DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

夢千代日記

9月15日、女優の樹木希林さんが亡くなられました。今年の4月に自宅で転倒した後のテレビ出演を見たときに、ご本人も体調が悪いと話されていました。8月に一時危篤状態だったと娘婿の本木雅弘さんが話されたときも驚きましたが、突然の訃報にぽっかりと穴が空いてしまったような虚無感を感じます。

樹木さんと音楽の関わりというと、1974年に放送されたドラマ「寺内貫太郎一家」で、当時30才の樹木さんは「悠木千帆」という芸名でしたが、老婆を演じて、仏壇の横に貼っていた沢田研二さんのポスターを眺めて、「ジュリー~!」と腰を振りながら悶えるシーンは今でも記憶に残っています。

また、1977年には「悠木千帆」の芸名を競売で売ってしまい、「樹木希林」と改名、その直後のドラマ「ムー」及び「ムー一族」では郷ひろみさんとのデュエット作品として「おばけのロック」、「林檎殺人事件」を発表しました。

ぼく自身の思い出では、2007年に公開された映画「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」で、樹木さんはオカンの役を演じ、ここでがん闘病の壮絶な苦しみも演じて、亡くなってしまうという演技をしているんですが、樹木さんは実生活でも2004年に乳がんを発病してから闘病を開始していたわけで、その精神力の強さに恐れ入ってしまうところです。

樹木さんの芝居の上手さを子供心に初めて思ったのは、1981年にNHKで放送されたドラマ「夢千代日記」で、置屋「はる家」の年増芸者「菊奴」を演じている姿を見たときでした。「夢千代日記」の登場人物が過去に傷を持つ人物が多く、どこか湿った雰囲気に包まれそうなところを、ユーモアとボケを混ぜて道化を演じる「菊奴」は、今思うと、樹木さんの考え方の根底にあったものだったのかもしれないと感じました。

そして、音楽との関わりといえば、ご主人の内田裕也さん。1973年に内田さんと結婚したものの、1年半で別居、以後は死ぬまで別居生活を続けていました。内田裕也さんはロック歌手ですけど、数々の樹木さんのエピソードを聞くたびに、よっぽど樹木さんの方がロックンロールな生き方をしてきた人じゃないかなって思います。

夢千代日記」のオープニングテーマは、日本を代表する作曲家である武満徹さんによって作られました。在りし日の映像より、樹木さんの往年を偲びたいと思います。


「夢千代日記」 音楽・武満徹