DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

夏休み

最近ぼくがDAM★ともで歌っている曲に、林部智史さんの「この街」という曲があります。この曲は吉田拓郎さんが作曲しました。メイキング映像の中で林部さんがこの曲に出会ったとき、「吉田拓郎さん節というか、それをデモ音源ですごく感じて、今日歌ってみるまで、実際どういうふうになるかわからなかった」と感想を言われていました。吉田拓郎節ってどうだったかなと思い、吉田拓郎さんの曲を聴いてみた1曲が「夏休み」という曲でした。

この曲は1971年6月7日に発売されたライブアルバム「よしだたくろう オン・ステージ ともだち」で初めて収録されました。このアルバムは拓郎さんのMC部分も含めてまるまる収録したのが、当時としては先駆的な試みでした。

日本の歌謡曲やポップスにおける拓郎さんの功績の1つは、歌詞の「字余り」「字足らず」という手法で、今では珍しくなくなりましたが、当時の曲は1つの音譜に1つの文字という型ではまっていましたから、言葉を自由にメロディーに載せるというのは、インパクトが強いものでした。それと同時に、「1音1文字」という縛りを取ったことがその後の日本のサウンドをよりフレキシブルにしていくきっかけを作ったことが大きかったのかなと思います。

さて、「夏休み」は「字余り・字足らず」ではなく、「七・五調」をアレンジした「八・五調」の歌詞で、1コーラス3行の歌詞が、5コーラスまである、シンプルなスタイルです。

「麦わら帽子は もう消えた たんぼの蛙は もう消えた それでも待ってる 夏休み」で1番が終わってしまうんですけど、1フレーズ聴いただけで、子供の頃の夏休みの情景が浮かんでくる歌です。余り力を入れない感じで歌っているような「吉田拓郎節」の歌い方も感じることができます。

拓郎さんのメロディーは、割と音階の上下があって、離れた音へ飛ぶフレーズも多いので、歌うときにはどうしても声を張ってしまうことになりがちなんですが、拓郎さんはそこを同じトーンでさらっと歌えてしまうのが、上手さを感じるところです。

拓郎さんは「夏休み」について、「ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏もすべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ」とコメントし、一部で伝えられているような、「反戦歌などでは断じて!ない!」と否定しています。

作家さんは得てして、本当の真意は語らないことが多いですけど、拓郎さんが言うとおり、子供の頃の日常を歌ったのは本当だと思います。そして、反戦歌ではないのかもしれませんけど、この曲を聴いた多くの方が、広島の原爆のことを思い起こしてしまう、それも歌を聴いた感じ方なのだろうと思います。

「夏休み」の短い歌詞の中には、喪失を表す歌詞が割と目につきます。麦わら帽子やたんぼの蛙は消えて、姉さん先生やきれいな先生はもういなくて、畑のとんぼはもういなくて。主人公は、そういう目の前からいなくなったものを待っている。鹿児島から広島に引っ越した拓郎少年の時代環境を思うと、1つの言葉についてメタファー(暗喩)が込められているのだろうと解釈しています。

拓郎さんの歌のバックボーンにあるものは、自然体とか自由とかである気がしています。拓郎さんがギター1本で自分の音楽を発表できることを知って人生が変わったそうです。そこには、自分が歌いたいものを歌うという素地があったと思います。歌で有名になりたいから、レコード会社にプロモーションを行いました。ところが当時のフォークは学生運動と連動していて、フォーク歌手の姿勢も反体制、反商業主義的な流行があったので、拓郎さんの行動は業界やフォークファンからは奇異に移ったそうです。でも拓郎さんは自分のスタイルを貫いて、フォークを大衆的な音楽として浸透させたとともに、しがらみを取っ払って、従来の「型」だけではない音楽の広がりへと繋げていったわけです。「夏休み」は、そういう拓郎さんのスタイルを体言した1曲であると思いました。


夏休み 吉田拓郎