DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

あずさ2号

この年末は久しぶりに「日本レコード大賞」をじっくりと見ました。優秀作品賞に選ばれたDA PUMPの「U.S.A.」の大賞受賞にも期待していました。司会者からコメントを求められて、KENZOさんが涙ながらに語った感謝の言葉は、ぼくも感動しました。
「本当に「U.S.A.」という楽曲で、僕たち夢みたいな時間をすごさせてもらえました。7人でずっとやってきてこのステージで皆さんに感謝を届けたいし、21年間ずっと歌ってきたISSAさんと一緒に感謝を届けたいです。」
KENZOさんはこの直後のTwitterでトレンド入りしてましたが、今の日本の音楽シーンにに足りないものは、こういう心からの熱情のある表現を視聴者に伝えることなんじゃないかって思いました。熱気って必要だと思うんですよね。

それから、最優秀歌唱賞を受賞したMISIAさん。あんなに素晴らしい歌唱力を誇る彼女が言った「デビューして20年、やっと今、私は歌手になれたと思います」という言葉もなかなか重かったです。「日本レコード大賞」の会場で生で初めて歌ったのは、彼女なりの心境の変化なのかもしれません。

そして、特別ゲストということで、「U.F.O.」~「S・O・S」~「渚のシンドバッド」~「サウスポー」の4曲メドレーを披露したピンク・レディー。60歳超えとは全く思えない、ミーちゃんとケイちゃんのダンスと歌唱の維持力には敬意を表します。ご本人たちもこの年まで歌い踊るとは全く想像もしてなかったと思います。

12月31日はテレビ東京系で放送された「第51回年忘れにっぽんの歌」をフルで見ました。実際は12月上旬に中野サンプラザで2日に亘って公開収録したものですが、長年大衆に愛された名曲と往年の歌手の維持された歌唱力で、十分に大晦日感を堪能できる内容でした。視聴率は8.1%と前年同様の健闘でしたが、テレビ東京は地方系列局が少ないので、この番組を見ることができない全国の視聴者の方も多いという前提があっての数字です。テレビ東京も、出演歌手についてはセレクトしていたので、声量の衰えた歌手や無名の歌手は出演させてないように感じました。「紅白歌合戦」と対峙する覚悟を決めてきた感じがします。そういうラインナップの中で司会もされていた北島三郎さんの歌声が、随分と衰えたように聴こえたのが際立って感じられました。

紅白歌合戦」は見る気がしませんでしたので、今年も見ませんでした。

さて、「第51回年忘れにっぽんの歌」を見ていた中で、素晴らしいステージを見せてくれたのが、「あずさ2号」を歌った狩人のお2人でした。

この作品は1977年3月25日に狩人のデビューシングルとして発売されました。作詞は竜真知子さん、作曲・編曲は都倉俊一さんです。都倉さんが司会を務めていたNHKの「レッツゴーヤング」に、狩人は「サンデーズ」のメンバーとなったこともあり、「あずさ2号」はオリコンの年間シングルで第15位となる大ヒットとなり、この年のNHK紅白歌合戦にも初出場しました。

ぼくたちがカラオケで歌うときにも、「あずさ2号」は年上の世代の方も若い世代の方も知っているし、2人で歌ってハモりやすいし、歌うと割に盛り上がるんですよね。
昭和の名曲として、いつまでも歌い継がれる1曲だと思います。

「平成最後の」というフレーズが聴かれる割には、年末年始の歌番組には平成の要素が足りなかったと思いました。「年忘れにっぽんの歌」は、平成のヒット曲は若干でした。「紅白歌合戦」は、ぼくは今年のヒット曲をベースにしつつ、今年のヒット曲がない歌手は往年のヒット曲を歌えばいい、「平成最後の」というなら平成のヒット曲を歌えばいいと思ったのに、今年ヒット曲がある歌手になぜか数年前のヒット曲を歌わせて、紅白バージョンというまやかしでお茶を濁していては、歌と時代がクロスしないと思うんですね。平成の時代を代表したアーティストは、SMAP安室奈美恵さんであったと思いますが、もう彼らのパフォーマンスを生で見ることはできません。そうであるなら、過去の映像を流す工夫はあってもよかったのではないかと思います。平成のヒット曲や歌手を懐メロ番組に登場させることが、平成の歌を残していく方法であろうと思います。


あずさ2号/狩人