残念ながら、長年歌い続けた結果喉が劣化してしまい、往年の歌声を披露するのは無理な歌手の方を見ると、プロで生き残る過酷さもまた感じるところがあります。

ぼくが久しぶりに歌を聴いて、やっぱり上手いなあと思ったのが、渥美二郎さんの「夢追い酒」という曲でした。渥美さんは高校を中退後、地元・東京の北千住で「流し」の歌手として活動を始めました。

「流し」というのは、ギターやアコーディオンなどの楽器を持って酒場などを回り、お客さんのリクエストに応えて、お客さんの歌の伴奏をしたり、自分の歌を歌う職業です。その中でも演歌専門で歌っている「流し」は「演歌師」と呼ばれることもあります。カラオケの普及に伴って、「流し」の方はピークだった1960年代よりは激減しましたが、今も「流し」として音楽活動をしている方は多くいらっしゃいます。

そして渥美さんは1975年4月に本名の渥美敏夫名義でシングル「裏町」を発売しデビュー、その後5枚目のシングルとして1978年2月25日に発売されたのが「夢追い酒」でした。発売当初は売れなかったものの、渥美さん本人が全国を地道に回るプロモーション活動を続けた結果、1978年12月に日本有線大賞敢闘賞と全日本有線放送大賞努力賞を受賞しました。これを機に、1979年の大ヒットへと繋がりました。オリコンでは最高2位だったものの、100位以内に通算109週ランクインするロングセラーとなり、1979年のオリコン年間シングル第1位を獲得するとともに、1979年の日本レコード大賞ではロングセラー賞を受賞、1979年のNHK紅白歌合戦にも初出場しました。

渥美さんの「夢追い酒」を聴いていると、歌に誠実さが感じられるんです。それは正調な演歌であり、かといって音程が正確なだけののっぺりした歌ではなくて、そこには渥美さんの歌の味があって、妙に感情的でもどろっとした歌でもなくて、さっぱりとした良質さを感じます。30年前にはがんの大病を患ったそうですが、そういうことは全く感じさせない、歌い続けて50年を迎えても、変わらない高いレベルの歌声を保っていることは、ご本人の努力が凄いのだろうと感じさせます。この大晦日に、こういう歌を聴けて良かったなあとつくづく感じました。

ぼくはアマチュアの歌好きに過ぎませんけど、嫌味のない歌を歌いたいなあと思います。歌ってすごく正直なところがあって、歌っている自分のいい面も悪い面も、見せたい面も見せたくない面も、絶妙に表に出てしまうものなんです。歌を通じて、ぼくという人となりが全部見られてしまっているというか。だからこそ、歌を聴いて頂く方に気持ちよく聴いて頂きたいと思うようになりました。そして、関心を持って聴いて頂けるような歌を歌えるよう、2020年も成長したいと思います。


夢追い酒(夢追酒) - 渥美二郎( あつみ じろう )