DAM★とも&アウフヘーベン

DAM★ともで公開した曲について感じたことを書いていきます。

酒場川

日本の歌謡史の中で「最も上手い歌手」といわれるアーティストの1人であるちあきなおみさん。「喝采」に代表されるようなドラマチックな歌の世界を表現できる歌手としては、他の歌手には追随できない卓越したものがあると思います。

ちあきさんはデビュー前の下積み時代には演歌も歌っていたそうですが、デビュー後は、師事した鈴木淳さんの指導もあり、演歌を封印してきたそうです。「喝采」の後、ちあきさんが、「船村(徹)先生の作品なら歌ってみたい」ということで発表した作品の1つが「酒場川」という曲でした。

この作品は1976年10月1日にシングルとして発売されました。作詞は石本美由起さん、作曲・編曲は船村徹さんです。石本・船村コンビでは、この前年の1975年7月25日に「さだめ川」を発売しています。後に細川たかしさんが1986年にカバーしてヒットしましたが、細川さんの「さだめ川」を聴いた後年にYouTubeで、ちあきさんが1975年の紅白歌合戦で「さだめ川」を歌うのを聴いて、同じ歌なのにこうも表現方法が全く違うのかと驚きました。

ちあきさんはこの当時から「自分が歌いたい歌を探しにいく旅に出た」のだそうです。「夜へ急ぐ人」はフォークロックへの挑戦だったでしょうし、ファドやシャンソンも歌い、「黄昏のビギン」のような往年の昭和の名曲も歌うようになりましたし、演歌を歌おうと思ったのもその1つだったのだと思います。

どこかに本職はポップスの歌手というのがあったのかもしれませんが、船村演歌として提供を受けた「さだめ川」も「酒場川」も「矢切の渡し」も「紅とんぼ」も、決して演歌歌手が歌うような演歌には敢えて仕上げなかったように感じます。ド演歌のように唸って声を張り上げるのでもなく、しゃくり上げるように悲しく歌うのでもなく、「演歌」にはとらわれず、酒場に生きる女性になりきって、歌の世界をちあきさん自身の方法で表現したように思います。

1976年の紅白歌合戦でちあきさんは「酒場川」を歌唱しましたが、わずか1分あまりの1コーラスの中で、フレーズ毎に歌い方の強弱を変幻自在のように変えて、音程も高低を巧みにフェイク気味に入れながら、決して主旋律は外さずに歌っているのは圧巻で、NHKホールの観客の人たちが1コーラスが終わろうとするところで自然と拍手がわき起きるのは、当然なのかなと思います。

この「酒場川」のB面に収録されていたのが「矢切の渡し」でした。当時も「矢切の渡し」をA面にするようコロムビアでは意見があったようですが、ちあきさんの要望もあって、「酒場川」がA面になったそうです。

矢切の渡し」をちあきさんがテレビで歌ったことはほとんどなく、後に梅沢登美男さんが自身の舞台の音楽に使ったことで脚光を浴び、埋もれていたちあきさんの「矢切の渡し」も世に出ることになりました。


酒場川 / ちあきなおみ