DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

なみだの操

昨年12月31日にテレビ東京系で放送された「第51回年忘れにっぽんの歌」では、懐かしい歌手の久しぶりの曲と変わらぬ歌声に満足しました。殿さまキングスとして活躍した宮路オサムさんが歌われた「なみだの操」もそんな1曲でした。

「なみだの操」は1973年11月5日に殿さまキングスの4枚目のシングルとして発売されました。作詞は千家和也さん、作曲は彩木雅夫さんです。千家さんはこの当時は、山口百恵さんのシングルをデビュー作の「としごろ」から12枚目の「愛に走って」まで連続で提供している頃ですが、ほぼ同時期に殿さまキングスの「夫婦鏡」「恋は紅いバラ」などのヒット作品を、彩木さんとコンビを組んで提供しています。

「なみだの操」はじわじわと売れるようになり、発売後4ヵ月後にチャートの1位を取り、1974年のオリコン年間シングル1位となりました。累計売上は250万枚でオリコン歴代25位のミリオンセラーです。この作品の魅力というか、飽きさせない力は、やはり宮路さんの何とも胡散臭い、癖のあるボーカル力と、そのボーカルを引き立てる他の3人のコーラス、歌詞のどぎつさと作曲・編曲の泥臭さが見事に融合しているところにあると思います。

人気アニメ「ちびまる子ちゃん」のシーンは、作者のさくらももこさんが静岡県で過ごした1974年から1975年の「小学3年生」の頃を投影していますが、まるこが時折愛唱していた1曲が「なみだの操」だったんですね。


小丸子唱日本歌 なみだの操 翻唱 愛苗

お父さんが歌う「なみだの操」を聴いて、まるこは「だめだめ、もっとにやにやしなきゃ」とダメだしをして歌うんですが、これがなかなかいい歌になっているんです。子供は、歌詞の大人な内容はわからなくても、「何か面白そうに歌ってるなあ」というのは直感的にわかっていたということだと思います。子供にもこの作品が受けたからこそ、1974年のレコード大賞での大衆賞受賞につながったのだと思います。

「なみだの操」にまつわるいくつかの記事を読んで知りましたが、宮路さんの本来の歌い方はああいう歌い方ではないそうです。殿さまキングスを売り出すきっかけというのは、音曲漫才出身のぴんから兄弟日本コロムビアから出した「女のみち」を大ヒットさせたことでした。これに対抗馬としてビクターが殿さまキングスを担ぎ出しましたが、彼らはコミックバンドの出身で、洋楽志向が強かったわけで、宮路さんも演歌というよりは、ロックやフォークが好きでしたが、「こぶしが回せる」ことが引き合いになって、あくまでもぴんから兄弟への対抗でできたのが、ド演歌の「なみだの操」だったわけです。

今から見ると、何て癖が強くて、何て下品な…と思ってしまうような歌唱も、作品の魅力を引き出すための、実は練りに練った真面目な歌唱だということがわかりました。

ぼくがカラオケで歌うときはとかく綺麗にまとめてしまおうとしまいますが、そういう素人の歌とは対極にあるのがプロの芸なんですね。


なみだの操~殿さまキングス